ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

日本の原風景を紡ぐ奈良と三重

昨日に引き続き、加瀬英明氏を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180611)。細部で時々異論があるが、全体の流れとしては、概ね賛同できる。
先週末の土曜日から昨日にかけて、二泊三日で奈良県橿原神宮飛鳥寺三重県伊勢神宮(外宮)と賢島を訪れた。主人の立案だが、やはり二人共日本人の原型を受け継いでいるようで、何はともあれ、大変に落ち着き、自然に囲まれて、安らげる三日間だった。
橿原市の人々は、概しておっとりと丁寧で素朴な親切さがある。日本の原点ここにあり、といった風情だ。神武天皇橿原神宮は、広々とした境内に優美で品ある簡素な形式が豊かな緑の木々に囲まれており、人々が三々五々とお参りに来られて、深々と頭を下げていらした。
歴代の天皇(すめらみこと)様がいらっしゃる場は、どこでも自然で上品な雰囲気が漂っている。
日本の伝統を守り続けていくことの厳しい責務や重圧と同時に、このような時空間が大切に守り伝えられてきたことによって、どれほど国の民の安寧と繁栄と平和の礎となってきたかを、しみじみと感得させられた。
飛鳥寺へは奈良交通のバスで訪れたが、ホテルや駅近くに停留所のあるバスは、往復共に一時間に一本しか来なかった。後で聞いたところでは、六月はシーズン・オフだからということと、資料館方面への路線を廃止したばかりだとのこと。いいホテルに宿泊したのに、係の人でさえ知らなかったようだ。そのために、待ち時間をかなり取られてしまったが、日本の原風景のような雰囲気に囲まれていると、都市部とは違って、イライラした疲れがないのは不思議だった。
日本最古の仏像である飛鳥大仏がメインで、ご住職はお昼過ぎに来られたようだ。それまでは、参拝客のために、作務衣を着て「実習生」と札を胸に付けたシルバー・ボランティア風の男性二人が、交替で三分ほど解説をしてくださった。周囲をじっくりと拝見していた私は、結局のところ計四回伺うことになったが、お二人のタイプが違うことに加え、少しずつ省略や追加が入り、なかなか楽しかった。写真撮影を許可してくださったのは、遠方からわざわざ来たのだから、帰宅後、写真を周囲の人々に見せることで、飛鳥寺の存在を広めてほしいとの願いがあってのことのようである。
バスの本数や路線廃止もそうだが、この辺りは古代日本史上、有名なはずなのに、経済的な維持が難しいのかもしれない。
近くの蘇我入鹿の石塚を見たが、小学校の頃に『日本の歴史図鑑』で見た写真、中学校の歴史の授業で習った事柄、高校の日本史の授業で受けた説明等が折り重なって記憶の底から蘇ってきた。鎌倉時代にできたものだそうで、案外に小さなものだった。供花は造花で、目の前の考古学調査の発掘現場は、既に素っ気ない空き地となっていた。
高校の時、非常勤を務めていらした女性の先生から「推古天皇の596年に、蘇我馬子飛鳥寺蘇我氏の氏寺として建立。権勢を誇った蘇我蝦夷を経て、孫に当たる蘇我入鹿が、天智天皇となる中大兄皇子中臣鎌足等によって皇極天皇の前で殺害された」と、後継者争いのクーデターを生き生きと解説された。だから「蘇我氏は馬子の『馬』と入鹿の『鹿』をとって『馬鹿』なのだ」とも。但し、当時の私には、天皇になる方が殺人を犯したのだ、という事実のほうがショッキングだった。これも、「皆が平等であれば平和になれる」という社会主義的な思想の影響だったのかもしれない。
人々があまり訪れないのが事実だとすれば、昨今の復古調の風潮から宜なるかな。つまり、日本の歴史の本質が人々に浸透しつつあるということなのかもしれない。
全体として曇り空だったが、何とかスマホで特急の座席指定を変更して近鉄電車に乗り込み、伊勢市へ。こちらは外宮のみで、五十鈴川の内宮へは行く時間がなかった。
橿原神宮と比すれば、伊勢神宮は昔ながらの「お伊勢さん」だけあって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130203)、周辺のお土産物屋さんや茶店等、人々がもっとシャキシャキしている。伊勢海老や伊勢うどんは勿論のこと、伊勢木綿や伊勢茶を改めて眺めた。駅を降りると雨脚が強くなり、傘をさして境内を歩き回った。
名古屋生まれなので、伊勢や鳥羽へは幼い時から来ていた上(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101209)、伊勢名物「赤福餅」のコマーシャルが頻繁に流れ、名古屋駅でさえ常に販売されていたこともあって、あまりに近過ぎ、深く意味を考えることなく、ここまで生きてきた。それに、学生時代はメディアや学校教育の影響もあり、東京ばかり見上げて過ごす癖がついていたので、三重県よりは名古屋市政令指定都市とする愛知県の方が発展しているような錯覚を持ってしまっていた。それに、偏差値教育とやらが輪をかけて、その錯覚をさらに歪めていた感がある。
