ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

草の根レベルでは

昨日、後藤文雄神父さまから金祝のお礼状が届きました(参照:2010年10月24日付「ユーリの部屋」)。50年も司祭を続けるとは、私の実人生以上の年月のため、想像もつきませんが、第二ヴァチカン公会議の大刷新を経て、教会のあり方が昨今は大きく変わり、ご苦労の連続だったのではないか、と拝察いたします。
神父さまの教会は、吉祥寺の街中にあり、マンションの一階部分を教会関連施設に使っていて、一見、気づかないで通り過ぎてしまいそうです。初めて訪問した時には、(狭いなあ)と感じたのに、次に行った時には(上手に敷地を使っていらっしゃるなあ)と、毎度印象が変わる、不思議な場所です。
また、全国紙の訃報欄で、時々この教会での葬儀ミサの日時が掲載されるのを見かけますが、社会の指導的立場にある方や富裕な方が目立ち、(意外な方がカトリックだったんだなあ)と、知らなかったために、最初はびっくりしました。
そこで思い出した話ですが、名古屋の教会に転勤が決まった時、東京の信者さん達から「神父さま、何か悪いことでもなさったんですか」と尋ねられたそうです。つまり、東京から名古屋へ移ることは、いわば「島流し」ないしは「左遷」のように思われたのだそうです。かたや、父方母方とも祖父母の代から名古屋居住の、名古屋人三世の私にとっては、そういう見方そのものが理解できず、返事に戸惑いました。東京へは用事のある時しか行かず、行けば必ずさっさと帰って来たい所。名古屋なんて、ずっと昔から政令都市で、本州の中程にあって、良くも悪くも知名度はそこそこ。(何をおっしゃっているんだろう)と気にも留めませんでしたが、カトリックヒエラルキーの部分投影のようで、今となっては考えさせられるものがあります。
来年のフランス旅行は、実はカトリック大司教さまが団長のグループ。だから、楽しみにしながら、毎日30分ずつ、フランス語の学習に励んでいるわけです(参照:2010年10月13日・10月20日・11月4日・11月14日付「ユーリの部屋」)。この大司教さまは、神戸のご出身なのですが、お年よりも遙かに若々しくダンディで幅の広い方です。数年前に、ヨハネ福音書のご講義をうかがいましたが、プロテスタント神学者のことも勉強なさっていて、あんなにお忙しいのにさすがは、と印象づけられました。
プロテスタントから見たカトリックの欠陥については、これまでさんざん読んだり聞かされたりもしましたが、今の時代には、草の根レベルでこのような交流もあるということです。