ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

希望はどこにあるか

昨日は、少し前に録画しておいた『ヒラリー・ハーンのポートレイト』を見ながら、震災前に新しく入った二重システムの本棚(参照:2011年1月10日・2月28日付「ユーリの部屋」)に、畳三畳分に積み上がった資料やファイルの山を整理し直していました。
埃がついているので、アルコールを湿らせた布で拭いて、テープを貼り直して棚に並べるのです。なかなか作業が進みませんが、震災を経験された方達はどこでも、想像できないほどのひどい状況から、一つ一つ掘り起こしされていることを思い浮かべ、がんばりましょう。
数え切れないほどの余震で、いつ物が落ちるか気が気じゃないという地域に住んでいる方達にとっては、恐らくこれを読んで、複雑な気持ちだろうことと思います。どういうわけか私も、しばらくは本棚に資料を入れる気力が萎えてしまっていました。
でも、始めてみると、頭の中も少しずつ整理され、気分が落ち着いてくるので、今後の勉強のことを考え、希望を抱いて進めていこうと思います。
根拠なき希望?
そう言えば、何年か前のある研究会で、ちっとも解決せず、無闇に長引かされているだけの問題に、苛立ちの感情を滲ませながら言及したことがあります。すると、発表後の質疑応答の時間にさっと挙手された京大の専任の方が、「では、希望はどこにあるのですか」と、いささか皮肉っぽく(と私には思われ...)質問されました。
思わず、(希望をつぶしている側はどちらですか!)と言いたかったのをぐっと抑えて、何やら返答だけはしたことを覚えています。そういう経緯の繰り返しがあるので、私自身、大方はまとまっているとはいえ、いったん発表したものは二度と見たくなくて、資料の山をきちんと整理する気に、なかなかなれなかったということもあります。(←人のせいにするな!)
その辺りの事情については、英語版ブログ“Lily's Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20110414)をご覧ください。マレーシアとシンガポールに長らく関わっていらして、私も随分お世話になってきた、南メソディスト大学パーキンス神学部のロバート・ハント博士が(参照:2007年10月20日・2008年3月28日・9月1日・9月25日・10月28日・11月6日・12月29日・2009年2月13日・2月16日・4月27日・8月14日・11月6日・12月30日・2010年6月13日・8月11日・8月15日・8月19日・9月15日・9月17日・9月20日付「ユーリの部屋」)、極めて簡潔に、しかも勇気をもって単刀直入に書かれています。
ところで、昨日の朝日新聞夕刊には、演出家の蜷川幸雄氏の「人生の贈りもの」と題する連載インタビュー・コラムが載っていました。
そこで印象に残った言葉は「自分が信じていることを黙ってやっていればいいんだ」。
氏の「王女メディア」は、1990年代前半、マラヤ大学に勤務中の頃、国際交流基金がクアラルンプールに招いて上演されたことがあります。私も、地元の友人を誘って見に行きました。さまざまな意味で、思い出深い演劇でした。
そして今、氏の言葉が迫ってきます。そうです、それがひいては希望を生むのです。もっとも、何をどのように信じるのかが大問題ですが。