ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

訃報  ネラン神父

ある方によれば、こちらは決してそんなつもりはないのに、私の話には「突然」が多いそうです。ともかく、前置きなしに訃報を。

http://www.tokyo.catholic.jp/text/diocese/oshirase/110324fuhouneyrand.htm

東京教区司祭 ジョルジュ・ネラン (Georges NEYRAND) 神父様は、東京都小金井市の聖ヨハネホスピスにおいて、本日3月24日(木)午前3:35、すい臓癌のために帰天されました。(91歳)


故 ジョルジュ・ネラン(Georges NEYRAND)神父の略歴
 

1920年 2月 2日 フランス・リヨンで生まれる
1920年 2月 8日 受洗
1950年 6月 29日 フランス・リヨン カテドラルで司祭叙階
1951年 9月 Société des Auxiliaires des Missions入会
1952年 12月 9日 来日
1953年 9月 長崎司教館付
1956年 9月 麻布教会助任司祭
1957年 9月 真生会館付
1963年〜 ネラン塾指導
1970年 5月 真生会館理事長
1980年 7月 エポペ設立
1988年 7月 司祭の家
2011年 3月 24日 帰天(91歳)

お目にかかったことはないのですけれども、一つの時代が終わったかのようで、喪失感。
真生会館とは、かれこれ20年以上続いている趣味のスペイン語に関して、検定試験の申込書の宛先だったので、学部時代からご縁がありました。
たまたま、今年2月のフランス旅行の時、これまで度々ご登場の「“ハイチのマザーテレサ”のご親戚でいらっしゃる、ハンサムで気品のある素敵なおじさま」(参照:2011年2月23日・2月24日付「ユーリの部屋」)と同じテーブルでお昼をいただいた際、真生会館の話題が出ました。思わず私が反応すると、「(カトリックじゃないのに)どうして知っているの?」という流れになり、(何でも勉強しておくものだなぁ)と一人で感激していました。今回も、やっぱりネラン神父さまとご関係があったことが再確認できた次第です。
エポペについては、マレーシアから帰国後、カンボジア難民の高校生の勉強のお手伝いをするアルバイトのために平日通っていた恵方町教会で(参照:2007年11月5日付「ユーリの部屋」)、当時そこの司祭でいらした後藤文雄神父さまから、手作りのお料理が出されたある夕食時、私が持ち出した話題で、今でも思い出深いものです。「ネラン神父のエポペの本を読みました。カトリックってすごい。そこまでなさるんですね」と申し上げたら、「ネラン神父は同僚。でも、プロテスタントの人達だってよくやってますよ」と、非常に和やかな団欒の時でした。 もう、かれこれ17年ぐらい前のことになりますか...。

時々ブログで読ませていただいているシスターのエッセイも、含蓄が深いものです。よろしければ、どうぞお読みになってください。
http://laudate.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-8948.html
そして、こちらも...。(http://www.epopee.co.jp/neyrand.html
つくづく、よく日本に来てくださって、と思います。長い間、ありがとうございました。遠くより、永遠の安息を祈念申し上げます。