ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

シャルル・デュトワのインタビュー

http://www.kajimotomusic.com/jp/news/k=1420/

2013/06/03
シャルル・デュトワ 来日直前スペシャル・インタビューが実現!」

芸術監督をつとめるロイヤル・フィルを率い、シャルル・デュトワが間もなく来日します。
世界で引く手あまたの“超”多忙なマエストロの“来日直前”インタビューが、このたび実現!
1960年代から共演を重ねてきたロイヤル・フィルの特徴や、自ら多くのオーケストラ・デビューをアシストし見守ってきたユジャ・ワンとの関係について、訊きました。
ロンドン・デビューを共にしたオーケストラとの「めぐり合わせ」

―マエストロは2009年にロイヤル・フィルの芸術監督に就任されました。それまでの楽団との関係について、まずはお聞かせください。

デュトワ、以下、D):ずいぶん昔に遡りますが…。まだ指揮者として駆け出しの頃に、私のロンドン・デビュー [注:1966年] で演奏を共にしたのが、ロイヤル・フィルなのです。ですから現在、この楽団の首席指揮者と芸術監督を自分が兼ねているのは「めぐり合わせ」でしょう。このオーケストラ を1946年に創設したサー・トーマス・ビーチャムが、20世紀に多くのすぐれた新作を委嘱した偉大な人物であったという点にも惹かれています。そうした諸々の理由から、私は常にロイヤル・フィルとは強い結びつきを感じているのです。

―60年代から共演し続けているということですね。

D:ええ、長い付き合いです。彼らとは世界中で幾度も共演しています。極めて反応が速く、かつ、とても器用なオーケストラだと評価しています。

 サウンドと音楽様式の密接な関係

―オーケストラを指揮なさる際にマエストロが一番気を配る点はどこでしょうか?

D:概して私自身、サウンドに対しては並々ならぬこだわりを持っています。オーケストラを指導する際には当然、サウンドの向上・進化を目指して多方面からアプローチしています。サウンドとはそれぞれの音楽の様式に直接に呼応すべきものだと考えています。サウンドこそ、ロイヤル・フィルのような多面的な顔を有しているオーケストラがその長所を表現できる媒体なのではないでしょうか。大まかな話をすれば、例えばフランス音楽では、はかなく移ろうサウンド、ある種の神秘性を宿し、変化に富んだ“カラフルな”サウンドが求められます。一方、ドイツ音楽では、それとは全く異なる性格のサウンドを追求していかねばなりません。より存在感があるサウンド、というのでしょうか。威厳があって、より実体のあるサウンドです。当然、こういったことを言葉で説明するのは難しいのですが…。

―話が前後しますが、「ロイヤル・フィルは反応が速く、器用だ」と先ほどおっしゃいましたが、もう少し詳しくお話しいただけますか。

D:彼らとはこれまで、オーケストラが表現し得るありとあらゆるレパートリーを既に探究してきました。フランス、ロシア、スペイン、ドイツ音楽もまんべんなく得意ですし、勿論、イギリス物には特別な才能を発揮します。そうした「多芸」で「柔軟」な側面のお蔭で、今回の日本ツアーのような変化に富んだプログラムを組むことができるのです。結果として、プレイヤーにとっても聴衆にとっても面白いプログラムに仕上がったのではないかと自負しています。

―確かに今回のツアー・レパートリーは、メンデルスゾーンウェーバーベルリオーズからショパンドビュッシーラヴェルバルトークまで幅広いですね。

D:そうですね。更に突っ込んだ話をするのであれば、ツアー・プログラムを練るというのは、つまるところ、演奏会場とオーケストラの妥協点を探る、という作業になります。どういうことかと申しますと・・・例え、われわれオーケストラがある曲を演奏したいと希望しても、同じシーズンの地元オーケストラや他の海外オーケストラの演奏曲目と重複してしまう場合には、これを避けるほうが賢明です。勿論、ホールや主催者から特定の曲目をリクエストされることもあります。今回の文京シビックホールのための曲目がその一例でしょう。[注:「中国の不思議な役人」はシビックホールのリクエストがきっかけでプログラミングされた]。 とにかく、そうしたディスカッションを重ね、様々な事情やアイデアをまとめていくことは重要です。
それは協奏曲のソリストや曲目の選定にもいえることなのでしょうか。

D:勿論です。今回のユジャ・ワンの場合ですと、彼女がショパンを弾きたいと先に提案し、それに合わせてカップリングの管弦楽曲をプログラミングしてみました。なぜショパンにこだわったのかは、彼女に訊いてみるといいのではないかな(笑)

「ユジャの演奏を初めて聴いた時は文字通り、耳を疑いました
―ユジャともかなり長い付き合いになるのではないですか。

そうですね。初めて会ったのは彼女が16歳の時でした。彼女がフィラデルフィアのカーティス音楽院で師事していたゲイリー・グラフマンから連絡があって、「彼女の演奏をどうか一度聴いてみてほしい」と誘われたのです。演奏を初めて聴いた時は文字通り、耳を疑いましたよ。アンビリーバブル!稀有な才能を持っていると確信しました――勿論、技術の高さに驚かされたわけですが、さらに「音楽家として最も重要な点」が秀でていることに感銘を受けました。つまり、彼女の音楽に対する感受性の豊かさに心打たれたのです。すぐさま私は彼女をボストン響、シカゴ響、ピッツバーグ響、ロサンジェルス・フィル、チューリッヒ・トーンハーレ、ボローニャ管等に招くことを決め、私自身の指揮でデビューさせました。実は彼女のカーネギーホールでの協奏曲デビューも、私とフィラデルフィア管との共演だったのですよ。

―マエストロは何年も前にユジャの才能を「発掘」していらしたのですね。そういえば、彼女の日本デビューもマエストロの指揮です。

D:よく覚えています。私の指揮するNHK交響楽団との共演で東京デビューさせたのです。以降、傑出したアーティストとして、そして人間として成長していく彼女に注目してきましたので、今回、ロイヤル・フィルとともに東京で彼女を迎えることができるのは、大きな喜びです。
「私が若い頃は、楽譜ばかり勉強しないようにと口酸っぱく言われました」
―マエストロの最近の発言を色々拝見していると、そうした若い世代のアーティストを特別に意識していらっしゃるように見えます。

D:私はこれまで、札幌のPMFフェスティバルや中国の広東国際夏季音楽アカデミー、故郷スイスのヴェルビエ音楽祭などで若い演奏家たちと付き合ってきましたが、彼らはお世辞抜きに才能に恵まれていますし、とにかく向上心が強いです。とくに、ごく短期間で新しい曲をマスターしてしまう様にはいつも驚かされます。私自身の経験や音楽作りの方法を、そうした若い世代の音楽家とできるだけシェアしていく、という作業はとても重要なミッションであると常に考えています。

―それはマエストロの若い頃のご経験とも繋がっているのでしょうか。

D:そうだと思います。そういえば私が若い頃は、楽譜ばかり勉強しないようにと口酸っぱく言われました。作曲家の人生や、その作品が作曲された社会的・政治的背景などをきちんと学ぶようにと指導されましたし、あらゆる事柄に興味を持って向き合うべきだとも言われました。私が私にとっての“メンター”たちから得た貴重で有益なアドバイスを、絶やさずに次の世代へと伝えていきたいと思っています。

(2013年5月)

(引用終)