ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「近代性」の理解と実践

週末から不機嫌が続いている。昨日綴った、アメリカ在住のマレーシア華人のことだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140519)。まさに、マレーシア国内では全く気づかなかった一面というのか本性みたいなものが、残念ながら垣間見えた瞬間である。
何と、図書館の複写物に関して、あれほど自分から手助けを申し出ておきながら、「用事が重なってできなくなった。図書館に久しぶりに戻ってみたら、資料は既に返却されていた」というメールを寄こしたのだ。
とんでもない話である。何のための滞在だったのか。話に信頼性のないことが多いマレーシア人の性質を知っていたからこそ、私としては、資料閲覧を第一目標に置き、余計なことにエネルギーを取られないよう、充分な休息が取れるよう、宿泊地などは自前で調達したのだ。

繰り返しで恐縮だが、最初から、自ら申し出をした以上、約束として全力を挙げて守るべきである。遅れそうなら、その旨連絡すべきである。しかも、できそうもないことには、いくら知り合いであったとしても、一切、最初から手を出してはならない。

アメリカのみならず日本でも、人の好意にそれほど依存しているわけではない。何でも自分一人でやるつもりではある。しかし、今回のように、いろいろなお節介を焼かれた挙げ句、責任放棄というのは、これは本人の性格以上に、文化の問題、ひいては近代性をどこまで身につけているかの問題でもある。海外から飛行機に乗ってやって来た人のリサーチを手伝うことの意味が、全くわかっていないからである。また、場所はよろず大らかでいい加減なマレーシアではない。日本の同盟国たる大国アメリカなのである。

もちろん、その上司たる元日本在住宣教師だった方にも、即座に(本人にも伝えた上で)ご連絡をした。なぜならば、その宣教師も、日本の知識階層のあるキリスト者について、スコットランドの著名大学で博士号を授与されている以上、また、現在も研究ジャーナルを編集発行している責任者である以上、日本人研究者に対する態度として、資料閲覧と資料収集こそが最も重要な目的であることは、百も承知のはずだからである。
(ユーリ後注:上記の「知識階層のあるキリスト者」の名前は、日本プロテスタント史が専門ではない私でも、当然のことながら存じ上げている。(1)明治維新以降の日本の「近代化」の重要な一分野である(2)国文学専攻だった学部生時代、近代文学を考えるために大切な側面だと認識していた(3)その方が洗礼を受けた東京の教会の夕拝に、2000年2月に出席したことがある(4)極めつけは、2011年春期に関西学院大学神学研究科の聴講(といっても正規の単位取得)に通っていた頃のことだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110603)。1968年から1970年代初までの学生運動全盛期とキリスト教会の問題について、今まで続く聖餐式の奇妙な混乱の原因を探る上で自然と気になったため、関学図書館に一人こもって、『福音と世界』などのバックナンバーを積み上げて、もの凄い勢いで目を通していた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110808)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110822)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110825)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110826)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110827)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110830)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110902)。その時、「こういう殺伐とした時代だからこそ、もう一度歩みを振り返りたい」と、そのキリスト者の思想生涯を、異彩を放ちつつ、一人で連載されていた加藤常昭師に目が留まった。他分野がメインだったため、煩雑になるのを恐れて複写は取らなかったが、下品な檄文が飛び交っていた当時の『福音と世界』の中、一人清冽な光を放ちつつ、静かに格調高く孤高を保っていた加藤常昭先生に、改めて敬服した次第である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071028)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071029)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071102)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110826)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110830)。
蛇足も蛇足だが、このキリスト者のお名前を、元宣教師だった方がイタリアン・レストランでふと言及された際、私が「あぁ!」と相槌を打ったのは、特に(4)を思い出したからである。即座に、私に対して「先生、ご存じですね」と、突然「先生」呼ばわりに変化したのには驚いた。もう一つの重要なポイントとして、例のマレーシア華人の部下も、私との会話の中で、自分の上司の日本研究を説明した時、そのキリスト者の名前を出したが、「自分は知らない」と言った。私が、知っているのが当然だという雰囲気だったためか、余計に「聞いたことがない」とも言い添えた。そこから、かねてからの私の疑念がむくむくと頭をもたげたのである。「一体全体、西洋宣教師達は、マレーシアやシンガポールで、日本のキリスト教に関して、どういう神学教育をしてきたのか?」)

