ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

母校の同窓会合

昨日は、名古屋大学全学同窓会関西支部なる会合に、初めて出かけました。
場所は大阪の堂島にある中央電気倶楽部。主人によれば、専門の学会の会場によく使われるところだそうで、懐かしい昭和風の看板文字が見え、古風だけれどもどっしりとした風格のある建物。案の定、約120名ほどが集まったものの、目算で女性参加者は4,5名。大半が、白髪頭の団塊の世代から中年のおじさま中心。ご専攻は、法学、経済、理学、医学、応用化学、金属、電気、機械、土木、農学がほとんど。
このような場違いな会合に、なぜ私ごときが勇ましくも出て行ったかといえば、実は4月1日に正式にメールでご紹介があったから。関西では大学と言えば、京大、阪大、神大関関同立だけしか存在しないかのような勢いで、「え?名古屋?そんなとこあったんですか?」みたいにあっさりと弾き飛ばされる対応をされるので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120314)、(へぇ、関西にこういう支部があったの?)とびっくり。文学部出身としても、所属卒年としても、遙かにかけ離れた場で、そこが私の好きな異分野交流。1951年から53年までの「旧制」出身の大先輩も3名参加されていたので、雰囲気に浸らせていただけるだけでも大違いだと思ったのです。
慣れ親しんだ場と仲間だけで盛り上がっていると、若い頃は順調に出世しているようでも、中年以降は、すっかりつまらない話しかできなくなっている人が多い、と本で読んでいたので、(機会さえあれば、背伸びしてでも心して出て行かなければ)と、学生時代から真剣に思い、それなりの実践を重ねてきたつもりではあります。
出身校は名古屋でも、さすがに関西居住歴が長いだけあって、雰囲気はすっかり関西風。お話の中でも、「関西に住んでいますと、どうしても京大阪大の話が中心で...」と出て来て、(我が意を得たり)と同意。
「大阪は元気ですね」と駅に到着して迷った、というお話も出ましたが、経済が堅調なのは、やはりトヨタありきの名古屋じゃないですか?私は関西で日々、かすかなる文化的違和感と弾き飛ばされ感覚を抱きながらも、むしろそれをバネにして、出身地の伝統を誇り高く維持しつつ、涼しい顔して頑張るところに意義があると思っているんです。いわば二重文化生活。この強みは意外なところで発揮されるとにらんでいます。
ともかく私のねらいは、法学部37年卒の丹羽前中国大使のご講演「どうする日本、どうなる中国」。以下に、司会者や現総長のお話も総合して、ポイントのみ列挙します。

1.今、大学は大変な状況。東大と京大が消滅した感じで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091125)、ここ数年間の経費削減も凄まじい。足腰の強い大学を。
2.大学の国際化へ。世界トップクラスの学生を。名古屋大学支部ベトナムカンボジアミャンマー、香港、ソウル、上海、ウズベキスタン、モンゴル、ラオスなどに設置。英語での講義やレポート提出も。二週間で人生の変わった日本人学生も。ハーヴァード大学レベルの学生もどんどん入ってくるが、逃げられるかもしれない。
3.日本は戦後70年間、国民が安定して幸福に暮らし、戦争をしていない。言論によって投獄もされず、公平な商売をしている。医療行政の安全、安心、健康。アジアから見た日本。
4.名古屋大学の自由闊達な精神を。活力のある社会を。名古屋大学の卒業生は大いに活躍してもらうように。
5.ここ4〜5年、経済政治が世界的に不安定。日本は隣を見て競争する傾向があるが、国際的な価値基準で物を見なければならない。特に、最近の靖国問題http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)、北朝鮮動向、慰安婦発言、憲法96条、オリンピック発言など、日本が孤立化するのではないかという懸念あり。名大生は別だとは言えない。
6.橋本大阪市長の発言に関して、そういう考え方はあるが、ずれていて、現代の倫理価値基準からは、とんでもない発言である。外から見ると、一部の発言とは思われず、全員の総意かと思われる。
7.中国の要人に関して、知日派だが親日派かは分からない点もある。両国にとっての利益を。日中は‘努力して’仲良くすべき。夫婦関係も‘努力’が必要。
8.中国のほとんどを歩き回った前大使。中国の一流大学でも質疑応答。日本人に会ったことのない中国人も多いが、日本に来た中国人留学生は皆、日本が好きになっていく。中国共産党は、宣伝映画を流している。今の日本人を中国人に見せること(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071102)。JICAの働きは大きい。
9.キプロスギリシア、イタリアなどの小国でも、ひっくり返ると欧州は大変。中国がズッコケたらどうなるか。日本側としては、必死になって支えること。
10.国際会合の場でも「日本はもういい」となっている。中国抜きにしては何も決まらず。
11.中国は食べる量が違う。中国のインフラは日本の2-3倍造る。中国恐るべし。
12.自分勝手な何でも隠す文化は、発展できない。日本の強みは?
13. 日本の急激な人口減少に関する危機感あるのか?教育に力入れること。学校を増やした程度では駄目。企業は雇用の安定と地域経済を。安心して働け、簡単に首にしないこと。 

