ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

今日の短い記録

今日は久しぶりに学会出席。とはいえ、午後の部のみ。会場は初めて訪問する大学で、これで関関同立全制覇を果たしたことになる。山を切り開いてつくったキャンパスなのであろうか、緑が豊かで坂道が多く、毎日通えば、体重が5キロは確実に減るだろうと思った。
知り合いの先生や元院生だった方から温かい会釈とご挨拶あり。
原発反対をカトリックキリスト教(つまり、プロテスタントの意味か?)も仏教も声明として提出した、という話や、地球温暖化という現象そのものを当然の前提として語る路線には、いささか疑問を呈したが、その他は、興味深く、おもしろいお話がいろいろと聞けた。
原発ES細胞については、宗教倫理の立場から反対するだけでは不充分で、現場の技術開発が果たしてどのような意識を持っているのか、原発に反対した際のエネルギー問題をどのように考えるべきなのか、患者や医師は、医学倫理を現場でどのように考えているのか等々、生データを豊富に提示されなければ意味はないと、いつも思っている。また、実際に困っている人々に対して、どのような代替案が提示できるのか、そこが隔靴掻痒の感が否めない。
地球温暖化は、アメリカの共和党の人達は、20年ぐらい前から支持していない。それどころか、科学的データにより、温暖化現象は存在しないとまで言い切っている。これに対しては、どのようにお考えなのだろうか。
休憩時間に私のそばで話していらした二人の男の先生が、今の大学には問題が多い、とのご意見で一致していらして、それは私も内心、予想通りで全く共感。だから私の今の選択は、その意味ではそれほど誤ってもいなかったのだ、と。
何の話かと言えば、「今の大学は専門学校みたいになっている」「自由に授業ができない」「学生評価があって、こちらに成績を求めてくる」「グローバル化というと、すぐに英語ができて、難民を海外で助けるという話になるが、自分の足下を見ていない学生が多い」「自分の視野の範囲内だけで満足して、それ以上に視野が広がらない学生達」等々。
これは、「全ての人々に高等教育を」などと呼びかけていた左翼の女性政治家がいたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120629)、その路線で行けば、間違いなくレベルが下がるだろう、国の衰退に結びつくだろう、という予測の具現化でもある。
難民救援は、多分、緒方貞子先生の影響が大きいのだろうとは思うが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120420)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120618)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140512)、後を追っかけているようでは、能がない。

さて、帰りに駅前の小さな本屋さんに立ち寄ったところ、入り口に張り紙がしてあった。6月13日付『京都新聞』朝刊の記事コピーなのだが、ちょうど今日、我が町内で懇話会があるとのお知らせだった。なんと、正岡子規の姪孫に当たる75歳の男性が我が町に1980年から在住で、中原中也http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071030)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071217)や司馬遼太郎氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BB%CA%C7%CF%CE%CB%C2%C0%CF%BA)とお父様が交流があったとか、遠藤周作氏ともお会いした等、貴重なご経歴の持ち主なのだそうだ。
確かに、我が町は人口三万人と小さいが、地方の「市」よりは遙かに都会風で交通の便も良く、二万年前から人が住み着き始め、中世の上皇とも深い関わりのある、住みやすくよい町である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070902)。案外に、生きた文化遺産が知られていないだけなのだろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080407)。

PS:木田献一先生のご逝去の報にも接しました。昨年4月のことで、学会から弔電を、とのご報告。ちょうどその頃は、私も亡父のことで新聞を読むゆとりさえなく、失礼をいたしました。4年前にお目にかかった際、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100517)で触れましたが、柔和で穏やかで、まだお元気でいらっしゃるものと思っていました。今でもどこか信じられません。旧約は人間を自由に解放する書、としての姿勢を貫かれたようです。
それに関連して、随分前、別のマレーシア関連の研究会で、亡くなった有名な先輩研究者のご遺族に「会費が余ったのでお花代を」という発言が事務からあり、即座に「お花代とは、余ったから出すものではない」と別の先生から注意が飛んだことを思い出します。確か1万円だったかと記憶していますが、あの頃は、どうしてそのようなやり取りになるのか、意味そのものがよくわからず、金額と態度の不一致に複雑な思いがした次第。