閑話休題。話は元に戻るが、案の定、すぐに短いお返事が届き、「情報をありがとう。あなたの滞在中、とても楽しい時が過ごせましたよ。これからも協力し合っていきましょう」というものだった。さすがは、日本人メンタリティをよくご存じの方である。

くどいようだが、図書館アシスタントの女性にも、最後の日の閉館直前、「あの人が複写を手伝うためにここに来るまで、資料はそのままにしておいてください。コピー代は郵送料と一緒に支払いますから」と、確かに私は申し出た。了解は取れていたはずである。名刺もお渡しした。
それに、図書館内のパソコンで、フォームに個人情報を入力することになっており、もしマレーシア華人が言った通りだとすれば、図書館アシスタントの責任が問われることになる。また、私にとっては幸いなことに、元宣教師の方と図書館司書とアシスタントは、所属組織が全く異なるにも関わらず、連携して友好的な関係を築いていると、元宣教師から直接聞かされた。私も、そこはよく承知していたので、どなたにも自分の用件でご迷惑だけはかけたくなかった。しかし、今回、約束を違えたのは私ではなく、そのマレーシア華人だ。元宣教師の方にもう一度、過去メールをチェックした上で、私に落ち度はないことを確かめ、マレーシア華人の人とのトラブルの背景説明をした後に、アシスタント宛にも再度、状況説明と複写依頼のメールをお送りした。何と、即座にアシスタントから「読んだ」印が届いた。今は、結果待ちである。

これまでお世話になってきたということで、その人の悪口は言いたくないのだが、余程、イェールで「9日間」(!)おもてなしするという自分勝手なシナリオに従って欲しかったらしい。つまり、私が言うことを聞かなかったので、メンツがつぶれたということかもしれないと想像する。

だが、私こそ、初めからそれほど長く滞在する意図は毛頭なかったし、そんなことは一度も書いていない。第一、夫を一人残して二週間、家を空けて海外に出かけることを、本当に申し訳なく思っているのである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070930)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091016)。もちろん主人は、結婚前からの約束だし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080320)、支援したいから、と大真面目なのだが、だからこそ間違いのないように、しっかりとやりたいのだ。過越祭と復活祭の時期に重なっていたため、キリスト教系図書館としては閉館日がたくさんあるだろうと、そこだけを心配して、余裕を持って日程を立てた。だが、図書館での資料調べなど、国会図書館であれ、日本国内の各種大学図書館であれ、シンガポールやマレーシアの国立図書館や神学校であれ、基本的には同じ作業である。だらだらと長く滞在していれば、自動的に何事も全部がうまく運ぶという保証はないし、その必要もない。これは、経験者だからこその言であり、それが私のやり方なのである。
しかし、その人は、そのことにもブチブチ文句を言っていた。「だから、複写が全部終わらなかったのは、自分の言った通りに、最初提示した宿にしなかったからだ」と。余計なお世話だ。全く関係ない。距離にして、多く見積もっても、せいぜい三十分の違いだけであり、朝は5時起きで準備していたのである。開館時間と全体の文献量を考えれば、複写作業が終わるかどうかは、まるで無関係だ。
もう一つ余計なことに、その人が何を言ったかというと、「こんな資料文献、マレーシアの神学校にもある」。これは、事実に基づく発言とは思えない。もしそうならば、マレーシアの神学校に9.11前から何度も通ってきた私に対して、なぜそこに勤務していて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091106)、その資料を一度も出してこなかったのか?それに、マレーシアでもう一つの代表格たるキリスト教組織に行った時でさえ、そこの事務総長自ら、「これしかない」と見せた実物に入っていなかった。本当に彼の言う通りならば、証拠を示すべきである。そうでなければ、そもそも、シンガポールの神学院から出ていた文献一覧リストは、嘘を提示していたことになるからである。また、そのシンガポール発行の文献一覧リストの指揮を執っていたニュージーランドの長老派の元マレーシア宣教師も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111031)、間違いあるいは古い情報をリスト化したことになるからである。いい加減にしなさい!
また、一つ一つの資料を閲覧して、どれを複写するか整理して積み上げていたら、「これもそうじゃないか?」と示されたものがあった。「いえ、それは不要です」と答えると、「だけど、マレー語も書いてある」「いえ、テーマ外だから、いらないんです」「でも、イバンだから関係あるはずだ」と押し問答。外国人に対する親切のつもりかもしれないが、私のテーマなのである。必要か不要かは、私が決める。一度ならば聞いてもいい。しかし、普通ならば、一往復で納得するのではないか?
そして、極めつけはこうである。「次にここに来る時には、もっと長く滞在するように。いいね?」
本当に、こちらの事情をまるで無視して、余計なこと極まりない。お金と時間の使い方は、誰の人生にとっても、最も大切であり、その人柄の本性が出る側面である。だからこそ、近代先進諸国はいずれも、個人情報の取り扱いに細心の留意を払うのであり、本人の意志を最大限尊重するのであり、その遵守の可否によって、人を判断するのである。もう、いい加減にしなさい!