質疑応答(実は、三人の質問挙手のうち、なんとお二人が、私の左と右に座っていた男性でした。簡潔で要領を得た質問の仕方で、気持ちが良かったです。)
Q1:日本の危機感。だが、今の中国の姿勢を見ていると、沖縄まで中国だと言う。本来の中国の意図は?読み取り方は?
A:領土問題は、100パーセント自分のものだと歴史的には言えない。各時代によって異なる領土区域。戦争しか解決法はないが、国力の相違もある。何の意味も無い。中国は、ロシア間やインド間でも領土問題を抱えている。自分の目で見て、自分の頭で考えろ。
←この話で思い出したのが、佐藤優氏の久米島に関する本(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101117)。お祖父様の代まで、午前中は農作業を、午後からは公民館に行って、中国の漢籍を読む勉強会に出席されていたとの由(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110407)。従って、今は日本の中央政府に従った方が有利だから日本に属しているが、もし中国の方がいいと判断したら、中国に向かう可能性がある、という記述だったと記憶している。
Q2:歴史認識について。向こうの言うことには意図があり、日本人として襟正すことはある。しかし、日本人も言われる隙のないように。昔なら、物質的精神的に余裕があったが、今の若い人は反射的に反発して、他人を見下す(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090206)。余裕をなくして安堵できず。正規雇用、就職、結婚もできない若者。先生は、外務省出身でないところから大使になられた。
A:アジアに対して、敗戦という意識ない日本人。加害者に対して、「私はやっていない」という権利なし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)。三笠宮殿下が一冊の本をくださった。「日本の教育、こんなひどいことして恥ずかしい」と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071209)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080409)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100712)。
最後の質問として、領土関連で島の買収に関する案がありましたが、省略させていただきます。

私のコメント:
(1)三笠宮殿下のことは、ダニエル・パイプス先生も1986年に三か月日本に滞在されていた時、「たくさんの日本人と会った中で、唯一、親イスラエル派の日本人として覚えている」と、昨年1月中旬にメール交換が始まった頃すぐに、私に書き送ってこられた。「まだご存命だということがうれしい」と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120122)。昨年一時、入院されていた頃にも、「いい人だ。いつも彼のことは心に留めているよ」と。
(2)最近の大学は規模ばかり広がって、中身は幼稚園みたいな企画が目立ち、何だかやる気が削がれてしまっている。「国際化」は大事だが、留学生や海外拠点を広げる以上に、もっと在学生および卒業生に対する長期サポートおよび活躍の場を増やす便宜を図って欲しい。パイプス先生に言わせると、「アメリカの大学やユダヤ研究もひどい劣化だよ」とのことで、これで晴れて同じ穴の狢?
(3)大学の「国際化」や中国留学生の反応については、1980年代末に大学院生活を送った私の経験が目の前で開陳されているかのような錯覚。(まだそんなことを!)とびっくり。あれから一世代が経っているというのに、親の経験を子どもが今もなぞっているのか?
(4)大学の劣化が著しいことは、博士と名のつく中年および若手研究者が、自分の専門は詳しくて高度であっても、全体としての基礎教養的な話ができないばかりか、初対面で年下なのに、自己中心的な主張ばかりして、ときに態度が慇懃無礼な面が目立つことからもうかがえる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130311)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130402)。昔ならば、もっと柔軟で落ち着いて謙虚な印象があったのだが。
(5)中国に関しては、やはり私は国文学科の出身であって、学部の頃から中国文学を必須で履修しなければならなかった経験が、この歳になって生きてくる。
(6)若い人達に対して「押しつけはいけない」「自主性を尊重」という甘い態度で来たことが、今の日本の停滞と地盤沈下を生んでいるのではないか?「格差はいけない」から「全ての人に高等教育を」などと呼びかけている政治家を、私の選挙区の近隣でも見かけるが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120629)、とんでもないことだ。
(7)「名大カード」というゴールド・クレジットカードや、留学生の要請で「学位認定式のガウン」をつくったというが、いくら何でも関西で、そのクレジットカードは到底恥ずかしくて使えない。また、ガウンをと言うならば、日本人学生が要求した際に、あの当時の大学は本当に言い分を聞いてもらえたのか?反対に、留学生は袴姿の日本の卒業式を誇りにはしてもらえないのか?

