ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

昔のイメージを借用するな

….と、ネガティブなことを書くと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140520)、こちらも目覚めがよろしくないのだが、ここははっきりと自文化を守り抜き、毅然としていなければならない。
何といっても、米国入国に際して、日本人なら14ドルで済むESTAに対して(それとて日本政府は交渉の余地があるとしている)、マレーシア人は7倍以上の100ドルだと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140512)本人から直接聞いたのだ。(ただし、ウェブサイト(http://www.ustraveldocs.com/my/faq.html)によれば、マレーシアも日本と同じく14ドルだと表示されている。何らかの誤解か、滞在ビザと間違えたのかもしれない。間違えたのは私ではない、念のため)。いずれにせよ、アメリカ側が決定した基準なのだ。お金を持っているG7加盟国の方が多く支払い、途上国ないしは中進国の方が、生活水準全体を配慮して割引料金にしてくれているわけではない。
ここでふと思い立って、普段は全く気にしていなかった、日本外務省のビザ発行に際しての「よくある質問」を見てみた。なるほどなるほど、なかなかおもしろい。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/faq.html#q3-1
Q4:有効なビザがあるのに入国を拒否されたのはなぜですか?
A4:ビザは,日本へ上陸申請をするための要件の一つであり,入国を保証するものではありません(ビザ申請書上にもその旨注意書きがあり,それを了承した上で申請書に署名していただいています。)。有効なビザをお持ちでも,入国時に上陸申請した人が旅券・ビザの名義人と別人である等上陸の拒否事由に該当する場合には入国が許可されません。


Q2:ビザ発給・不発給の法的根拠は何ですか?
A2:国際慣習法上,外国人に対してビザを発給するかどうかは,各国の主権行為であるとされています。日本国領事官等は,外務省設置法第4条13号,第7条1項,第10条2項及び3項に基づいて,ビザに関する事務を行っています。


Q3:日本人の配偶者へのビザが出ないのは人権侵害ではないですか?
A3:外国籍の方が日本に入国する自由はもちろん,在留の権利ないし引き続き在留することを要求する権利は憲法上保証されているものではありません。また,経済的・社会的に立場の弱い途上国の外国人が,偽装結婚不法就労により先進国へ人身取引されるような事例もあり,我が国としてもそのような犯罪を防ぐ観点から慎重なビザ審査を行っています。


Q4:日本からはビザなしで行ける国の人にビザを課しているのは不平等ではないですか?
A4:ビザ免除は必ずしも双務的なものではありません。例えば,ある国にとっては日本からの旅行者を受け入れることは経済的にプラスになるので一方的措置として日本人に対してビザを免除している場合も多くあります。他方,それら全ての国の人に対して日本がビザ免除をすることは,不法滞在者不法就労者の増大に繋がる可能性がある等,日本国内の治安や国益にマイナスになることも考えられます。したがって,ビザ免除については,不法残留者の発生件数のみならず,我が国の治安,旅券の信頼性や人的交流の程度などを総合的に判断する必要があります。

これが、国際政治の冷酷な点であり、もし地位の引き上げを望むならば、国のあらゆる角度から総体的な底上げに努めなければならない。日本では幕末から、列強に対して懸命な地位引き上げの尽力が続けられてきた。現地調査でお世話になってきた知り合いだからと言って、しばらく前までの文化人類学よろしく、いかに文化的距離の離れた現地の人々と仲良くできるかが研究者としての評価対象になる、というわけではない。

そこへタイミング良く、興味深いワークショップのご案内が届いた。オランダで開催されるらしい。以下は拙抄訳。

https://www.h-net.org/announce/show.cgi?ID=213357&keyword=netherlands
「植民下の東南アジアにおける日本人と中国人の遭遇」

目的:具体的な人間関係、社会条件、政治経済文脈の曖昧さ、不確定さ、そして変化の回復。
(1)太平洋戦争の経験の文脈化
(2)「反日の愛国中国人」という語りの限界を査定
(3)19世紀末から太平洋戦争終了までの日本人と中国人の間の、交流と競争、友情と敵意、パートナーシップと協力の複雑さを調査

主催者が誰かによって、流れや出席者の顔ぶれが予想できそうだ。だから、どこで、何の目的で、何を発表するかが大切なのであって、何でも数さえこなせばいいというものでもない。

さて、イェール大学神学部のアーカーブ資料を保存している図書室に、昼食抜きで朝から閉館まで缶詰になっていた二日目のこと。どうやら、韓国か中国か台湾か香港辺りの富裕層のお嬢さん達であろうかと思われる感じの二十代か三十歳前ぐらいの女性達が、遅れて近くの机に座った。ノートパソコンを持ち込んで、小声でひっきりなしにお喋りしたりして、ちょっと騒々しかった。
私はと言えば、夢中になって一人で集中して、マレーシアの1960年代70年代の教会資料(驚くなかれ、当時の教会資料の方が、インターネット全盛の現在のものより、ずっと遙かに内容が充実して統計もきちんと出ていたのだ!まだ、エアコンはおろか、扇風機も普及していたかどうかの時代である。もっと早くから遭遇していたら、私の研究発表は相当違っていたに違いない)と格闘していた。とにかく、「イェール大学」と言えば聞こえはいいが、実は、私を含めて、こういう層にまで使用が許可されている図書室だ。道理で、今のキリスト教では、人材上の、従って思想上の力が弱まっており、いかに非西洋化つまり脱西洋化しているかという現状が、これでわかる。極めつけは、そのお嬢さん達の中には、自分が立ち去る前、初対面で明らかに年上の私に、なぜか意味ありげにニコっと笑いかけ、手まで小さく振ってきたのだ。何たることか!

