ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ツィッター文を転載しました(2)

以下は、昨晩書いたツィッターhttp://twitter.com/#!/itunalily65)からの転載です。後日に備えての自分用メモ代わりです。

・今日の午後は久しぶりに、さまざまな意味で有名なアメリカ人教授の講演を3時間聴いた。ここ数日かけて、「予習」しておいたので、半ば想定通りの内容。英語は非常にわかりやすかったが、同意し難い点も多々あり。マレーシアの華人神学者や南メソディスト大学の先生と、本件について意見交換できる!
←(後注:「アメリカ人教授」については、英語版ブログに度々登場されていますので、そちらをご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20071015)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20071102)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20080102)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20080320)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20080522)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20080730)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20090713)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20091118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20091129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20110130))。
・少し休めてある原稿内容とも、間接的につながりがあり、これで一歩前進できそう。そういえば、マレーシアのカトリック大司教館の秘書さんからも、メールあり。私が書いたものを送ってほしい、とのこと。自分のテーマに支援が与えられることはうれしい。さらに、今日は、うれしい再会もあった。
←(後注:クアラルンプール在の「カトリック大司教館の秘書さん」については、2007年9月4日・2008年1月16日・4月24日・6月17日・2010年7月16日・8月4日・2011年4月8日付「ユーリの部屋」参照)
・それは、Ⅱ部立ての講演の際に、二度も質問された私の「先輩」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110406)。同窓生のよしみで、帰りも京都駅までご一緒させていただいた。イスラエル勤務経験者でヘブライ大学博士号所持者なので、話が通じやすく、講演者についても率直な意見を交わせたように思う。
・「大学とつながっておけば、こうして誰か有名な人とも会えるでしょう?」と「先輩」。確かにそうなのだが、著名人の発言に付和雷同する単純さではなく、きちんと自分なりに見分ける独自の目を持ちたい。それに、まだ山のようなリサーチ資料との格闘も残っている。集めてすぐ書くのではなく、寝かせる。
・もたもたして遅れを取っているようだが、寝かせた分、以前は頭が飽和状態で生半可な理解だったのが、今ならすっと呑みこめる。そこが肝心。今回の講演者に関しても、2年前にマレーシアの研究者と議論した時、お名前が出た。その時の反応が、これまた興味深くて、役立ったのだ。生きた研究経験を実感。
・それにしても私、ただの主婦に過ぎないのに、結構、重要な人々と不思議なようにお目にかかっている。得難い経験だ。やはり、マレーシアとの縁あってのこと。「先輩」からも改めて、「国文出身なのに、どうしてマレーシア地域研究?」と尋ねられた。そもそも、マレーシア赴任が原点だ。
・「先輩」からの励ましとなった言葉。自分の発言や発表内容を取り沙汰されるのは、「この世界(学界関連)では避けられない」「問題のある地域だから研究するのであって、日本はとりあえず問題がないから(欧米による研究対象から徐々に外された)」「イスラム地域と中国は、広いし問題を抱えている」。
←(後注)しかし、研究対象から外されるということは、「問題がない」かもしれないが、同時に「魅力もない」ということを意味するわけで、それは大変に残念なことではないか?
・一人で勉強していると、時々、深刻な問題がマレーシアで30年も続いていることに対して、これでは人生の消耗ではないかと嘆きたくもなっていたが、「先輩」によれば、今後もかなり長く、イスラーム問題は国際情勢や政治に関わるだろう、とのこと。それだけ、9.11のインパクトは大きいのだ、と。
←(後注:「マレーシアの深刻な問題」については、2008年3月29日・3月30日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080329)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080330)参照)
・同じことを、以前、同じくヘブライ大学博士号所持で旧約学がご専門の先生からも言われた。「がんばるんですよ」と激励の握手も。だから、やめるわけにはいかないのだ、と改めて感じた。自分のテーマに再度、使命感を覚える。「書いたものを送ってね」と言ってもらえるうちが花なのだし。さて、原稿に。
←(後注:「先生」については、2007年7月14日・2008年12月2日付「ユーリの部屋」参照。ただし、「激励の握手」は「花粉症同士」という時のもので(2008年3月16日付「ユーリの部屋」)、「がんばるんですよ」は別の日のことでした。ちょっと勘違いしていました!)

(転載終)


講演者の名誉と主催者に差し障りがあってはならないので、このブログでは伏せますが、自由社会に住む一般人としての私自身の率直な観察と印象については、要点のみ、ストレートに書かせていただきます。