追記:
ちょうど今読んでいるのが、ウィリアム・M・マクニールの『世界史(下)』(増田義郎佐々木昭夫(訳)中公文庫 2008年初版・2012年7刷)。


https://twitter.com/itunalily65
Lily‏@itunalily65 13 Feb 2012


『世界史 下』(中公文庫 マ 10-4) ウィリアム・H. マクニール(著) (http://www.amazon.co.jp/dp/4122049679/ref=cm_sw_r_tw_dp_ENpopb1E28MER …)も併せて購入。計4冊のお買い物。たまには書店をブラブラするのも楽しいですね。普段は時間がありませんが、今日は大徳寺臨済宗)でお茶のお点前にあずかったので。

全体として、アジア諸国の中で日本の辿った経緯および選択が、第二次世界大戦中の一時期を除き、概ね好意的に描かれている。これは大切な側面だ。
しかし、それ以上に大切なこととして、概して衰退し失敗した社会や国というものは、他者から学ぶ姿勢を失い、自己満足して硬直化した態度を長期間保っていた地域だということも、上記本からわかる。気づきの遅さも致命的である。
相手が自分達の文化や経済や軍事力よりも優位にあると知った時、どのように賢明に対処すべきか、その選択および決断には、相当の幅広い教養と深い知性を要する。単なる学歴や学位では全く不足なのだ。
昨今は、日本のNHKテレビも主流新聞も、(これは私の子ども時代の『中学生新聞』レベルではないか?)とがっかりさせられる内容を平気で流す(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101020)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)どころか、アナウンサーともあろう人が、視聴者に媚びる発言をしたり、新聞記者がツィッターで「つぶやく」時代だ。しかし、そもそもアナウンサーや記者は専門家であり、映像を通してニュースを伝え、取材力(時間、能力、エネルギー、金銭面)を持つ以上、視聴者や読者と「対等」ではあり得ないし、あってはならない。その境界線がしっかりあった方が、制約もある代わりに、秩序を保ち、社会の安定感を生み出す。それを「格差」「差別」と叫んでなし崩しにしてしまったのが、左派思想ではないか?
問題は、地味でもコツコツと実力を蓄えている人々の声をきちんとくみ取らず、数の論理や肺活量の大きさだけで勝負しているような流れになっていることだ。
日本のおもしろさや強みは、自画自賛になるが、政治的には表向き鎖国をしていても、知的精神だけは活発に外を見ていて、出島のオランダ語情報や漢籍などを通して、外部世界から必要なものを吸収し、土着文化とうまく組み合わせていたことだ。これは、現代でも形を変えてあり得る姿勢だと思う。欧州や米国や進展目覚ましいアジア各国の諸事情をしっかりと把握しつつ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111102)、では日本はどうすべきなのかと、独自に考えることだ。欧米のまねをして海外に大学分校を造る必要は、私はないと思っている。こちらに魅力が本当にあれば、向こうから人がやって来て学びたいと申し出て、日本語だって習得するだろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121111)。お金がなく、魅力もないと思われている間は、外部世界の高度な先進部分および古典から学びつつ、しっかりと地道に自助努力に励む(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)。少数精鋭という考え方が私は好きだ。「侮れない日本、恐るべし」と思われるぐらいの方がいい。これしかないのではないか。