ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

横尾美美さんのギャラリー展

昨日のブログは、何やら意味深長な悩ましい終わり方をしてしまって失礼いたしました。受難週に入ったというのに、何という不謹慎な...!?
教会からいただいてきた機関誌「イクトウス」(No.718)には、大変意義深いことが書かれてありましたので、お詫びがてら、少しく抜粋させていただきます。

・突き詰めるだけのことをやって(知を働かせて)真理に到達し、あとは静かに待つのです。信じて希望を持ち、相互愛によって生をさらに確かなものにして行くのです。困難や悲しみの中にある人の心を受けとめ、お返しする思いやり・愛を深くしていきましょう。


・祈りは絆ですから、大切なのは相手との絆の深さであり、目に見える量や長さではないのです。


・しかし、祈りにおいてわたしたちはすべての人と、すべての人の苦しみと連帯することができるのです。このことを信じなければなりません。これが教会の確信なのです。


・そして親しくなるとその人はそのままで相手に似てくるのです。似てきたら相手が何を望んでいるか分かってきます。それが周りに広がっていきます。福音宣教とはそういうことです。

オーストラリアのCさんが、昨日もまたメールをくれました。4月16日の京大シンポで(参照:2011年4月16日付「ユーリの部屋」)、「それまで潜在的に存在していた事柄が、災害を契機に顕在化する」という意味のことを聞きましたが、その当否はともかくとして、私達に関して言うならば、この度の震災によって22年ぶりに友情が戻ったなんて、不思議といえば不思議。繰り返しますが、22年前の彼女は、お茶に誘っても、恥ずかしそうにしてあまりしゃべらず、とにかく寡黙で、(日本が合わないのかな?それとも、私の誘い方が下手だったのかしら?)という感じを受ける、内気でおとなしい国費留学生でした(参照:2011年3月24日付「ユーリの部屋」コメント欄)。
それはともかく、この頃、彼女が繰り返しメールに書いて送ってくれていることは、まさに、上記の引用文と呼応するのです。
2011年4月11日付「ユーリの部屋」の末尾で、イザヤ書6章13節を引用いたしましたが、彼女に、欽定訳を添えて伝えたところ、「なんて美しいんでしょう!メールを印刷して、自分の聖書にはさんでおくわね」と。ネイティブにとっては、やはり今でも欽定訳が響くのでしょうね。ちょうど私が、文語訳を好きなように...。
聖書のことばを軸に、深いところで友情がさらに確かになる経験は、何よりも代え難いものです。

