ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「それがどうしたんですか?」(1)

サクティさんから昨日送られてきた文献資料を見ていて、ふと聞こえてきたのが、
「それがどうしたんですか?」
という声。空耳なのですが、実を言うと、私はこれが一番嫌いなコメント。人にはそれぞれ、存在意義やそれなりの誇りというものがあるのに、それを無視して、高見から己の立場だけでしか物を見ようとしない人が、見下すように放つ言葉。目上の専門家から言われるならばまだしも、私の場合、どういうわけか、随分昔から、年下の人達に平然と言われることが多く(参照:2007年9月24日・2009年2月24日・2009年4月18日・2010年11月18日付「ユーリの部屋」)、いつも腹が立って仕方がありませんでした。
例えば、マレーシアでの教会史や聖書の度重なる押収問題や教会破損事件(これは時を置いて発生している)など、当事者にとっては重要あるいは深刻な問題であっても、自分はマレーシア人じゃないし、キリスト教徒でもないし、聖書なんて読んだこともないから、
「それがどうしたんですか?」
と無関心をむき出しにする人がいました。知りたくなければ、聞きに来るな!
で、サクティさんが「自分の勉強用に」と集めた資料から一部分けてくれた冊子が、以下のものです。タイトルを見て、
「それがどうしたんですか?」
と言いたくなるなら、そもそも、あなたは、異なる価値観を持つ他者への共感を持ち合わせていないのです。

・『ムスリム男性は自分の妻を殴ることが許されているのか?』(1991/2009年)
・『イスラームと家族計画』(クランタン州家族計画協会)(2001/2003年)
・『親権とムスリム女性達』(2002年)
・『イスラームと重婚』(2002/2008年)
・『判事としての女性達(変化のためのエンパワーの声)』(2002/2009年)
・『結婚における女性達に関するハディース』(2004年)

これら一連の題目を見れば察しがつくように、いくら日本の大学の公開講演などで「イスラームでは女性が大切にされています」と繰り返されようとも、その実態としては、具体的に困っている人達や、クルアーンハディースに実際何が書かれているか、あるいは何が書かれていないのか、わからなくなっている人も存在するために、啓蒙活動の一環として、このようなパンフレット冊子が次々と作成されているのです。
この冊子を作成している女性グループは専門職のムスリマ達で、中にはスカーフをせず、堂々と人前で持論を展開するような勇敢な人もいます。
マレーシア神学院でも、ムスリム・クリスチャン対話会合が時々開かれるそうですが、旧約学の講師に聞いたところによれば、いずれも「難しい」。しかし、このグループから代表を呼べば、クリスチャンにも納得のいくような話ができるために、イスラーム改革に向けての、かすかな望みと期待をかけているのだそうです。残念ながら、彼女達は、マレーシアで主流の多数派とは言えません。
日本でなら、自分の身に降りかかることでもなければ、無関心のままで済みそうですが、ムスリム多数派のマレーシアでは、いつ何が発生しても備えられるよう、クリスチャンであっても知っておくべき事です。1990年代初頭までは、民族別に宗教が分かれているために、教会で尋ねてみても無関心な人が多かったのですが、2000年以降は、徐々に変化が見られるようになってきました...。


くどいようですが、「それがどうしたんですか?」について。
醒めた目で世の中を見渡せば、何でもそう言えてしまうことが多い。例えば、ヴァイオリンの演奏会ですばらしい演奏を聴いて感動したとしても、人によっては「それがどうしたんですか?」たかが、ヴァイオリン。
研究テーマにしても、新聞で読んだり学会のプログラムを見ても、自分に興味がなければ「それがどうしたんですか?」要するに、好事家の趣味か暇つぶし。
おなかすいたなぁ。「それがどうしたんですか?」
天理大学附属図書館の前で転んで胸を強打し、肋骨を折った時も、「それがどうしたの?」我関せず。
誰それさんが亡くなったんだって。「それがどうしたんですか?」その人とは面識ないし。
赤ちゃん産まれそうだってよ。「それがどうしたんですか?」勝手に産めばぁ?
これらは、私の創作ではなく、かつて実際に言われた言葉でもあります。ここ数日、いろいろ思い出しては、猛然と腹が立ってきました。

でも、こう言われたらどうしますか。「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる」(ルカ 12:20)(新共同訳)
「それがどうしたんですか?」というなら、本当にあなた自身、自分を生きてこなかった。だから、人に対しても、そんな非常識なことが平気で言える。そこに気づいていないから、私は腹が立って仕方がないんです。