ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ハマスの闘争観

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緊急報告シリーズ Dec/27/2011
Special Dispatch Series No 4370

自爆こそ我が救済の道―ハマス系評論家の闘争観―


ガザで発行されているハマス系新聞Filastinに、「我々全員が殉教をめざす」と題する記事が掲載された。著者はハマス系評論家のシュレテー(Fakher Shreteh)で、パレスチナは、抵抗と火薬、そして大地を朱に染める流血を通してしか救済されないと主張、死より命を愛する者は、いつも戦いに負けると書いた。以下その記事内容である※1。



太地を朱に染める血と火薬でしか救済されない


我々は、アブラハムが捧げたように、我々の命を聖壇の地ガザに捧げる。パレスチナが末永く生きていくように、我々は誇りを胸に死の壮途につく。我が郷土を救済するためなら、我々は自分の命を犠牲にしてもよい。我々は、先人達の血を受け継ぐ者である。ヤセル・アラファト、ヤシンとランチシ(共にハマスの創設者。表記はAhmad Yassin、'Abd Al-'Rantisi)、シュカキ(Fathi Shqaqiパレスチナイスラム聖戦創設者)、ムスタファ(Abu 'Ali Mustafa人民戦線書記長)や郷土のため己れの血を犠牲にした人々と隊伍を組み、殉教の道を進む覚悟である。彼等はパレスチナのため己れをかえりみず、自由と友愛の地、過去と未来を結ぶ郷土のため、命を惜しまなかった。我々殉教の道を進む者は、自己犠牲の婚儀の目を待ち望んでいる※2。我々の心にエルサレムが成長を続け、エルサレムの愛が我々の血と血管に流れている。我々の裸体は、敵を木端微塵に粉砕する爆弾であり、我々の心は、無敵シオニストという神話を粉々に吹飛ばす火薬である。



パレスチナ人民の救いの道はひとつしかない。大地を朱に染める流血、敵を砕き我等の名誉を守る火薬と抵抗。救いはそこにしかない。奪われた土地、悲劇に打ちのめされた人民の名誉。問題はそこにある。この二つは、血を流してしか回復できない。これは、我々の先人達から学んだことである。カッサム('Izz Al-Din Al-Qasdam)そしてザイル、ジャムジョウム、ハジャジ(1929年のアラブ暴動で英軍に逮捕され、1930年に処刑された。表記はそれぞれ'Ata Al-Zeir、Muhammad Jamjoum, Fouad Hajazi)の足跡をたどって、アケル('Imad 'Aqel、カッサム旅団の隊長)、リッシ(Ahmad Abu Al-Rish、第1次インティファダのファタハ戦士)、ハラジン(Majid Al-harazin、イスラム聖戦の幹部)が、殉教の道につき、命を捧げた…。


我々には、耐えることを知る先人達がいる。まさに模範的人々であり、我々に勇気を与えてくれる。シェイフ(Umm Muhammad Al-Sheikh)或いはパレスチナ人女性ハンサ(Al-Khansa bint 'Omar)※3。彼女は、5人の息子を次々と失った。アルクドス隊の指揮官ムハンマド、マハムード、シャラフ、アシュラフそしてアフマド。彼女は息子達をアッラーに捧げた。貴人となった息子達に天国でまみえる準備をしたのだ。このような先人達から勇気を貰う我々の闘争に、敗北などあり得ようか※3。


地上から抹殺する、ユダヤ人は覚悟せよ


エルアクサの解放とパレスチナ国家の建設は、犠牲者なしで、棺と葬式なしでは実現しない。痛みと苦しみそして病なくして実現しない。イスラム共同体(Ummah)の理解するところであるパレスチナ人指導者の故アブアマル(ヤセル・アラファト)は、「パレスチナで殉教を願望せぬ者がいるであろうか。我々は全員がこぞって殉教をこい願っているのだ。イスラエル空爆、砲撃、ミサイル攻撃は続く。そして殉教の道を進む者が、毎日倒れても意に介しない…」と言ったように、老いも若きも男も女も、"数百万の殉教者がエルサレムへ向かって行進する"という有名な言葉を、頭に叩きこんでいるのだ。騎士に列された故シュカキ博士は、殺される前死の恐怖についてたずねられた時、「自分は長生きしすぎた」と言った。ムジャヒディンのヤシン師は、「私は死を恐れない。アッラーのおぼしめしで、我が郷土が解放される迄、ムジャヒッドの道をつらぬく」と言った。ムジャヒディンにとって死とは、郷土のために生きる第一歩にすぎない。死より生を愛する者は、敵との対決に負ける。殉教者の血は、イスラム共同体の香料であり、飾りであり力である。


以上述べたことから、結論は明らかである。パレスチナ人の血を大地に注ぎ続けることが、パレスチナ確保の真(の道)であり、所有権のあかしとなる…屈辱のもとで生きるより、名誉の死を遂げた方がよい。我々は、現世に執着せず、真直ぐ背をのばして死ぬ。


シオニスト軍は、この戦士達と殉教道を進む者を前にして、恐れおののき、挫折感を味わっている。自爆作戦は、鉄拳の如く占領者の指を砕き、その占領者はたじろぎ、周章狼狽し、混乱する。敵は進撃できず、野望の追求ができなくなる。パレスチナの抵抗は、シオニスト占領軍を畏怖せしめ、彼等は汚辱にまみれ尻尾をまいて、ガザから出て言った。ムジャヒディンは、占領兵の心に恐怖を植えつけた。胸にコーランを抱きライフルを手にして突撃してくる戦士を見て、占領兵はぶるぶる震え出す。



イスラエル人が痛感しているように、今日は昨日とは違うのである。今や彼等は、強大なムジャヒディンの軍に直面するに至った。やがて、殉教と解放の婚儀の時は来る。ムジャヒットが、天国で永遠の生を得るため、己れの命を犠牲にしてアッラーに捧げる時がくるのだ。シオニスト達は今に自分の末路を知る。殉教者が屍衣を身につけ、己れの心を両手に捧げ持ち、死を恐れぬ自爆作戦を敢行する時、終りがきたことを知るのだ。ユダヤ人達は、パレスチナ人達が神の約束に従って立上り、自分達を一掃することを知っている。


※1 2011年12月13日付Filastin(ガザ)
※2 殉教者の葬儀は伝統的に婚儀と称される。殉教者は花婿、天国で処女達の許へ案内される。
※3 ハンサ(Al-Khansa Bint Omar、殉教者の母とも呼ばれる)は、イスラム前の女性詩人。預言者ムハンマドの時代にイスラムへ改宗、カディシャ(Al-Qadissiyya)の戦いで4人の息子を失くした。

(引用終)