ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

手堅い現実路線こそが勝つ

昨日のブログアクセス数は、なんと過去最高の1915件となった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140707)。やはり、時々は種明かしをし、実像をはっきり提示する必要があると思う。表面だけで人は誤って判断しがちだからだ。

昨日書いたデータベースの見方だが、一言誤解なきよう、念のため。
私が初の訳文7本を掲載していただいたのは2012年3月27日のことで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120329)、それ以前には日系アメリカ人らしい一人の女性による訳文が、4本だけ掲載されていた。彼女の訳文の中には、今でも毎日のようにアクセスされるコラムがある。人口に膾炙したかなり古い事件なのだが、新たな読者があるということなのだろうか。
当然のことながら年間蓄積があるので、何年も前に始まったアラビア語ポーランド語やオランダ語ヘブライ語ルーマニア語は、総アクセス数を比較すれば、今でも日本語以上だ。ただ、最近は一日当たり、日本語よりもアクセス数が相当に減ったということなのである。また、単純に年数で割れば、一年当たりの総アクセス数は、日本語訳文の場合、遙かに上回っている計算になる。

一部に解釈や分析に誤りが含まれているとしても、最終的に、必ず手堅い現実路線の保守派の手法が勝利すると、私は思っている。
左派理論は、現実離れした抽象的で高度な議論を披瀝するためか、我こそは学者で頭がいいと(間違って)自負しているような層を惹きつけやすいのだが、同時に、こういう人達こそ、はた迷惑にも騙されやすい。かと思えば、左派思想は、一見わかりやすく、弱者に優しく、皆に公平で平等な安心できる社会をと、夢と希望を与えるように思われるが、実際には社会の活力の低下を生み、混乱あるいは破壊的な結果をもたらすことが歴史的に証明されてきている。現実から遊離していたり、歪曲や偽りが含まれていたりするもする。
私のこれまでの経験では、本当に慇懃無礼な失礼な態度を取る人は、左派系に多い。自分は知識人だから左派だ、などと平気で抜かす。あたかも、保守派に知識人が皆無であるかのような言い方だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140627)。だから‘useful idiots’なのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140611)、その自覚もないほど、無知でおめでたいらしい。

私自身のマレーシアに関するリサーチでも、振り返ってみれば、充分な一次資料もなく、基本的な理解さえ欠けているのに、相当に変なことを平気でおっしゃる教授陣や研究者が、マレーシアでも日本でも多かった。ブログで一部を公開してきたが、その他にも逐一メモしてあるので、もし記録を公開するなりしたら、地に足をつけて生きている世間一般あるいは後日の笑いものになるだろう。笑いものならまだしも、そのようにして、文化的に人の人生を抹殺しているのだ。これが左翼(社会主義共産主義)の手法である。
イスラエルパレスチナの和平交渉でも、結果的に、2003年5月にCFRでパイプス先生が必死になって一生懸命に述べていたことが(http://www.danielpipes.org/1094/middle-east-debate-should-washington-actively-promote)、11年後の今となっては、見事に具現化している。つまり、和平を求めるあまり、パレスチナ側にどこか甘い見方が入ってしまう識者が多い中、厳しくも先見の明があるというのか、理論構築がしっかりしているということだ。日々、情勢を細かく観察しつつも、論理としては文献研究と歴史観から、決して動揺しない基盤を持っているようなのである。
だから、私も希望を持っている。一見、強引で一方的なようなパイプス論理だが、結論から言えば、「西岸はユダヤ人のもの」でしかないのだ。あるいは、ユダヤ人が管理した方が、土地の平定と安寧がうまくいくということだ。また、ちょうど東南アジアの中のシンガポールのように、中東をイスラエル中心に据えれば、地域内の安定と繁栄の機軸ができると考えることは、理論的にも現実的にも妥当である。
翻って考えれば、だからこそ、東アジア地域の中心軸は、日本でなければならないのだ。内部経済の崩壊危機や不信感の蔓延する、中国や韓国の法の不遵守社会を見よ。この人達が何かに扇動されて、盛んに日本の悪口を言って回っているのだ。そんな人々と「両者の言い分を公平に」などと言っていたら、どんな破壊が待っていることか、考えなくてもわかりそうなものである。
遠く離れた中東で自分には関係ないと言うなかれ。専門ではない私でさえ、パイプス先生のご依頼に応えているうちに、これほど問題意識が明確になり、日本への応用課題として把握できるようになってきたのだ。
もう一点申し添える。何年も前のことだが、「どうしてマレーシアのことをやっている人が、スペイン語なんて勉強しているの?学問的にどういう連関があるわけ?」と見下すように言ってきた人がいた。「この人、バッカじゃない?私はぁ、エリートだけどぉ、私みたいにやればうまくいくのにぃ」と、人前で大きな声で言われた。申し訳ないが、私は18歳からドイツ語を学び始め、19歳からスペイン語を独習し始め、マレーシア赴任は24歳の時である。だから、学問連関などと偉そうに言われる筋合いは全くないのだ。そして、今年の4月10日にはスペインのアスナール氏と直接お目にかかったことがきっかけで、彼の政治観を知るために(英語版がなかったので)スペイン語で著作を読んでいる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140526)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140704)。英語の論理とは、話の運び方が違う。違うのだが、考え方や思想の筋はわかる。それによって、世界動向がより明確に理解できるようになってきたのだった。
つまるところ、何でも貪欲に学び続けなければならない時代である。自分の小さな狭い分野に閉じこもりつつ、他人を馬鹿にしている暇などないのだ。
恐らくパイプス先生には、遙か太平洋を越えて、それが見抜けるのだろう。4月にお喋りしていた際、私に「英語の細かいミスなど、気にするな。ノー・ミステイクだ。あんたの英語はパーフェクトだよ」と強調された。そして、一ヶ月前には「あんたにふさわしい敬意を受け取るように」とも励まされた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140607)。