ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

肩書きと現場取材の陥穽

以下は、63年生まれの黒井文太郎氏が2006年時点で綴られた文章を、例によって部分割愛して引用したものです。
鋭い留意点が淡々と書かれています。寝ぼけたような「大学教授」のコメント(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121119)、いかにも即席日焼け顔の「現場取材」の日本人レポーターが、なぜか妙に信憑性を帯びて日本のマスコミに登場することに、長年、苛立ってきましたが、パイプス訳文を始めた去年以来、私自身、その苛立ちにさらに輪がかかったようです。

盲目的になびく必要はないけれど、なまじアメリカの専門家の分析を侮ってはならない!(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729
専門家とは、常に厳しい批判にさらされつつ、何十年もそのことだけを考えてきた人を指す。日本ならではの貢献の場は確かにあるが、だからといって、アメリカをののしって日本発の中途半端な報道ばかりをナイーブに信用すべきではない、と痛感します。

http://wldintel.blog60.fc2.com/blog-entry-12.html


「現場取材に意味はあるか」

 


 「五十嵐一・筑波大助教授暗殺はイスラム革命防衛隊の犯行だった」とドーンと書かれた『ザ・パージャン・パズル』という翻訳書。著者のケネス・ポラックは元CIA分析官。同書店ではほとんどベストセラー並みの扱いで大量に置かれていた。


 

イランのイスラム体制は、テロ支援国家ということでは世界でも突出した存在。イスラムテロリズムには、大別してスンニ派系とシーア派系の相容れない2つの系譜があり、イランはシーア派テロリズムの盟主。


イランの謀略国家としての顔はほんの一部しか日本では報道されていないが、調べれば調べるほど闇の深い世界、非常に不気味。


では、同書ではどのように「筑波大助教授暗殺事件」のイスラム革命防衛隊犯行説が裏付けられていたのか?ただ単に「この本を日本語に翻訳した日本人の翻訳者は、イスラム革命防衛隊(IRGC)によって暗殺された」との一文があるのみで、具体的根拠はなにも示されていなかった。


まったくの筆者の推測だが、CIAがイランへの諜報活動でその情報をつかんでいたとするならば、なんらかのかたちで米メディアにリークしていたのではないか。おそらく同書のこの記述自体は、あまり決定的な情報とはいえない。


「私はそれを致命的な欠陥だとは思わない。私が多くの時間を過ごした外国であっても、私のそこでの経験は、一人だけの経験であって、その点では、信頼の乏しい実例の一つに過ぎないからである。自分自身の観察は、あくまでデータの一つであって、その意味ではほかのデータよりも、それ自体として、より優れているわけではないということを常に、よくわきまえておく必要がある」


一例が、イラク戦争開始前のイラク人の意識に関する報道ではないか。サダム・フセイン政権下のイラクを取材したほとんどのレポーターが「イラク国民は戦争に反対している」とやったものだから、日本も含めた各国で反戦運動が広がった


だが、治安悪化で泥沼状態になった後はともかく、終戦直後のイラク国民の大方の反応は「ブッシュよ、よくやってくれたぜ!」だった。現場を取材した人々の多くにはまったく"事実"が見えていなかったわけだ(逆にアメリカ当局側は反サダム・フセイン勢力側からの情報ばかり重視し、いろいろな面で事実を見落としていたが)。


日本のメディア界では、海外情報に関して発言する方法が2つある。ひとつは、それぞれの事件・事象の解説役となることで、これは日本ではなぜか「大学教授」の既得権益になっている。要するに「肩書き」重視ということだが、大学名はあまり関係ないようだ


もう1つは「現場取材」である。日本のマスコミでは、なぜか“日本人”による現場レポートが非常に優遇される。筆者などもそうだったが、ホントはたいしたことをやっていなくても、「現地潜入!」などと銘打って記事を大きく扱ってもらえるのだ。


ところが、個人の見聞などたいしたものではないのに、そこで「この国は今、こうなっている!」とやるものだから、読者はそういうものかと思ってしまう。しかも、日本人で海外取材をする人はあまり多くないから、結果的に情報が偏向してしまうことが多い。


白状してしまうと、筆者を含め、日本人記者のレポートのほとんどは自分の“手柄”が誇張されている。


ちなみに、この誌面取り競争というのはどの媒体の内部でも結構熾烈なものがあり、執筆者はたいてい自分の記事テーマ自体を誇張する。海外記事の場合は検証されることがほとんどないから、国内記事よりそうした傾向が強い。


なお、さらに白状してしまうと、海外取材の記事を発表するのは、国内取材の記事を発表するのに比べて圧倒的に容易である。そもそも競争が少ないからだ


競争の少ない世界ということは、当然ながらあまり切磋琢磨されていないということでもある。


現場レポートはもちろん重要だが、こうしたことも頭の片隅において各記事を読むと、また違ったものが見えてくると思う。 2006/07/17

(引用終)