だが、ちょうど二年前のG7サミットでも先進七箇国の最高指導者層に御参拝いただいたように、伊勢神宮は日本の伝統文化の象徴である。この雰囲気に直接触れていただくことで、日本語文献をきちんと読めない西洋のキリスト教宣教師や左翼系学者達が、敗戦を機に、アニミズム国家神道だと誤って広めてしまったことによって被った、計り知れない損失の埋め合わせとなれば良い。その願いを込めて、あえて意表をつく趣向を凝らした安倍内閣の英断には、敬意を表する。
賢島では、サミット会場となった志摩観光ホテルに宿泊した。昭和26年から始まった老舗で、中に足を踏み入れた途端、檜の香りが漂っていた。さすがはスタッフが格段に洗練されており、誰もいないと思ってじっと見つめていると、さっと声掛けが後ろからある、というように、さり気なくも細やかな気配りと目配りが印象的だった。
その賢島だが、勿論、世界初の養殖に成功した真珠で有名なミキモトがきっかけで開発され、海外のバイヤーが訪れることでも有名である。それだけならば、毳毳しく派手なリゾート地になりかねないのだが、そこはやはり日本、昭和天皇伊勢神宮への御参拝の際、昭和26年から55年にかけて、五度の計八日間、御宿泊になられた御由緒があるため、昭和の名残をとどめる品のある格式を保っている。
お詠みになった御歌を、伊勢志摩サミット・ツアーとして40分間、ホテル内を導いて解説してくださったスタッフが紹介された。この御製を、一般の我々国民が自然に触れることができ、情感を共にすることが許されているというところに、日本古来の知恵の凝縮と積み重ねが感じられる。
朝食の際、給仕してくださったスタッフは、男女ともに若くてきびきびしているが、どこか素朴な雰囲気を漂わせた方達ばかりで、聞くところによれば、近郊の出身者とは限らないそうである。
賢い上に自然な素朴さを兼ね備えている、という点が特徴なのであろう。
ホテル内のお茶室は「愚庵」と名付けられていたが、それは地名と対照させるためであるという。
山崎豊子氏が定宿ともしていたそうで、執筆に使った机と椅子が、今でも展示されていた。島国日本の原風景である、こんもりとした緑に覆われた複雑な輪郭を持つ美しい地形を眺めながら、次々と作品を紡ぎ出されたそうである。ホテル側は、氏が来訪される毎に、倉庫から机と椅子を運び出してお待ちしていたという。
ホテルに縁のある一家をモチーフとして『華麗なる一族』が生まれたことは人口に膾炙しているが、映像化された際、京マチ子さん等の俳優は、ホテルをロケ地として撮影されたようである。だが、近年、キムタクが改めて映像化に参加した時には、多忙のためか、現地を訪問することさえなく、作品化してしまったようである。
現代技術を駆使した興味深いデザインの摩天楼のビル群は、今や先進国に限らず、途上国の至るところの都市で珍しくもなくなった。むしろ、建築家の腕を空いた土地で競うかのように、途上国の方には、場違いに立派で便利な高層ビルが乱立している。
だからこそ、その隙間を縫って、意表を突く日本の原風景たる賢島をサミット会場に選んだのは、今から考えても賢明だったと思われる。
駅近くのパネル展示を見る限りでは、2016年の伊勢志摩サミットで討議され、決議として表明された内容には、いささか疑問の余地がなきにしもあらずであるが(例えば「配偶者」(partner)の時空間を設けたこと等)、いかにも現代風で、日本らしさを表出しようとする意気込みが感じられた。
少なくとも、それまで比較的地味だった「三重」の名を世界に轟かせようとした戦略は、一種の「町興し」として、成功したと言える。
例によって、パンフレットなどの紙資料をたくさんいただき、荷物が相当に重くなってしまったが、帰りの近鉄特急もガラガラで車両には我々二人のみだったし、今までの国内旅行の中で最も疲労度が少なかった経験だったことは我ながら驚いている。
疲労困憊する時は、加齢による体力の低下ではなく、実は精神的なものが大半で、とどのつまり、人混みが大嫌いで、さかしらで人為的なものに人疲れしやすいタイプなのだということがはっきりした。精神的と言っても、病的なものではなく、むしろ誤った思想や考え方の影響下にある不和や不調を敏感に察知して、疲れるようである。
従って、緑の多い広々とした自然の中で、澄んだ空気と透き通るような水がふんだんにある静かな場にとどまっていると、本来の自分に戻り、創造性も意欲も高まるように思われる。
それを提供してきたのが惟神道(かむながらのみち)だったのだ。