http://www.k-doumei.or.jp/np/2006_11/4-1f.htm
「竹中正夫同志社大学名誉教授は、去る八月十七日胆管ガンのため八十歳の生涯を終え天に召された。
一九二五年北京で生まれ、京都大学経済学部、同志社大学神学部を卒業、イェール大学大学院でPh.Dを取得、日本基督教団倉敷教会の伝道師を経て同志社大学神学部教員に就任、四十一年にわたって神学教育に尽力された。」

と、野本真也先生は書いていらっしゃるが、この野本先生からも「同志社神学部には、マレー語聖書の専門家はおりません」と1998年頃、メールを頂戴していたし、その竹中先生(1925−2006年)から、2005年冬頃、同志社神学部図書室のカウンター越しに、ご挨拶まで頂戴した。恐れ多く思ったが、その頃、同志社神学部でマレーシア関連の授業を担当させていただいていたこともあり、今回のイェール大学訪問も、単なる資料閲覧のみならず、(どんなところなんだろうか?)と興味津々でもあった。
考えてみれば、しばらく前に所属学会で、朝河貫一氏にまつわる研究発表も連続して聞いたことがある。発表者は、見上げるような綺羅星のごときキリスト者の朝河氏がイェール大学と深い関わりを有することを得々と話していらしたが、昼食時、実はそのイェール大学の神学部にはマレーシアの資料も補完されていると言い出した私の話で、相当にプライドを傷つけられたらしい。(一緒にしないでほしい)ということのようだ。しかし、私はあくまで事実を述べていたのみであり、その意図は、(我々日本人一般が知らない間に、世界の一流大学は、そういう部分も情報収集して世界戦略を展開していたのですよ)という含みだったのだが、どうやら通じなかったらしい。だから、今の日本は研究能力そのものが退化しており、その知的傾向は凋落気味だと言いたいのである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140518)。今と言っても、その兆候は、私の二十代後半から既に始まっていた。
ところで、先月、晴れて家族公認となった「友達」も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140520)、教授だったお父様も、実はイェール大学出版から著作を出している(http://www.danielpipes.org/books/slave.php)(http://www.danielpipes.org/blog/2007/09/group-think-in-the-academy)。だから、私にとって、知り合った当初は見上げるような畏怖心しかなかったのだが、かえってそこが新鮮でもあったらしい。「え?ここまで訳文を出して、細かな質問まで送ってくるのに、それでも自分は平凡な日本市民に過ぎないだって?」と、おもしろがられたり、びっくりされたりもした。要するに、慣れの問題ということなのだが、環境整備の問題でもある。
イェール大学の卒業生や出身者の中から、「友達」の政治活動や著述において、直接間接に関わりのある人々の名を以下に列挙する。もちろん、批判的言及も含めてである。

ビル・クリントン(第42代アメリカ合衆国大統領
ヒラリー・クリントン上院議員ニューヨーク州選出)、クリントン元大統領夫人。第67代国務長官
ジョージ・H・W・ブッシュ国連大使、CIA長官、第41代アメリカ合衆国大統領
ジョージ・W・ブッシュ(第43代アメリカ合衆国大統領、史上初のMBA大統領)
• リチャード・チェイニー(第46代アメリカ合衆国副大統領、前国防長官)
• ジョン・ボルトン(前国連大使
ジョン・ケリー(2004年アメリカ大統領選民主党大統領候補、マサチューセッツ州選出の上院議員

では、日本出身者の活躍ぶりはいかがだろうか。キャンパス内を歩いていた時、何人かの日本人留学生らしき若い男性達(と言っても、外見上は私と同世代風)とすれ違った。白人学生と英語で討論しながら歩いていた男性も見かけたが、くだけた日本語で携帯を使って喋りながら歩いている青年もいた。
多数のリストの中から、私が存じ上げるお名前だけに絞って抜粋列挙する。

