ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

現代の反ユダヤ主義と反セム主義

これで二回目(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120511)。もう一つのプロバイダーと連携させて閲覧しながら、ブログを書いていたのに、ちょっとした一瞬の操作ミスで、見事にすべて消えてしまいました。午前から数時間かけて書いていたものが、です!しかも、メール機能がバージョン・アップしないと使えないとの表示。
こういう時、日米間の時差13時間との絡みもあって、連絡が二日ほど滞って遅れるのが、本当に苛立ちますよね!

今、慎重に慎重を期して、ワードに書き直していますが、もともと今回は作業が煩雑だったので、余計に腹立たしく思います。
では、気を取り直して、どうぞ!

これまで「反ユダヤ主義」については、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070920)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071015)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080517)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080619)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080621)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090725)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100810)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111004)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111101)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120201)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120416)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120421)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120524)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120526)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120617)付「ユーリの部屋」に、「反セム主義」については、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080513)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120617)付「ユーリの部屋」に書いてきました。
応用事例としては、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080514)もご参照ください。
ところで、昨日付ツィッターhttps://twitter.com/#!/ituna4011)に書いたことの転載です。

Lily2‏@ituna4011
"The End of Modern History in the Middle East" (HOOVER INST PRESS PUBLICATION) b... (http://www.amazon.com/dp/0817912940/ref=cm_sw_r_tw_dp_hAg4pb1MRY2JA via @amazon) arrived here today.

バーナード・ルイス名誉教授に関しては、今日付の英語版ブログもご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120620)。
昨晩、台風のために時間が余ったことから読んでいた上記の本について、新たに学んだ記述がありましたので、以下に列挙いたします。

第4章「新たな反セム主義―まずは宗教、次に民族、その後は何か?」(pp.155−176)


アイルランド系ロビー・ギリシャ系ロビー・アルメニア系ロビーもあるのに、ユダヤ系ロビーだけが、米国への忠誠心がないとか、外国勢力に奉仕しているとか、非難される。(p.158)


・反セム主義の特徴は、他のグループとは異なった判断基準が適用され、さまざまな形式で、世界のあらゆる場所で、ユダヤ人が‘cosmic evil’, ‘satanic evil’だと非難されることだ。(p.158)


キリスト教徒が「旧約聖書」と呼ぶものにある、ユダヤの慣習メッセージの拒絶は、特に傷つけるものだった。(p.160)


・「セム系」とは、種族や民族を指す用語ではなく、最初は言語学用語として使われた。「セム系」とは、シリア語、アラビア語ヘブライ語エチオピア語を合わせた諸言語を指す。1872年にドイツの学者Max Millerが指摘している。それにも関わらず、元来の言語学上の意味から新たな民族の意味へと転換して、新たな異なった偏狭の基盤となった。民族的他者性と劣等性というユダヤ人に対する敵意が主張されたのである。(p.161)


・現代基準による「寛容」(tolerance)とは、本質的に非寛容な考えである。「あなたが私の規則に従うならば、私が享受している権利や特権のすべてではないものの、いくらかを許しますよ」という意味だ。(p.163)


・今はドイツ文書館が公開されているのでわかるのだが、ヒトラーが1933年に権力を握った数週間の内に、エルサレムの大ムフティが、在エルサレム・ドイツ総領事ハインリッヒ・ヴォルフ博士と接触していた。アラブ人はドイツ人の後を追っていた。(p.167)


・反セム主義が同族系統のアラブ人にも向けられているのかどうかとラシード・アリに問われて、ナチ党の民族政策事務所の所長ヴァルター・グロス教授は、1942年10月17日付書簡で、大いに強調して説明した。反セム主義とは、全体として排他的にユダヤ人だけに関わっている、ナチは常にユダヤ人に対するアラブ問題には共感し支援を示してきた、と。反セム主義とは、欧州で数十年間、反ユダヤ運動によって用いられてきたが、これは不正確である。反セム主義の運動は、もっぱらユダヤ共同体に対する運動だからだ。(ヴォルフガング・シュヴァニッツ『中東におけるドイツ』プリンストン 2004年 p.233)(pp.168-169)


・ナチの枠内では、「アラブの友人達」に無礼とならないよう、「反セム主義」の代わりに「反ユダヤ」という用語の採用へと“Mein Kampf”を変更するよう、総統に提案したが、総統自身が同意しなかったので、提案は受諾されなかった。(p.169)


・アラブ世界でのヨーロッパ形式の反セム主義の増大は、主に、屈辱感から来ている。(p.170)


・現在、ヨーロッパの反セム主義−血の中傷シオン議定書、国際的なユダヤ陰謀その他−は、アラブ世界の多くで標準的な出し物となっている。学校の教室で、説教壇で、メディアで、インターネットでも。(p.170)


・1948年のパレスチナ分割は、前年の数百万人の難民が出たインド分割に比べれば、ささいな出来事だった。(中略)当時、全アラブ政府は、イスラエルを認めたがらなかった。そして、イスラエル領内のどの宗教も認めようとしなかった。つまり、イスラエルユダヤ人のみならず、イスラエルムスリムもクリスチャンも、東エルサレムで認められなかった。年に一回、クリスマスの時だけ、数時間、カトリックプロテスタントのクリスチャン達が入ることが許された。イスラエルムスリム達は、メッカやメディナへの巡礼ができなくなった。(中略)全アラブ政府は、どの国籍のユダヤ人にもビザを出さないと通告した。現在では、ほとんどのアラブ諸国がこれを放棄したが、今でもこれを継続している国々もある。(pp.172-173)


・1967年戦争の後、イスラエルが獲得した元アラブ支配領域で、国連パレスチナ難民救済事業機関UNRWA)が支援する学校教科書を調べる機会があった。シリア、ヨルダン、エジプトの教科書である。疑う余地もない反セム主義の多くの事例が見つかった。国連に伝えたところ、ユネスコが、トルコとフランスとアメリカの三人のアラビア語教授による委員会を指名した。委員会は教科書を調査し、長い報告書を書いて、1969年4月4日にユネスコへ提出したが、出版されなかった。反セム主義という語彙は受容できないので、ユダヤ人いじめ、ユダヤ人憎悪、あるいは、概してユダヤ人にとって不愉快なものと呼ばれるのがよいかもしれない。(pp.174-175)


・中世や前近代のユダヤ人の中には、迫害を逃れてキリスト教会の高い地位に昇った者もいる。その場合、宗教的な反セム主義は除外される。現代のイデオロギー上の反セム主義は、民族的な反セム主義を元に戻している。(p.175)


・アラブ人は、ユダヤ人よりも低い基準で判断される。例えば、ダルフールの暴虐的な犯罪のように。(p.176)

この書は、2011年にスタンフォード大学フーバー研究所から出版されたものです。このフーバー研究所には、ダニエル・パイプス先生も、在外研究員のような形で関与されています。(ユーリ後注:2012年8月31日付で、フーバー研究所の方は終わりになったようです。2012年10月31日記)