ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「無責任な服従」

2011年4月12日付の英語版ブログ"Lily's Room (Part 2)"http://pub.ne.jp/itunalily/)に、教えられたYou Tubeの画像アドレスを掲載しました(http://www.youtube.com/user/EichmannTrialEN)。かの有名な「アイヒマン裁判」です(「アイヒマン」についての短い言及は、2009年8月8日付「ユーリの部屋」を参照)。
この映像そのものは、かなり前にNHK(だったと思う)テレビで見たことがあります。アイヒマンの名を知ったのは、二十代の頃だったか、これまた随分前に読んで、今は処分してしまった、犬養道子氏と故司馬遼太郎氏の対談記録が含まれた本によってです(参照:2007年11月3日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071103?_ts=1302775455))。もしも記憶が確かだとすれば、確か、犬養道子氏が、「日本人は、簡単にコロコロ忘れて変われる。私、アイヒマンの裁判をエルサレムまで見に行ったのね。あの人達の執念深さは、たいしたものよ。それに比べて日本人は...」みたいなことを発言していました。かたや司馬遼太郎氏の方は、犬養道子氏とそれなりに親しく、独特の物の見方を尊敬しつつも、そもそも「戴く天が違う」ことに違和感を覚えるという感じで返答されていたように記憶しています。
ともかく、この映像をアップした時から、突然、アクセス数が減ったので、世界史上も、人間心理上も、こんなに極めて重要だと思われる内容なのに、今の人々には、どこか距離があるのかしらん、と残念に思っています。(余談:ユーリおばさんから若い方達へ余計なお世話。「こういうところにきちんと目を向けるかどうかで、将来のあなたの人生が変わっていくのですよ!」)
なぜ、ここでアイヒマンなのか。ウィキペディア記事(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%B3)を信頼してもよいとするならば、という仮前提の元に短くまとめると、「凡庸な小役人的な人物の無責任な服従」という一言が、最も的確なのではないかと思われます。
今も暇を見ては読み続けているツヴァイク(参照:2011年3月27日・4月3日付「ユーリの部屋」)。ちょうど、深い哀愁を漂わせながらも、力を込めて綴っている一つのクライマックスに差し掛かっているため、この映像とは、間接的に連動するところがあります。
そして、今の私達自身の現実に引き寄せて考えるならば、福島原発の無責任な「想定外」発言の繰り返しを想起させるようにも思います。
今朝の朝日新聞朝刊には、東大理学部のロバート・ゲラ−教授が、「地震津波の規模は容易に想定できた」と痛烈な批判を提出されていました。今日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表するそうです。「学問的に根拠がないことを続けるのは不毛」とのこと。確かに。では、なぜ、国が御用学者を援用して、根拠なく「安心です、大丈夫です」と、メディアで流し続けていたのか...。