ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

中東情勢に関するシンポ

今日の午後は、久しぶりに京大稲森財団記念館へ行き、地域研究コンソーシアムと京大地域研究統合情報センター主催の「地域の知」シンポジウムに出席しました。
「中東から変わる世界」と題するテーマは、メディアでお馴染みとなったチュニジアの「ジャスミン革命」に端を発する中東の政治情勢について。一言で感想を述べるならば、「いろいろな意味で、知的刺激に富み、立体的で大変おもしろかった」です。
この稲森財団記念館の敷地には、かれこれ18年ぐらい、不定期に通っています。もっぱら、研究会出席や図書館資料を利用するためでしたが、馴れ初めは、マレーシアから帰国後、名古屋でお世話になり、貴重な文献をそっくり譲ってくださったT先生(参照:2009年1月16日・2010年3月9日・2011年2月17日・3月2日・3月8日・3月30日付「ユーリの部屋」)のお薦めで、東南アジア研究センター(当時)の夏季研修に参加したのがきっかけ。「この研修を受けた人達から、いい研究者が出ていますよ」と、わざわざ申請用紙を持ってきてくださったのです。
当時の京大は、とにかく自由闊達で新しい発想をおもしろがる雰囲気に満ちていて、教授以下ほとんどの先生方が全く先生ぶっておらず、誰でも「さん」づけ。ついでに、選考で研修を許可された私達も、まだひよっ子なのに、とりあえず「研究者になりますよね」並みの扱いをされ、ばりばりの京都弁で、対等に真っ正面から議論で迫ってきてくださったものです。もういなくなった(亡くなった)先生方も含めて、とっても懐かしく、ひたすら感謝の念にあふれるばかりです。
理系と文系が相補関係にあるという手法の重要性も、ここで学びましたし、「学際」なんて用語が邪魔なぐらい、先生方が自由自在に知の越境往来を楽しんでいらっしゃいました。もっとも、この頃の東南アジア研究は「ちょっと変わった人達がやるもの」みたいな、ややマイナーな扱いでしたし、それだけに、個性的な少人数で切磋琢磨する、厳しくも熱気溢れる環境でもありました。
その中で、私自身、大変に啓蒙されつつも、どこか自分本来の趣向とはやや異なっているような感も抱いており、自己の位置づけに苦心もしていました。今年に入って、やっとその答えというのか、どこに基軸を置いてバランスを取っていくかが見い出せたのです(参照:2011年4月1日・4月10日付「ユーリの部屋」)。知的武装によっては自分の根底基盤をごまかすことはできないのだから、最も大切な部分を重視すべきである、ということ...。その決心に、18年もかかった!長いといえば長い道程、でも、やっと落ち着きどころが見つかり、これからは颯爽とした気分で進めそうです。
ちょうど、しばらくご無沙汰していたマレーシア研究会(現:マレーシア学会)で、長らくお世話(たまには喧嘩腰?)になってきた同世代のY先生から、受付でご挨拶がありましたので、早速ご報告を。「ようやく私、まとめる気になりました。少し距離ができたんですが、また出没しますので、よろしくお願いします」と。
さすがは察しの早い方だけあって、これからは、心理的にスムーズにいけそうです。よかった...(と、単純かつ勝手に安心)。
実はこのシンポジウム、東京で開催されるはずだったのが、震災のために京都に移動することになりました。ところが、その対応がこれまた迅速で、何ら問題なかったようです。さすがは(と宣伝めいて繰り返しますが)、マレーシア学会の関係者が中心になっているだけあります。そもそも地域研究コンソーシアムの会長が、11年前の私の「短期指導教官」だったのですから(参照:2009年12月30日付「ユーリの部屋」)。
酒井啓子先生や藤原帰一先生など、メディアでも有名な方の肉声を目前で聴けたことも、有意義でした。余談ですが、やっぱり酒井啓子先生は、雰囲気がどこかジェシカ・スターンに似ていらっしゃるような気がしてなりません(参照:2008年5月8日付「ユーリの部屋」)。そして、私の「先輩」が、京都での講演会の時(参照:2011年3月1日付「ユーリの部屋」)、外務省に100名以上いるという「アラビスト」が展開する華やかな世界に言及されたことを裏付けるかのような、多岐にわたるスケールの大きいプログラムでした。
それでも不思議なように、理解に困難を来さなかったのです。と同時に、「語られていない部分」にも気づいてしまいました。なぜなのかはわかりません。一つだけ考えられるのは、私自身が、マレーシアに関して、マイノリティに焦点を当てて勉強やリサーチを続けてきたからではないか、と。
とはいえ、震災の影響で、停電や余震の揺れに悩まさるばかりか、ただでさえ、情勢変化が大きい流動的な地域の性質から、膨大な情報に溢れつつも、さすがはプロフェッショナル精神抜群、どなたもよく整理され、見事なご発表でした。
「賢者は沈黙する」を前提とするイスラエル側の初期分析の一つは、2011年1月31日・2月21日付「ユーリの部屋」をご参照ください。