ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

三歩前進・四歩後退?

今年の師走は、いつになく時間の余裕がたっぷりできそうです。ここ10年ほどは毎年、発表準備とその余波、年始カードと年賀状の注文および発送などで、年末といえば、重い荷物を抱えてギリギリまでゴール目指してドタバタ走っているような感覚だったのですが、今年に限って、準備万端整えていたつもりが、予定より一ヶ月も遅れての連絡により、突然、暇になってしまいました。こんなことなら、キャンセルせずに他の予定もいろいろと組み込んでおくべきだったかな、と思いますが、今となっては仕方がありません。約束通りの時期にご連絡があったなら、まだ間に合ったはずの計画も幾つかあったのですが...。

年賀状の印刷は、既に日曜日には届けられました。あとは、書いて投函するのみ。海外向けのカードも、もう書き始めてもよいのでは、と思っています。こんなに早いのは、珍しいぐらいです。
こういう時だからなのか、借りて積み上げてあった本が次々読めてしまいます。ほとんど全部、ノートや部分コピーを取って返却するのですが、返却期限に充分間に合うため、切羽詰まった感覚から解放されて、楽ではあります。

それにしても今年は、ちょっとがっかりしたことが幾つか...。以前、働いていた組織のホームページから、いつの間にか私の名前だけが削除されていたり、「おもしろい」「がんばってますね」とほめてくださったこともあって、信頼できる(と思っていた)先生が、実は何も注意を払わずに、私の発表の要旨について、印刷物に「(今回も)インドネシアの話」などと書かれてしまっていたり、別の発表の質疑応答の時、レジュメをよく読まずに「もう、これだから困る。やっぱり日本人だ」みたいな頑固な決めつけをする人と出くわしてしまったり...。これも経験、よくある話といってしまえば、それまでなのですが、結局のところ、私なんぞ、いてもいなくても同じで、あたかも初めから存在しなかったように扱われる、ということです。

「黙々と作業して、淡々と形にするのが一番効果的だ」という助言もありますが、かえってそれで無視され、忘れられることも度々。人数集めのために、頭数だけ揃えるために、形の上では案内を出しておいて、実際に現場へ赴くと、発言や質問の余地もないどころか、「あなた、いったい誰の紹介でここへ来たんですか」とでも言わんばかりの態度を取る人もいます。
最初から、世の中とは所詮そんなものと、あまり期待せずにいたのですが、そういう心構えだと、かえって人生の幅が狭くなり、どこか卑屈になることにも気づきました。

順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ/人が未来について無知であるようにと/神はこの両者を併せ造られた、と。」(「コヘレトの言葉」7章14節)


人の言うことをいちいち気にするな。/そうすれば、僕があなたを呪っても/聞き流していられる。」(同 7章21節)


日本聖書協会新共同訳聖書』より)


(参照:2008年8月27日付「ユーリの部屋」)

この年末は、畳二畳分に積み上がった資料の整理整頓と、今後の人生設計について練り直すことにします。

PS:たった今、マレーシア神学院のサクティさんから、大きな包みが届きました(参照:2010年11月18日付「ユーリの部屋」)。ボルネオ島のアングリカンと長老派に関する教会史の古い記念冊子、イスラームのパンフレット(「イスラームの姉妹達」による作成)など、計9冊でした。一見、何でもないようでも、発表レジュメを作る時や、注をつけたい時などに、こういう資料が不可欠なのです。インターネットで済まされがちな昨今、特に、レトロ風の資料から写真を一枚出すだけでも、かなり違ってきます。こういう資料は、普段からコツコツと集めておかなければ、とても間に合いません。
何だかタイミングのいい元気剤のようで、とてもうれしいです。サクティさん、いつもありがとう!
やっぱり、今日のタイトルは、「三歩進んで二歩下がる」でしたね!