そこで、私から返事を。「いえ、依頼した私の方こそ間違いでした。もし、示唆されたように、同じ資料がマレーシアにあるというのなら、次回からはイェールではなく、マレーシアで続きを行なうでしょう。上司の方や図書館司書の方達にも、その旨、連絡しておきます。ここ数日の間に、日本からのお土産を、あの方達にお礼として送る予定でいましたから」。
もちろん、本人からの返事はない。あれこれ世話を焼こうとし、自分の言う通りにしなかったからこうなったのだと言わんばかりの訓示を垂れたら、結局は逃げられてしまったからである。また、もし図書館の人達にこの話が流れていったら、自分の居心地が悪くなるだけだからである。それ以上に、上司が本件をどのように判断するかである。いくら「ここに数年は滞在する」と固く決心して胸を張ってみたところで、決めるのは本人の意志以上に、アメリカ人上司と組織なのだ。

第一、いくら単独のリサーチ作業だとはいえ、複写料金も郵送料も、全て支払うのは私である。大学図書館である以上、誰が複写をしようと、私が責任を持って支払うのである。それなのに、その人は、「いや、お金は払わなくてもいい。自分がやっておく」と言っていたのだ。彼が決めることではない。図書館が決めることであり、規定には従わなくてはいけない。勝手なことを言ってはいけません!

実は、もし時間に余裕があれば、私の長年のリサーチテーマの一つである元マラヤ宣教師だった方のお墓にも行こうとも予定していた。しかし、海外とは何が起こるかわからない。常に十ぐらいの予定を立てておき、もしこれがうまくいかなかったらこっちにしよう、と柔軟性を持たせてあった。また、お墓巡りは、ギリギリになって、頭が朦朧としたまま、セカセカ出かけるものでもあるまい。別の州にあるというお墓の場所が分かった以上、「じゃ、次回ね」と私は納得した。
ところが、そこでまた何と言われたか。「だから、あんな所にホテルを取るから、今回行けなくなったんだ」。
いい加減にして欲しい!大雨の日もあったし、荷物の整理やら郵便物を出しに行くなど、休息の日も必要だった。集中して資料に熱中していたから、いささか疲れてもいた。
それに、お墓参りは観光旅行ではない。元は英国人で、地方名士の家系のご長男だった。父親から勘当同然で、英国国教会からメソディストに改宗し、マラヤで学術的な宣教活動に従事し、アメリカに渡って長らく教授として教鞭を執った方だ。なぜ、亡くなった地から別の州にお墓が移ったのか、その辺りを調べる必要性があるのかないのかも、実は重要なポイントである。それがわかってから行っても遅くはない。それだけのことだ。
また、人の車で効率よく案内されるより、自分の足で歩いて町の雰囲気に触れる経験の方が、アメリカという国の一側面の理解を深めるには重要だとも思っている。(事実、ニューヨークでご招待にあずかった「友達」について、当初から先方は遠慮がちに「友情」を示唆されていたのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)、二年以上の文通を経てようやく、この度晴れて、なぜ私が「友達」と呼ぶようになったかと言えば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140515)、ただ表面上の華やかな活動だけでは窺い知れない、内面の人柄にもっと触れることになったからである。例えば、一人旅の私がお上りさん感覚でつい路頭に迷わないように、事前にメールで、「米国で最も裕福な州の一つ」とされる「コネティカット州」の裏話あるいは実態について、密かに教えてくれた。もちろん主人の方が、9年前の二人旅の際、町の様子を一瞥して言った。「ここ、住むにはあんまりいいとこじゃないねぇ」と。その旨、「友達」にも安心していただこうと、簡単な観察報告はしてある。ついでながら、その片鱗は、私自身、ニューヨーク市でもハートフォードでもイェール学内でも、一人で歩き回る時間を確保したからこそ、自分で確認できた。それこそが、リサーチ体験なのである。ほぼ一世紀以上前の手書き資料と再び対面しながら、そこにタイプ打ちで書き込まれていた、9年前には曖昧模糊としていたアメリカの各地名の位置づけと実相、そして、中東や欧州も含めた世界の各都市の位相が、やっとはっきりとしてきたのだ。頭の中の知識と実感が一致しつつある感覚である。私のような経歴の一般の日本人であれば、これぐらいの時間がかかっても、むしろ自然なのではないだろうか?)

