ありがたみは後にわかる
今日、感じたことの一つは、「押しつけ」という、一種の逆説的な決めつけ。
押しつけかどうかは、実は、外部者が表面的な行為をその場で見て、勝手にそう思っているのであって、本人達は喜んでいるのかもしれないのです。そして、その時にはわからなくても、後になって、感謝することもあり得ます。
私の場合がそうでした。子ども時代に、わけがわからなくても習慣として、とても上手に楽しく導入され、キリスト教の文語体の祈祷を、毎朝、暗唱するような時期を過ごしていました(参照:2008年1月27日付「ユーリの部屋」)。もちろん、先生から、だいたいの意味は教えてもらっていました。そして、「おうちでも朝晩、お祈りしましょうね」と。まじめな私は、布団をかぶって、こっそり唱えていました。
今から思えば、おもしろい時間。だって、普段は使わない言葉が出てきて、(何だろう、これ?)なんて考えるのも、遠い彼方(天国)に向かって想像がふくらみ、それが楽しかったのですから。
そして、隣の子達と一緒に、祈祷のある箇所になると音がおもしろくて、クスクス笑っていました。先生に注意されながらも、やめられなくて...。
あ、思い出しました。先生が、「お友達には親切にしましょうね」と話してくださったので、素直な私(?)は、その通り、みんなでひざまづいてするお祈りの時間にも、隣の子のブラウスの襟が乱れているのに気づくと、「しんせつ」のつもりで、直してあげたのです。すると、その隣の子も別の子の襟を直してあげて...と連鎖していくうちに、先生から叱られました。「ユーリちゃん、あなたが一番最初にしたんでしょう!」と。(わたし、しんせつのつもりだったのに...)とブツブツ。三人とも、しばらくは椅子に座らせてもらえませんでした。
(でも、どうして先生、お祈りの時間なのに、わたしに気がついたの?)と、帰り道に考えたのですが、家に着くと、すっかり忘れてしまって、ご機嫌に遊び始めました。
これはカトリックの幼稚園でのお話(参照:2008年9月3日・2009年1月16日・10月23日・2010年11月14日付「ユーリの部屋」)。三歳年下の妹も同じ所に通っていましたから、小学校低学年までは、学校と併行して、時々は幼稚園に遊びに行っていました。ちょうど、第二ヴァチカン公会議後だったので、今から振り返っても、いきいきとした、新鮮で活気溢れる、陽光のように明るい雰囲気。白人神父さんから、とても丁寧な日本語で話しかけられつつ、七五三に千歳飴をいただいたり、同じく白人修道女達から、にこやかに温かく接していただいたり...。
あれがなければ、恐らくは今の私もなかったでしょうねぇ。外国人に対する心の垣根のようなものは、日本だけで育った普通の日本人よりは、多分、少ないだろうし、海外に出たら、その国の言葉や文化を尊重するのは当たり前だ、という...。
このことは、心から感謝しています。フランス旅行前の説明会の際、大司教様にも申し上げました(参照:2011年1月18日付「ユーリの部屋」)。
この文語訳祈祷、中学や高校の思春期になると、ふと思い出されて、古典の授業でもこっそり役立ったのです。なるほど、少しずつ、意味が解けてきて、それも楽しかったなぁ、と。
そして何と、2月のフランス旅行で(参照:2011年2月24日付「ユーリの部屋」)、関西国際空港に到着して荷物を待っている間、形式的にはプロテスタント教会に籍はあっても「心はカトリックよ」という女性と、もう一人の看護師だったカトリック女性の二人が、突然、その文語訳祈祷を唱え始めたのです。「あ、それ私も唱えられる!」と私。ちゃんと記憶から取り出せました。幼児期の教育のすごさを実感した瞬間でした。
そういう温かくて楽しかった経験を持つ者に対して、果たして、「押しつけ」だと言えるのでしょうか....。記憶では、誰も嫌がってはいなかったのに。