ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

コプト教徒からの抗議

以下は、「メムリ」(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP348311)からの引用です。ご参考までに、2007年10月25日・2008年5月17日・2010年12月24日付「ユーリの部屋」をご覧ください。

Special Dispatch Series No 3483 Jan/5/2011


コプト派編集者エジプトの体制、社会を非難―アレクサンドリアコプト派教会虐殺事件―』


2011年1月1日、アレクサンドリアコプト派教会(Church of the Two Saints)で虐殺事件が発生、コプト派出身で週刊アル・アハラムの編集局長シュクラッラ(Hani Shukrallah)が、「余は糾弾す」と題し、アル・アハラムの英語飯ウェブサイトに痛烈な署名入り記事を掲載した(ドレフュス事件エミール・ゾラが裁判弾劾文で付けた表題)。


その記事で、このコプト派ジャーナリストはエジプト当局がイスラミストの過激主義と戦うことができないだけでなく、ムスリム同胞団を押さえるためサラフィ・イスラムを保護している、と非難した。その非難の矢は、エジプトの建て前上は‘穏健なムスリム’にも向けられた。キリスト教社会に偏執的敵意を強め、ダブルスタンダードを適用し、西側の政策で反ムスリムと感じるものがあると、声高に非難するくせに、自国でキリスト教徒に対するあからさまな迫害がいろいろあっても、これには目をつぶって沈黙する。更にその非難は、ムスリムキリスト教徒双方のリベラル派知識人にも向けられキリスト教徒に対する暴力を見ても沈黙していると批判した。次に紹介するのは、その記事で、原文は英語である(2011年1月1日付English.ahram.org)。


暴力非難は偽善、何の役にも立たない


我々は非難の大合唱にこぞって参加する。ムスリムキリスト教徒、政府、野党、教会、モスク、聖職者そして平信徒の有像無像が、我も我もと手をあげ声を揃え高らかに非難する。非難対象は、アルカーイダ、イスラミストの戦士、ムスリム狂信主義者等々、さまざまな色あいや陰影のものを十把ひとかけらげにして悪口を浴びせる。我々のなかには何十歩もしやしゃり出て、サラフィ・イスラムイスラム原理主義全体、そしてサウジ輸入品でエジプトの国民文化とは異質のワッハブ・イスラムも非難する。


そして今度も又、‘国家の対の要素’の永遠なる和合を宣言し、十字架を抱くイスラムの三日月をあしらい、破ることのできないきずなを象徴する旗を掲げ、1919年の革命(精神)を恭しく傾聴するのである。


その行為の大半は偽善である。言葉の下には、偏執、偏見、あからさまなダブルスタンダードが、こり固まって山となっているのである。つまり、非難の大合唱に加わる人々は、偏見に縛りつけられている。問題は大合唱をする人々の心にある。


非難の大合唱など何の役にも立たない。全く同じことを前にやった。しかし虐殺は続いてきたし、次第に残虐性が強くなっている。そして、偏執と悲寛容は深く広く、我々の社会の隅々まで浸透している。


エジプトからキリスト教徒を駆逐するなど簡単なことではない。彼等は、キリスト教徒が生れた頃からエジプトに居住しているのである。1500年近いムスリム支配でも国のキリスト教徒社会を根絶できなかった。むしろその社会は強固で活力があり、近代エジプトの国家、政治及び文化的アイデンティティの形成に重要な役割を果たしてきたのである。


しかるに、近代エジプトの誕生から2世紀を経過した現在、それも21世紀の第2の10年が始まる年に、前には耳にしたことのなかった主張が、最早想像の世界を越えて現実に唱えられるようになった。つまり、キリスト教徒なきエジプトという主張である。三日月の抱擁から十字架を排除し、近代エジプトの国家のアイデンティティの象徴を旗から消し去るものである。その日が来るのなら、私はその前に死んでいたい。しかし私が死んでいるか生きているかに関わりなく、私はこのような姿のエジプトは認めたくないし、帰属したくもない。


