ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

Impostures Intellectuelles

前回のブログで題した「知的詐欺」は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140306)、ふと思いつきで自分で作った言葉のつもりでした。ところが、何とフランス語にれっきとして存在したのです(Impostures Intellectuelles)。
ダニエル・パイプス先生が、イラン革命に乗じたミシェル・フーコーhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130116)の欺瞞性を鋭く非難していらしたことは、2012年初め頃から気づいていましたが(http://www.danielpipes.org/11599/)(http://www.danielpipes.org/12338/)、このフーコーたるや、私の学生時代には新聞夕刊にもコラムで引用する論客がいて、すっかり塞いでいました。
敷衍すれば、要するに「ポスト・モダニズム」や「カルチュアル・スタディーズ」のいかがわしさです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090325)。つまり、第三世界の実体をよく知らない層に向けて、あたかも「抑圧された人民の知の総体」なるものを第三世界に仮託して虚構を哲学風に作り上げたものです。
その風潮に嫌気がさして、2007年にこのブログを始めたのは幾つかの理由があります。その一つが自分の勉強記録のため。公表する以上は自分なりのオリジナルに限りますし、勘違いはあったとしても、基本的には自分の経験と言葉に基づかなければならないという原則を徹底させています。初めの頃は、「ブログをいくら書いても業績にならない」と言われたこともありましたが、今ではこれでよかったとも思うことが多いのです。確かに読書記録としての証拠となるからです。
冒頭に戻りますと、おもしろいサイトに出会いました(http://matome.naver.jp/odai/2136842840310061701?page=2)。

ソーカル事件


教訓①:権威に惑わされてはいけない
ソーカルが有名な物理学の教授だったせいで、編集者は騙されてしまいました。「エラい学者の論文だから正しいだろう」とろくにチェックをしなかったのがまずかったのです。
相手が有名な人か、偉い人かで判断するのではなく、きちんと中身を見て判断するのが望ましいですね。


教訓②:難しい言葉が文章の価値を決めるわけではない
テクストが理解不能に見えるのは、他でもなく、中身がないという見事な理由のためだ。背伸びをしないで、知っていることだけを話そう。自分で分かっている事をできるだけ平易な言葉で語るべし。

(引用終)

アメリカでは従来、優秀な人達が中東外交政策に従事したと聞きました。その「優秀さ」とは、結局のところ、小難しいことを言い立てることではなく、インテリジェンスの技法の如く、毎日こまごまとあらゆる情報源に目を通し、小さな出来事も丹念に記録し続け、それを基に、世界史の大枠から慎重かつ正確に分析を積み重ねる能力を有することを意味するようです。もちろんアラビア語の能力も必須ですが、最近のパイプス先生のスタッフ募集要項を見ていると、「中東諸言語に通じていることは、望ましいが条件としない」と明言されています(http://www.meforum.org/employment.php)。本当は、それでは不充分だと私は思いますが、ムスリム言語を学習しているうちに、あたかもムスリムみたいな発言を権威づけに利用する研究者が増えてきたことに対する異議申し立てだとも想像しております(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130830)。