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大嘗祭は国事として行うべきである」
2018年6月4日


・1年以内に、新天皇が即位され、御代(みよ)が替わる。前号で、私は天皇陛下が来年4月30日に退位され、皇太子殿下が翌日、第126代の天皇として即位されるのに当たって、もっとも重要な祭祀である大嘗祭を寸描した。


・126代も続いてきた天皇が、日本を日本たらしめてきた天皇は日本にとって、何ものによっても替えられない尊い存在であり、日本国民にとって、もっとも重要な文化財である。


大嘗祭は来年11月に、皇居において催される。大嘗祭は法律的にすでに皇位につかれておられるが、天皇天皇たらしめてきた民族信仰である惟神の道――神道によれば、まだ、皇太子であられる皇嗣(お世継ぎ)が、それをもって天皇となられる。聖なる秘儀である。


・私は前号で大嘗祭に当たって、皇太子が横たわれ、しばし、衾(古語で、夜具)に、身をくるまられると、述べた。これは、天照大御神の皇孫に当たる瓊瓊杵尊が、「豊葦原の瑞穂の国を治めよ」という神勅に従って、赤兒として夜具にくるまれて、天孫降臨されたことから、皇太子が身を衾に包む所作を再演されることによって、瓊々杵尊に化身されるものである。


今上天皇が今年の新年に宮中参賀のために二重橋を渡った、13万人をこえる善男善女に、皇后、皇太子、皇太子妃、皇族とともに会釈され、お言葉を述べられたが、天皇はモーニングを召された瓊瓊杵尊であられた。


天皇皇位をただ尊い血統によって、継がれるのではない。日本では、日本神話が今日も生きている。神話は諸外国では、遠い昔の過去のものであって、ただの物語でしかない。日本は時空を超えて、永遠に新しい国なのだ


・歴代の天皇は、日本を代表して神々に謙虚に祈られることによって、徳の源泉として、国民を統べて、日本に時代を超えて安定(まとまり)をもたらしてきた。


神道は、人知を超えた自然の力に、感謝する。世界のなかで、もっとも素朴な信仰である。教義も、教典ない。人がまだ文字を知らなかった時代に発しているから、信仰というより、直感か、生活態度というべきだろう。神道は、人が文字を用いるようになってから、生まれた宗教ではない。感性による信仰だから、どの宗教とも競合しない

 
・宗教法人法によれば、宗教法人は教義を広め、信者を教化する団体として、規定している。神道は布教しないし、もし宗教であれば、「信者」と呼ばれる人々も、存在しない


アメリカ占領軍は、自国では国家行事や、地方自治体の式典が、キリスト教によって行なわれていたのにもかかわらず、まったくの無知から神道を、キリスト教と相容れない宗教だと信じて敵視して、日本に「政教分離」を強制した。当時のアメリカは、日本を野蛮国とみなしていたのだった


・政府は日本が独立を回復した後にも、現行憲法下で、天皇天皇たらしめている宮中祭祀を、皇室の「私事」として扱ってきた。私はかねてから、宮中祭祀は国民の信仰の自由を浸すことがないし、日本国民にとって何より重要な無形文化財であると、主張してきた。


大嘗祭は、国事として行うべきだ。現行憲法は皇室と日本の姿を、歪めている。

(部分抜粋引用終)
「前号」については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180507)を。

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「神社に宿る日本人の『和の心』」
2018年6月7日


・日本は幸いなことに、太古の時代から宗教戦争と、無縁であってきた。


・「宗教」という言葉は、明治に入るまで漢籍に戴いていたが、使われることがなかった。明治初年に、キリスト教の布教が許されるようになると、それまで日本には他宗を斥ける、独善的な宗派が存在しなかったために、古典から「宗教」という言葉をとってきて、あてはめたのだった。


・それまで、日本には「宗門」「宗旨」「宗派」という言葉しかなく、宗派は抗争することなく、共存したのだった。「宗教」は、英語の「レリジョン」(宗教)を翻訳するのに用いた、明治訳語である。英語の「レリジョン」、フランス語の「ルリジオン」、ドイツ語の「レリジオン」の語源であるラテン語の「レリギオ」は、「束縛」を意味している。


・「個人」も、明治訳語だ。日本人は世間によって生かされ、そのなかの一人だった。


・日本人のなかで、日本人は年末になると、クリスマスを祝い、7日以内に寺の“除夜の鐘”を謹んで聴いて、夜が明けると初詣に急いで、宗教の梯子をするからいい加減だと、自嘲する者がいる。だが、これが日本の長所であり、力なのだ。古代から「常世(とこよ)の国信仰」といって、海原の彼方から幸がもたらされると信じた。日本では何でも吸収して、咀嚼して役立てるのだ。


神道は私たちが文字を知る前に生まれた、心の信仰であって、文字と論理にもとづく宗教ではない。人知を超える自然を崇めるが、おおらかで、他宗を差別せず、中央から統制する教団も、難解な教義も、戒律もない


・神社を大切にしたい。私たちは、心の“和”の民族なのだ。

(部分抜粋引用終)
上記の「他宗を斥ける、独善的な宗派」について、例えば日蓮宗創価学会はどうなのだろうか。