前置きが長くなってしまいましたが、今日の午後は、大阪の肥後橋近くにあるギャラリーへ行ってきました。コウイチ・ファインアーツという、静かで感じの良いところで、1時間15分ほどたっぷり過ごしたのです。
横尾美美さんの作品展が大阪で初めて開かれるということは、2月初中旬のフランス巡礼旅行でご一緒だったおかげで(参照:2011年2月24日付「ユーリの部屋」)、旅行最終日の朝食時に、ご本人から直接うかがいましたし、実際、今月上旬にご案内のお葉書をいただきました。また、「ハイチのマザーテレサ」のご親戚である素敵なKおじさまからも(参照:2011年2月23日・2月24日・3月29日付「ユーリの部屋」)、初日のオープニングレセプションにお誘いのお電話がかかってきました。ただ、残念ながら当日の4月9日は、ギドン・クレーメルの演奏会という先約が入っていて(参照:2011年4月11日付「ユーリの部屋」)、申し訳ございません、ということに。
なんと今日、私がギャラリーに着いた2時20分より「小1時間ほど前に、Kさんご夫妻が来られていました」と係の方がおっしゃるのです。あららん。なんだか、フランス旅行以来、写真交換会にせよ、オープニングレセプションにせよ、友の会総会にせよ、どうも都合がミスマッチで、なかなかお会いできません。あまりにも私が「素敵な」と形容詞をつけているせいかしらんね。誰かが嫉妬して邪魔しているのかも。でも、5月にはテレマンの演奏会で、また神戸へ行くので、その時こそ....。
そのレセプションの際には、フランス旅行で知り合った人達が大勢集まって、作品を見る以上に親睦会のようだったそうで、皆様でお食事もされたとか。それほど、美美さんの魅力というのか吸引力というのか、あるいはカトリック動員力は、相当なもの。
私自身、池長大司教さまと二人並んで歩かれている美美さんの姿を、パリ到着後のホテル・ロビーで初めて拝見した時には、(わぁ、すごい組み合わせ!絵になるわ!)とドキドキしたのみならず、(なんだか私、間違った所に紛れ込んじゃったのでは...)と内心びくびくもの。ところが、そこを見透かしたかのように、Kおじさまが、私の腕をとって、「ユーリさん、大司教さまのところへご挨拶に行きましょう」と優しく誘導してくださいました。(単にハンサムのみならず、女性の扱いもお上手なんです!)
おかげさまで、非カトリックの私が、スムーズに旅行団に溶け込めました。とはいえ、私の周囲では、いつでも美美さんのことがちょっとした話題になっていて、「若くてきれいやもん」とか、お住まいからして違うとか、美美さんの著名な画家のお父様と大司教さまが親しいご友人でいらっしゃるなど、私にとっては、雲の上というより、住む世界がそもそも違う、という....。
普段、音楽ばかり聴いている私は、現代美術系のことが、ほとんどわかっていなかったんです。そのこともあって、旅行中、特に親しくお話するという機会は、あまりありませんでした。とにかく、着るものからしてファッショナブルで、どの角度から写真を撮っても絵になる方で、何かをじっと見つめる視線に、独特のまなざしが伴っているということだけは、途中で気づいていました。そして、たまにお声をかけてくださる時など、(可愛らしい方だな)と思っていました。
それ以上に、美美さんといえば、カトリック信仰のとても篤い方という印象を強く受けました。今回のフランス初旅行で、私自身、本当に多くのことを感じ、学び、恵みをたくさん与えられましたが、とにかく、彼女の聖母マリア崇敬の深さと敬虔さには、とても驚かされたというのか、これまで経験したことのない感化のようなものを受けたんです。
毎日の御ミサでは、たとえ一人であっても、必ず白いレースの被りものをまとって出席されていたし、聖ベルナデッタのご遺体がガラス棺におさめられているヌヴェールの修道院では、夜の自由時間に、御聖堂の前方で、大司教さまと二人、いつまでも静かにお祈りされていました。かくいう私も、その姿を後ろで見ながら、しばらく座っていたのですが。
その夜の私の切実な祈願は、「この4月からの研究や勉強の方向性をどうしたらよいのか」というもの。そもそも、フランス旅行の主目的は、(ルルドの水を持ち帰って、是非とも主人に飲ませたい)という一念だったのですが、あの夜はどういうわけか、(私、とうとうここまで来ちゃった...)と、楽しいはずなのに、急に涙が止まらなくなって、一人でしんみりしていたんです。今振り返ってみると、ちょうどあの頃は、これまでの複雑で混乱した経緯を反芻し、新たな道を模索すべく、迷いを整理して払拭するには適切な時期だったのではと、思います。
ただ、(私は決して一人じゃない)と思えたのは、前方に美美さんがいらしたから。美美さんも何かを求めてここにいらっしゃる、と同志のような連帯感を(誠に勝手ながら)持っていました。
カトリックではない私が、こういうことをしても、果たして道が開かれるんでしょうか。聖べルナデッタのことについては、実は私、学部三年の頃から、愛徳姉妹会のあるシスターを通じて、少しは知ってはいました。でも、聖書には書かれていないことなので、特に何かを進めていくということもなく、かといって、積極的に否定する根拠もなく、そのまま、カトリックの教会伝統ではそういうことなんだろう、という程度に留めておりました。
と、例によって例の如く、話はつい長くなってしまいましたが、今日のギャラリー展で作品を見せていただき、上記の思い出というのか経験の意味が想起されたんです。
彼女の作品は、とにかく緻密で丁寧な作業と鮮やかな色彩感覚、そして、独特の発想と感性、立体感覚の奇抜さ、といったものが際だっています。ビーズや金粉や貝殻、小さな動物のオブジェのような素材を組み合わせた、おもしろい作品でした。信仰心が篤いとはいえ、必ずしも宗教色が前面に出ているのではなく、日常的な食べ物をテーマにした作品も幾つかありました。
係の男性が説明してくださったには、「美術学校を経ずに、このように才能が花開いているのは、素晴らしいことだ。恐らく、お父様の血を引いていらっしゃるのだろう」との由。と。シンメトリーの図柄も、普通は左右なのに、美美さんの場合は上下の構図であって、それが見事なバランスを醸し出しているのだそうです。
それに、オノ・ヨーコさんの帯ことばが入っている『横尾美美画集 1993−2006』を見ていると、ヒンドゥー教や仏教をテーマにした作品、官能的な女性像、十二支、日常的な和風の料理を描いたものなどもあり、芸幅を感じさせました。
女性が女性を官能的に描くとは?この辺りの心理や動機についても、いつか機会があるとすれば、ご本人にお尋ねしてみたいなどと思っています。
ちょうど、私よりも少し後に入って来られた、さっぱりした顔立ちの女性とお話する機会を得ました。その方は、新聞で展覧会の記事を見て知り、切り抜きを手帳にはさんで、ここへ来られたのだそうです。話しかけられて、一緒に座って上記本を眺めたり、美美さんと知り合った経緯などをお話したのですが、よい時間が過ごせました。作品を媒介に、初対面の方と気さくにいろいろお話ができたなんて、美術館ではなく、ギャラリーならではこそ。
ありがとうございました。今後も、ますます意欲的な作品を生み出されますように!