1.同時通訳付きの第Ⅰ部の講演会場は満員(定員80名とチラシには有)で盛況であったこと。学生達も少々いたが、中年以降、一般のご年配が多くを占めていたか。場所を変えての第Ⅱ部も、クローズドと言われていたが、ビデオ録画を撮っていたので、恐らくは近いうちに公開されるだろう。
2.発表原稿を事前に入口で渡されたが、ほとんど即興で多様な話題を展開されていた。
3.You Tubeで事前に幾つか「予習」しておいたが、そのままの方であった。
4.華やかなジェスチャーに大きな声で話し続け、時間通りにピタリと終わる。これも「予習」通り。
5.聴衆からの質問に対しては、忍耐強く静かに聞かれるが、応答する時には、焦点を多少ずらしている。これは、どこでも使っているテクニックだと思われる。
6.出席者の中には、日本人ムスリム改宗者の教授、トルコ人男性、パレスチナ人男性も含まれており、当然のことながら、特別にムスリムに配慮する姿勢を見せる内容だった。
7.参加者のすべてが講演内容に同意しているわけではないだろうと、私は思うが、少なくとも、グローバルな政治において宗教一般が今やより可視的になっているという点では、合意に至ったと考えられる。
8.米国内の福音派クリスチャンや宗教右派をひどく批判していた。それは、そういう聖職者達のほとんどが、憎悪や軍事的なメッセージや反イスラーム、反ムスリムのメッセージをメガ・チャーチなどで説教しているからだ、と講演者は述べた。
9.8については、マレーシア文脈から、私は同意していない。講演者は、同一文脈での諸現象の幾つかを誇張しており、それを繰り返している。
10. 第Ⅱ部の後半では、講演者の長々と続くスピーチに、聴き手側はいささか疲れていたようだった。 
11. ロバート・スペンサーやダニエル・パイプスなど、反イスラームや反ムスリムのウエブ・サイトを強く批判していた。
←(後注:「ロバート・スペンサー」については、2008年5月9日・2011年12月17日付「ユーリの部屋」および2007年10月15日・12月25日・2008年1月7日・1月31日・4月30日・6月18日付英語版ブログ“Lily's Room”を参照。「ダニエル・パイプス」については、2008年2月28日・2009年5月3日付“Lily's Room”と2009年4月4日付「ユーリの部屋」を参照)
12. ただし、聖書物語については別件だとも述べた。
13. 総合しての私の印象は、a) クリスチャンの失敗が誇張されていること b) 講演は、講演者自身の立脚点に基づく一方的な説明や解釈であって、純粋な学術的「調査」に基づくのではないこと  c) 講演者の認識や分析における疑わしい客観性 d) 全体的に問題を単純化し過ぎていること
14. 私にとってなじみのある真剣で学問的な講話というよりは、むしろ、冗談を交えたジャーナリスティックでユーモラスな演説のように聞えた。
15. 何度も来日経験があり、大臣達とも話したことがあるとの由。明らかに、興奮した声調とエネルギッシュで疲れを知らぬ情熱的な話し方によって、一般人を惹きつける才能をお持ちである。
16. なぜアメリカ人ムスリムに対して「同情的」であるかのヒント:
自分と妻はブルー・カラー階級の出身でイタリア系カトリックの背景を持つ。このアイデンティティのために、白人プロテスタントアングロサクソンが多数派のアメリカ合衆国で、差別やステレオタイプに直面した。それ故、アメリカのムスリム移民に対する差別を見たくはないのだ、と。ある程度までは、それを私も理解できる。
17. テンプル大学での博士論文指導は、後に不可解にも殺害されたDr.Ismail al-Faruqiであるが、「知識のイスラーム化」を促進し、マレーシアに導入した人でもある。「Dr.Ismail al-Faruqiは、私の学問上の父のようだ」と、どこかで述べていた。
←(後注:2007年8月9日・2010年7月2日付の英語版ブログ“Lily's Room”にお名前有り。「知識のイスラーム化」の実態については、同じく英語版ブログの2010年12月18日を参照。また、2011年12月17日付「ユーリの部屋」および2011年11月17日付ツィッターhttp://twitter.com/#!/itunalily65)を参照)
18. しかしながら、高い地位にある有名な学者としての講演者が、感情的で全面的な共感で、現行の世界的なイスラーム傾向に適応するならば、我々としては、深刻な結果と影響を看過できない。特に、マレーシアの政治的イスラームに関する講演者の説明は、満足のいくものではない。 

上記の私見に対しては、同じ講演者の話を聞いたことがあり、2008年7月のマドリッドでの対話の世界会合やダラスで会ったこともあるという専門家から、次のようなコメントが寄せられています。

・同類の話を私も聞いたようだ。

・講演者の属している機関プログラムは、中東からの多額の資金提供によるものであるため、イスラームムスリムに対して大っぴらに批判的ではありえず、確かに客観的ではない。

キリスト教共同体について、講演者はあまりよく知らない。福音派についての彼の見解は誇張されており、非常に小さな一次体験に基づいている。

ムスリム諸国に住むクリスチャン達の状況を、あまり考慮していない。

・単純化の傾向がある。

・講演者が出版した、20年以上も前の著作の時の、ムスリム運動の初期分析にまだ密着しているようだ。
・あれから物事は変化しているのに、彼は変わっていないようだ。

何だか、ほっとしていいやら困惑するやら、正直なところ、参考事例としては興味深くても、マレーシアのクリスチャン達が昨今、頻度を増して直面している深刻な問題を思うと、何ともやりきれなくなります。