ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「同窓会」に対する認識の改め

母校の同窓会事務局宛に、3月23日付で初めてご連絡をさせていただきました。昨年出席できなかった「先輩」の文化講演会の詳細について(参照:2011年1月28日付「ユーリの部屋」)、会報では、紙面の都合上、省略されている部分を知りたいと思ってのことです。
2月下旬、京都の大学でお目にかかっていたのですが(参照:2011年2月15日・2月28日・3月1日付「ユーリの部屋」)、ご講演のことを謙遜された上、4月からは外務省にお戻りになるとのことで、直接、詳しい内容について伺うことがはばかられました。

私自身は、距離的に離れたアジア域内ではあっても、イスラーム圏の研究を続けている関係上、現実問題として、イスラエルのことが間歇的に焦点となるため、「先輩」の当地での実体験やヘブライ語学習について、もっとお聞きしたいと思ったのです。そこで厚かましくも、もしあればということで、講演会全文のお原稿を送っていただけないかどうか、お願いしてみました。

さすがはやはり「同窓会」のよしみ、事務局長氏から早急にお返事が届きました。自分の手元にそのようなものはないが、会報編集者にメールを回すから、との由。とはいえ、この度の震災のこともあって、もう無理かな、とあきらめかけてもいました(参照:2011年3月23日・3月28日付「ユーリの部屋」)。

ところが昨日、編集者氏からお原稿が届いたのです!

早速、拝読しました。会報にもあったように、並外れた努力と貴重な実務経験、および、当初の目標であった学者を目指しての勉学遂行など、淡々と綴られていながらも、驚異的な人生だと実に感慨深く思いました。あの会報の記事および事務局長氏などの感想には、私も同感以外ないと、確認できました。
そして、単に、実務をこなしつつ学問への情熱を燃やすのみならず、細やかな観察や実直で温かいお人柄、丁重な礼節にも感銘を受けました。あの小さなキャンパスから、このように偉大な「先輩」が輩出されたことを思い、非常に強い激励をいただきました。
ご実家で読んでいたというローカル新聞、外交官の道へと導いた書籍が置かれていた中心街の有名書店、私も頻繁に通った市立図書館など、関西在住だからこその郷愁に満たされながら、(ここから「先輩」が、世界の檜舞台に華々しく飛び立って行かれたんだ...)と、胸躍る思いがしました。

私のこれまでの偏見では、中年までの「同窓会」とは、早々と社会的地位を築いた人達が自慢気に集まるところか、昔の「彼氏・彼女」に会いたいと期待し(ては、その挙げ句、がっかりし)たりする場か、どこか物欲しそうな顔をして、都合良く人脈なるものに擦り寄る所ではないか、と思っていたため、送られてくる会報を読み、生きている証として返信葉書を出し続けてはいたものの、とかく距離を置いていました。
でも、この度の一連の出来事を通して、「同窓会」のありがたさ、「先輩・後輩」関係の大切さを、新たに認識できたようにも思います。社会に出たら、世の荒波に揉まれるのは当然のこと。でも、身の寄せ場として、若い時期に同じ学校で規定年数を共に過ごしたという縦横の繋がりによって、定期的に集まって、旧交を温め直したり、新たな絆を作ったり、思い出に笑いを重ねて元気を取り戻し、再出発のエネルギー源とするのも、これまたよきことかな、と感じた次第です。

ここで若い方達への励ましと参考までに。「先輩」の言を、もし文字通り受けとってもよいとするならば、大学入試時点では必ずしもトップ入学というわけではなかったにせよ、外交官試験では、抜群の優秀な成績で通ったそうです。この道のみと、浪人覚悟で市立図書館に通い詰めて準備し、試験直前に整理していたテーマが、何とそのまま出題されたことも、運の左右に預かっていたようです。
また、組織に所属してはいても、結局のところ、与えられた仕事は自分一人で担当するもの。一つ一つの任務を確実に仕上げれば、次の仕事が任される、とも。そして、海外では、本国でどこの大学を出たかは問われず、とにかく、各時点でどこまで実力を発揮できるかが重要なのだそうです。(アメリ東海岸で留学と駐在を経験したうちの主人も、常々同じことを言っています。)
詳細は控えさせていただきますが、現代世界史の節目の重要な場面に、いつも「先輩」は同席されていました。これも驚くべきことで、「天命」と「自助努力」の両面が合わさったと、ご自身では分析されています。
私にとっても、誠に得難い貴重な巡り会いで、ただただ感謝と畏怖のうちに立ちすくんでいるといった感が否めません。
今後は、与えられたものを、どのように私自身の人生に適用できるかが問題です。少なくとも、もし何かつらい壁にぶつかったとしても、「先輩」の足跡を大きな励ましとさせていただけるならば、この上もなく幸甚なことと思っております。