ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

他流試合の大切さ

先程、マレーシアの銀行から通知が届きました。案の定、本売りビジネスを始めた上に、こちらを威嚇までした人が(参照:2011年1月20日・1月21日付「ユーリの部屋」)、私の小切手を早々に使い切っていたことが判明。フェイスブックでは、相変わらず気楽そうに、周囲の人達と一緒の教会活動の写真を載せたりしているのですが、こっちの気も知らないで、とイライラします。もう、院長に言いつけてやるぞ!
「怒ってるだけ、まだユーリには修行が足りず、未熟だってことだよ」と、主人にたしなめられました。でもやはり、人間、怒るべきところでしっかり怒らなければ....。そう言えば、「個性重視」「褒めて育てる」方針で大きくなった人が増えたためなのか、最近の若い子達は、親にさえ叱られた経験がなく、一言注意するにも「自殺するんじゃないかしら」とハラハラさせられるなどと、渡辺和子シスターが数年前におっしゃっていました。ともかく、自分の子なら、発覚次第、即座に張り倒しですけどね、上記の事例。

さて、一昨日は、神戸バイブルハウスでエキュメニズムに関するご講義の第二回目(注:エキュメニズムに関しては、2007年12月18日・2007年12月22日・2007年12月28日・2008年2月4日・2008年7月5日・2010年8月11日付「ユーリの部屋」を参照のこと)。
「漫談のようになって、次回は来てくださらなかったらどうしようか」とのことで、追加資料や回覧用の拡大写真コピーも何枚か用意していただき、時間を少し超過して、熱心にいろいろとご説明くださいました。受講生が初回よりも少し増え、いい時間だったと思います。
ありがたいことに、前回終了後の15分間の個人質問のおかげか(参照:2011年1月14日付「ユーリの部屋」)、顔も覚えていただき、今回は、玄関先で先生の方からにこやかに会釈してくださって、ちょっとだけ報われた気分に...。
約二〇名ほどの小さな集まりとはいえ、ご年配であっても、概して熱心で温かい人々が多くて刺激になりますし、先生と個人的にお話させていただくのに、いきなり他所の大学に出向くことはいくら何でも敷居が高過ぎるため、このような機会をねらっているわけです。その辺りは、我ながらフットワークが軽い方だと思っています。
講師ご紹介では、「反体制派」による大学紛争の頃の話。「先生は大変な思いをなさって」との由。前回、ご本人による「パーソナルにお話ししないと」という自己紹介では、「経営上の問題で青山学院に神学科がなくなったので、関西にトラックで荷物を運んで来た」とさらりとおっしゃっていましたが、あの紛争の話は、当時、幼稚園児だった私にとっても、本当に嫌な時代でした。後の時代に生まれて幸運だったとさえ言えます。明らかに、あの期間に学生生活を送った世代は、知的訓練や知的水準がガクンと異なっていると、下の世代にだって感じられるのですから(参照:2010年2月3日付「ユーリの部屋」)。また、青学の神学科の問題については、荒井献氏のエッセイ本(参照:2008年2月16日付「ユーリの部屋」)で読み、(なんだそうだったのか)と重く憂鬱な気分になったことも思い出されます。
受講料をわざわざ払って時間を割いて集う一般向け講義の方が、単位取得を半ば強制的な目的とする若者向けの大学講義よりも、講師の実力が反映されやすいと聞きます(参照:千野栄一外国語上達法岩波新書329(1986/1989年)p.113-114. 2007年8月11日・2007年12月17日付「ユーリの部屋」)。一般人はたまたまその筋の専門ではないだけで、人生経験その他の知識や知恵を兼ね備えている場合もあります。また、当日にならなければ、誰が何人出席するかわからないというスリリングさも妙味です。
今回は、思い切って一人挙手して質問もさせていただいたのですが、場所柄をわきまえた内容にしたつもりであっても、あらら、見事にミス・コミュニケーション。先生が、こちらの意図を読み違えて答えられてしまいました。ついでに、ドイツ語もちょっと違うような...。(慌てて、帰宅後、辞書で確認しました!)ま、いいか。あまりいじめないように心掛けなければ...。でも、だからこそ他流試合が重要だと思っているし、好きなのです(参照:2007年9月17日・2007年12月17日付「ユーリの部屋」)。