私は国会議員と政府役人を糾弾する


私はゾラではない。しかし私だって糾弾できる。そして私が糾弾するのは、吸血鬼の犯罪集団アルカーイダや、アレクサンドリアの虐殺に関わったよた者ではない。


私が糾弾するのは、政府である。政府は、イスラミストを競り合わせれば彼等を操れると考えているらしい。


私が糾弾するのは、大勢の国会議員と役人である。彼等は自分自身の偏見を議会や国家或いは地方の政府諸機関に持ちこみ、その場所において野放し状態で偏見をぶちまけ偏執を押し通し、馬鹿馬鹿しい程の権力をふるっているのである。


私は国家当局を糾弾する。彼等は、サラフィ運動に勢いをつけてやれば、ムスリム同胞団の力を弱められると信じ、時々偏見にいろどられた反コプト感情に合わせたことをする。


私は所謂穏健派ムスリムを糾弾する


しかし、私が一番強く糾弾するのは、穏健の部類に入れられている数百数千万のムスリムである。彼等は年々偏見を強め、まわりに壁をつくり、他者の存在を許さぬ狭量な心に傾いている


私は、自己には許しながら他者を許さぬ人々を糾弾する。例えばニューヨークのグランドゼロ付近におけるムスリムセンターの建設問題。建設停止の決定がでると、怒りの声をあげるのに、コプト教会(大カイロのオムロニヤ地区)に階段をつける工事がエジプト警察によって停止させられると、拍手喝采するのである


オフィスやクラブ或いはディナーパーティで君達の話を聞いてきた。「コプトの連中は懲らしめが必要だ」とか「コプトは年々傲慢になっている」とか、或いは「コプトムスリムを秘密裡に改宗させている」とか「コプトは、キリスト教徒女性の改宗を阻止し、改宗者を拉致して修道院に幽閉している」といった類いの話をよく耳にした。


私は君達全員を糾弾する。偏見で盲目になった君達は、論理的思考とコモンセスに自分が振っている暴力が見えない。自分に適用されたダブルスタンダードは非難するのに、自分の露骨なダブルスタンダードには全く気付くことができない。


私はイスラムキリスト教徒双方のリベラル派知識人を糾弾する


最後になったが、私はムスリムキリスト教徒双方のリベラル派インテリを糾弾する。迎合なのか恐れなのか、或いは単に‘大衆’を不快にさせることは言いたくない、したくないという気持なのか、いずれにせよわきに寄って傍観し、何の益にもならぬ非難の合唱に加わるだけでよしとする…虐殺事件が各地にひろがり、益々凶暴になっているのにである。


数日前私はアラビア語紙Al-Hayatで、或るコラムニストがエジプトの或る新聞に寄稿した記事について、コメントした。コラムニストの名前は忘れたが、アメリカの介入で自分の命が救われるよりムスリムの同胞の手にかかって殺される方がましと書いたひとりのコプトについて、その愛国心を讃えたのである。


私は、この愛国的コプトに向けてひとつ質問をした。簡単な質問である。国家のため自分を犠牲にする意志は、どこでストップするのか。自分の命を捧げるのは、崇高な行為かも知れない。称賛に値いするのかも知れない。しかし彼は、自分の子供達や妻、母親の命をさし出してもよいと考えているのだろうか。外部の介入を求める前に、何名のキリスト教徒を犠牲にしてよいと考えるのか。100万、200万それとも300万、或いは全員なのか。


その時に言ったのであるが(今でも意見は変らない)、我々の選択肢は、それほど少ないわけではない。エジプトのコプトが殺されるのか、それともアンクル・トムのもとへ逃げこむのか、二者択一ではない筈である。我々は、自己の運命を切り開き、国家の未来を決めるべく行動する気骨ある理性的人間ではないか。そのような自画像を描くのが、本当にそれ程難しいのであろうか。


これが我々の前にある正しい選択肢である。我々は、遅くならないうちに、それをしっかり握りしめた方がよい。

(引用終)