ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

人文系大学の政治的傾向

パイピシュ先生(私が勝手につけた愛称)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120612)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)の訳業に没頭するかたわら、いろいろなことを考えさせられています。
あの先生の場合も、特に自分の研究テーマがアイデンティティと深く直結するので、自然と「生きること」=「研究活動」となるのみならず、米国系ユダヤ人(ユダヤ系米国人)としては、なすべき役割や課題の重さを充分に認識して、プライベートな面をかなり犠牲にしながらも(だから口にしたがらない)、精力的に戦略的に言論活動に熱中されてきたんだな、としみじみ思います。
昨晩は、パイピシュ先生のお仲間グループというのか、資金活動上も、密接なつながりを持っているもう一つのシンクタンクを運営されている、ディヴィド・ホロヴィツという方の小さな講話をビデオで見ていました。1939年生まれでコロンビア大学などで学ばれた方だそうです。『エルサレム・ポスト』紙や『フロントページ』誌を編集し、自分でも執筆されているようです。何やら、いかめしくて怖い方なのかな、と思っていたら、お年のせいもありますが、割にしわがれた声の好々爺って感じ。話し方はそれほどうまいとも思えませんでしたが、もし、内容が信頼できるとするならば、これは大変なことだ、と感じさせられたのです。
お名前からユダヤ系だとわかりますが、ご両親は共産主義者だったとの由。それで、自分も若い頃は新左翼グループをつくって活動されていたそうです。ただ、途中で、仲間同士の殺し合いや、カンボジアポル・ポトの虐殺行為などを知るにつれ、何かが間違った思想だ、と気づき、そこから保守に転向したのだとか。
ここまでは、日本でもよくあるご年配の話といえば、そうなのですが、問題は、今の米国の大学の思想的傾向についての指摘。もともと、政治的には保守であっても、かなり自由主義的な家庭で育ったという10歳年下のダニエル・パイプス先生の見解とも合致する指摘なのですが、「大学の人文系は政治的プラットフォーム(討論の場)になっている」と。
例えば、女性学、文化人類学社会学、平和学、黒人研究、グローバル研究、文化学などは、学問の自由どころではなく、マルクス主義の変形としてのイデオロギーだというのです。ですから、言論や思想の自由とのはき違えがあり、学生が自由に研究できる場ではなく、教員が学生に「かくあるべし」と一つの思想を注入する場になっている、とのことでした。
確かに、日本でも(あぁ、そう言えばね)みたいな傾向があります。私などは国文学科出身なので、そもそも、地道に文献に当たって一つ一つの確認を積み上げるしかないという方法論を若い頃に知ったおかげで今があるわけですが、ではなぜ、こんな状態なのかと言えば、分野として、思想的にどうも合わない場が優勢なので、そこで闘い、精力を消耗するよりは、自分なりのペースで一人で勉強していた方がましだ、という結論に落ち着いたのです。ただ、世間的に見れば、有利か不利か、という点で、必ずしも通りがよいとは言えません。
大統領選に向けてのキャンペーンが本格化しつつありますが、パイピシュ先生も、厳しい顔で、「オバマが再選されたら、世の中はもっと争いの多い場になる。あの人の仲間は、反イスラエルの立場だったからだ」と、8月1日に出演した短いビデオで語っていらっしゃいました(http://frontpagemag.com/2012/frontpagemag-com/2016-obamas-america/print/)。
どうも、大量破壊兵器がなかったのに、石油利権のためにイラク戦争を誤って始めたブッシュ大統領、みたいなまことしやかな話を、日本の大学でも数年前まで聞かされてきましたが、実はそうではなかったらしいです。中でも、バーナード・ルイス教授(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120617)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120626)がイラク戦争を支持したみたいな噂が広まっていましたけれど、ご本人の回想録出版に向けた事前インタビューによれば、「自分はチェイニーには反対していた」とか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120510)。パイプス先生だって、わざわざ私に対しても、珍しく丁重な回答で「そういう誤ったイメージが広まると、その修正には本当に時間がかかるものです。よくわかりますよ」と書き送ってこられたことがあります(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120707)。別の日には、だからこそ、私の訳業が意義を持つのだ、と。
大統領府で仕事をされてきたのだから、直接、第一級の資料に当たって検討されたはずなのに、どうして、外聞的な二次データに基づくジャーナリストの報道の方が信憑性を持つことになるのでしょうか。恐ろしいことです。
オバマ氏に話を戻しますと、あの当時は、戦争にうんざりしていた我々も、何となく、実験国家アメリカの新たな出発みたいな感じで、オバマ氏の政治手腕に期待を寄せてしまったのですが、最初から「アイデンティティによくわからないところがある」点は、気になっていました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081123)。そこを、くどいほどズバリと追求し、公言されているのがパイピシュ先生。イスラーム法に厳格に従えば、確かにオバマ氏はムスリムの出身だということにはなりますが、そこはアメリカのよさで、元ムスリムが「逃れの場のアメリカ」に移住すると、シャリーア法がないので、キリスト教改宗も可能だという....。私としては、本人がクリスチャンだと言うなら、そこは認めざるを得ない、というところで落ち着いていました。
前から繰り返しているように、アメリカという国の根幹を本当に勉強しようと思ったら、原典アメリカ史のような本格的な一級の資料に当たって、いわゆる古き良き時代のアメリカ人と親しくなって、豊かな自然の中でゆっくり思い出話みたいなことをお聞きするのが一番ではないか、と。私には、到底、手に負えませんし、そのつもりもありませんけれども。
いつかは、パイピシュ先生にお目にかかれる日が来るのでしょうか。会ったこともないのに、自分の書いた原稿を、よくわからない言語に訳させるなんて、すごく大胆だ、と今でも不思議でならないのですが。