今回絶対にお墓参りをしなければ、論文が書けないというものでもない。第一、私が何をしようと、私の自由である。私の研究なのだ。私の費用で全てまかなっているのだ。せっかくだから、ついでの用件として、リスト内に補助的に加えたまでのことだ。指導教官でもないのに、あれこれ指図されるいわれはない。

「もし自分がいなかったら、タクシーに乗らなければならなかっただろう?」とも言われた。はい、最初から、タクシーに乗るつもりでいましたよ。ハートフォードでも、実は思いがけず、日本人の知り合いに遭遇した。でも、当然の如くタクシーを呼んでもらい、見送ってもらいながら、一人で帰って来た。これが、アメリカにいても日本風のやり方なのである。そして、今回、いろいろな場所で数多くのアメリカ人と出会い、さまざまな会話を交わしたが、誰一人として、そのマレーシア華人のような余計なお節介というのか、心証を害するような介入をゴチャゴチャと試みる人はいなかった。唯一の例外は、もちろんアムトラックで隣り合わせになった韓国系男性である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140514)。

結論としてはこうである。マレーシアとの交流は、好きだから長年続けてきたのではない。若い頃は、単なる無知からの好奇心もあったが、この歳になると、さすがに飽きてくる。当国にとんでもなく奇妙な問題が根強く続いており、日本がマレーシアと今後付き合っていく上でも、知っておく必要があるからと思い、まとまるまで続けてきたまでである。さらに、ひいては過去の宣教師の苦労が水の泡になっている現状を、批判的研究も行える余裕のある日本だからこそ、日本人としての見解が提出できるという期待と見通しを込めて、ここまで続けてきたのである。
誤解してくれては困る。「同じアジア人」のよしみではなく、ましてや同文同種でもない。近代性の中に、人間関係の距離の取り方が含まれていることを、約束を守ることがいかに重要であるかを、このマレーシア華人は、自分の枠組みの中で日本人を見下げつつ、結局は、自分こそが崩壊させているのである。

と、書き終わった直後に、なんとハートフォード神学校の図書館長ブラックバーン先生から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080414)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080416)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080417)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110912)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20070715)、「複写完了!」とのメールを頂戴した。9年ぶりの再会だったが、ハートフォードの神学的変遷について、私なりに少し思うところがあったために(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080414)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080418)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090423)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)、学術施設としては、イェール大学神学部の図書館の方が充実しているのかな、とも思っていた。ところが、やはりアメリカはアメリカだ。教養層の米国人は全く違うのである。詳述は日を改めることにするが、やはり、日本人は主流のアメリカ人のお世話になりつつ、よき感化を受けつつ、もっと成長していくべきである。約束をきちんと守り、何年経っても記憶を大切にして再会を実現できて、本当に心より感謝している。