吉原重俊(大原令之助):日本人初のイェール大学留学生として政治・法律を学ぶ。大蔵小輔、日本銀行初代総裁。
鳩山和夫専修学校(現・専修大学)創立時の協力者。早稲田大学総長、衆議院議長、外務次官等を歴任。鳩山家初代当主。
片山潜共産主義運動指導者、ユニテリアン。日本共産党アメリ共産党、メキシコ共産党の結党に参画。日露戦争中の第二インターナショナル第6回大会では副議長に選出。元コミンテルン常任執行委員。
• 朝河貫一 :歴史学者、元イェール大学教授。第二次世界大戦において、日米開戦阻止のため尽力。日米の交戦中も講義を行うことができた。
• 大塚野百合 :恵泉女学園大学名誉教授、英文学者、キリスト教文化・賛美歌研究家、キリスト教功労者。
山崎正和 :劇作家、大阪大学教授、紫綬褒章
野口悠紀雄東京大学教授、一橋大学教授。ベストセラー『「超」整理法』の著者。
• 川口順子 :外務大臣
猪口邦子上智大学法学部教授。2004年3月まで軍縮会議日本代表部全権大使、前衆議院議員
藤原帰一 :日本の政治学者。東京大学大学院法学政治学研究科教授。
• 立川志の春 :落語家。

この中で、ひときわ異彩を放っているのが、保守色が強いはずのイェールで、アメリ共産党とつながっていた片山潜だ。大学ロゴの‘Lux et veritas’(光と真実)はどこにある?余談ながら、「鳩山和夫」氏に連なる系譜としては、過去ブログを参照のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100108)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100324)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100325)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100329)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110105)。

ところで、その元日本在住宣教師だった方(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140520)との会話の中で、予想通り「憲法九条」の話が出た。「変えてはいけない」と。
「でも、中国の軍事脅威があります。日本はどのように対応すべきなのでしょうか?」と尋ねると、「日本の自衛隊は、規模は小さいが技術力が高い。お金も持っている。でも、中国の場合、見た目は大きいけれども、日本ほど技術は高くない」と。「ですけど、米軍の方がもっと強いじゃないですか?」「もちろんだ」。
はは〜ん、そういう論理で、日本のウブなクリスチャン達を説得してこられたんですね!だから、何やら宗教論理を持ち出して、垂れ幕掲げて盛んに「九条を守れ!」運動を展開しているキリスト教組織が目立つのですね?では、先生が千葉県で英語を担当されていたキリスト教系の大学では、米軍の威力や世界秩序の問題を、どのように教えていらっしゃったんでしょうか?

でも、落ち目の日本は、落ち目と言ってもそれほどバカでもないらしい。なぜならば、れっきとしたキリスト者でも、石破氏や佐藤優氏のような立場の論客もいる。相当な専門性がなければ、あれほど勇気を持って発言できないとは思うが。

PS:昨日書いた内容は、相手がクリスチャンでマレーシア華人なだけに、国力の相違からくる相手の気持ちを思うと、実は心苦しかった。ただ、今判明したのだが、やはり彼はいい加減で無責任だったのである!
イェール大学神学部の図書館のアシスタントから、たった今メールを受け取った。彼女は確かに資料を箱には戻しておらず、きちんと私がお願いした通りに保管してあるという。「研究者用」の場所に、私の名前を載せて置いてあるそうだ。また、「その人が手伝えないというなら、こちらで夏期学生を使いますから」とのことだった。しかも、正確な料金の提示までされていた。当然のことであるが、これが図書館というものの通常のサービスというのか機能なのである。彼は、フェイスブック上でも「イェールから」と誇らしげに写真を並べているのだが、イェール大学の留学生として住み込んでいるわけではなく、ただ、イェール大学前の道路を挟んで向かい側に位置する建物の中で事務系の仕事をしている、と言うだけの話だ。でも、恐らくは察するに、マレーシアでは「アメリカに住んでいる」というだけで、ステータス・アップの自慢の種なのだろうし、送別会なども盛大だったのだろう。
その気持ちはわかるが、少しはアメリカからよい感化を受けてください。もうあなたには頼みません。
そして、さすがに元宣教師の方からの差し回しで、「40年間も神学部で働いているけど若く見える」とこっそり紹介された図書館司書の女性からも、英国の著名大学とイェール大学との連携の研究者グループのメーリング・リスト加入のお誘いをいただいた。そうだ、望んでいたのは、こういうことなのだ。誰も、どこのホテルに泊まったか、お金の出所はどこからなのか、一切聞いてこないし、ましてや「ここに宿泊地を変えろ」などと文句さえ言われない。ただ、「何の目的でここに来たのか」「研究テーマは何なのか」「どの資料を見たいのか」だけが問われる。日本でも、ほぼ同じだ。
マレーシアのキリスト教組織は、1980年代から変容し、劣化していると思う。志の高い西洋宣教師達も来て、いろいろと教えたり助けたりしていたが、実を結んでいるとは言えない。日本もあまり偉そうなことは全く言えないが、「現地主導のキリスト教」に突入した途端、その土地の文化の持つ負の側面や弱さが、徐々に表面化してくるのだ。だが、本質をどのように把握し、地元文化といかに調和させながら展開させていくかは、地元の人達が、責任を持って貫いていかなければならない。華人は、19世紀初頭のウィリアム・ミルンの時代から今も相変わらず、移動が激しく、気に入らないとすぐに、住む場所や仕事場や教会や、果ては国まで変えてしまう。だから、最も土地に定着しているマレー人を対象にしようと考えた宣教師がいたのだった。