ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

3.11から一周年

先程、近所の図書館で本を借りた後、二階の共同テレビ東日本大震災一周年の式典を見ました(参照:2011年3月23日付「ユーリの部屋」)。
心臓手術後の療養中の天皇陛下が、朗々とお言葉を述べられる姿に、深く感じ入るものがありました。
特に国粋主義だとか尊王派だとか、そういうイデオロギー的立場からなのではありません。もっと常識的な感覚です。何と言っても私、1991年にマレーシアで両陛下と直接お目にかかり、しかも美智子さまからお言葉までかけていただいたのです。当時としては、日本国内でならば、到底あり得ない出来事でした。このことについては、朝日新聞朝刊「声」欄に掲載していただいたことがあります(参照:2009年11月12日付「ユーリの部屋」)。
ところで、そのお言葉の間、隣に座っていたおじさんが、缶入り飲料をペコペコさせながら飲んでいたのには、ちょっと腹が立ちました。いくら自由な世の中だとはいえ、こういう稀にみる自然大災害の犠牲者を追悼する式典で、日本国民の象徴であられる天皇陛下のお言葉の最中に、平気で飲み物を口に何度もできる神経って、ちょっと常識外れだと思いませんか?戦時中のように、不敬罪だとまでは申しません。ただ、何と言うのか、こういう大人が存在するという事実に、この先、日本はどうなるんだろうかと、かなり心配になってきたことだけは、一言申し添えます(「天皇制」に関するささやかな私見は、2007年12月14日付「ユーリの部屋」参照のこと)。
ただ、唯一の慰めは、反対側に立っていた子連れのお父さんが、「あのな、今、天皇さんがお言葉述べてはるんや。ちゃんと聞こうな」と注意していたことです。
帰宅すると、オーストラリアの友人から、メールが届いていました(参照:2011年4月4日・4月11日・4月18日・4月23日・5月31日付「ユーリの部屋」)。「あれから一年ね。今も祈りのうちに、あなたのことを覚えていますよ」と。本当に、不思議な友情関係が震災を機に戻ってきたものです。繰り返しますが、彼女が名古屋大学に留学中は、どの留学生に対してもできる限り「平等に」接しようと努力していた私ではあっても、なかなか打ち解けてもらえなくて、(おとなしい人だな)という印象だったのに、昨年の3.11が機縁となって、シンガポールのDを経由して(参照:2009年12月3日・12月10日・2011年4月8日・4月10日付「ユーリの部屋」)、メールや手紙やカードの連絡ができるようになったのです。
早速お礼のメールを書きました。イースターまでには、昨年のクリスマス・プレゼントのお礼に、私も何かお送りできればと願っています。