ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

いざという時に

韓国元駐日大使で法政大特任教授の崔相龍氏が、このようなことを書いていらっしゃいました(今日付の朝日新聞朝刊)。

東京都知事の「天罰」発言は韓国でも大きく取り上げられた。また、韓国内で強い影響力のある長老牧師が「無神論、物質主義などへの神様の警告」と述べると、信者や市民から批判が殺到した。こういう粗っぽい「極端主義」は何の役にも立たない。

頼もしいなぁ、韓国の信者さん達。とかく「権威主義的な韓国の基督教」と言われがちな教会でも、このように、きちんと反応できるだけの成熟した信者層が形成されている、という....。現実社会でしっかり生きている一般信徒の方が、‘健全な’思考ができている証左なのかもしれませんが。
震災を契機に、ニュージーランド長老派のメーリングリストで、さまざまな角度からの考察やエッセイなどを読ませていただいています(参照:2011年3月24日付「ユーリの部屋」コメント欄)。今朝も届いていました。
移民社会という背景もあるためか、基本的に歴史意識と共同体意識が強く、今では壊れてしまった教会の、元の古い黒白写真を出してきて、「この時にはこうだった、あの時には、...」などという思い出の共有あるいは紹介などがあり、多くを学ばされています。
こういう教会から、ロックスボロフ先生のような方が生まれ(参照:2011年2月23日・2月24日・3月1日・3月23日付「ユーリの部屋」)、まだ生活が不便だった1980年代のマレーシアで、神学教育と教会資料の掘り起こしおよび整理という丹念な仕事に従事されたのですね。初めてマレーシア神学院内でお目にかかった時、「先生のお仕事がなければ、私は、マレーシアのキリスト教について、何もわからず、何もできませんでした」と申し上げると、「そうであればいいんですがね」と、やや早口の小声でおっしゃったことも、とても印象的でした。
もう一つ印象に残ったのが、日本の某大学がマレーシアに関して採択したプログラムについて、私の身に起こった事例を述べると、ただ一言、「恐れているね」。現場で実体験を長年積んできた人の声は、ゆめ無視すべきではないという雄弁な教訓です。そして、事実に基づいてさえいれば、国や民族や言語の違いを超えて、即座に理解が可能という証左でもあります。
ロックスボロフ先生の書かれたものの中には、辞書を引かなければわからない単語が頻出という論文も含まれていました。まだまだ勉強不足の私。こんなに時間をかけていても...。では、彼我の差違はどこに?
今回の震災で、自分も含めてそれぞれの反応があるのですが、こういう時に、その人の本質が如実に表れるようにも感じました。

神さまが一番お心を痛めておられることを信じたく存じます。ただただ主の哀れみと憐れみを乞い願っております。」

何年も前から大量の書籍をお譲りいただき、物心両面、いろいろとお世話になっている、首都圏在住の方の言葉です(参照:2007年7月6日・11月9日・2008年1月28日・2月3日・2月16日・2月28日・5月19日・5月24日・8月1日・8月27日・10月12日・12月19日・12月24日・12月29日・2009年2月26日・3月9日・4月14日・7月28日・9月16日・9月23日・9月26日付「ユーリの部屋」)。
お若い頃から故前田護郎先生の謦咳に触れられた経緯が、そのまま反映されているような印象を受けました。