ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ナイポールのムスリム観

…とはいうものの、ナイポールが描いたムスリム世界関連の作品には、固有名詞に少し誤訳の混じる翻訳で読んだとしても、その指摘の鋭さ、的確さ、表現の巧みさを見出すことが可能です。もっとも、ブラーミン階級の出であること、暴力夫の被害者であったと回顧されるオックスフォードで知り合った最初の妻からの手助け、英国在住という背景も、加味してのことです。
工藤昭雄(訳)『イスラム紀行(上)(下)TBSブリタニカ1983年)と斎藤兆史(訳)『イスラム再訪(上)(下)岩波書店2001年)に描かれた、イラン、パキスタンインドネシア、マレーシアの4カ国から、マレーシアを中心とした記述を一部抜粋してみましょう(注:以下、『紀行』『再訪』と略記)。
『紀行』の方は、ナイポールが1979年8月から1981年2月にかけて、上記4カ国の調査旅行に出かけ、多くの人々に会って話をし、土地の新聞や詩や宗教文書などを調べて考え合わせた結果、綴られたものです。『再訪』では、同じ地域を1995年に5ヶ月訪問し、できる限り同じ人々との再会を求め、その変化や動向を記しました。『紀行』の原題は、“Among the Believers:An Islamic Journey”(1981)で、『再訪』の原題は、“Beyond Belief:Islamic Excursions Among the Converted Peoples”(1998)です。2001年秋、ノーベル文学賞を授与されましたが、2001年9月11日発生の同時多発テロの遠因となる背景を、既に20年も前に作品に描いていたという点では、さすがに着眼点が見事であり、しかも同地域を十数年後に再訪する方法も功を奏しています。
前もってお断りしなければならないのは、私の感触では、マレーシア紀行の記述は、よく調べられてはいますが、土地柄を反映してか、彼の作品中、最も平板かつ単調で、おもしろさに欠けるものだという点です。私にとって、最もよく知っていると言えるムスリム国はマレーシアなので、引用するのみに過ぎません。そして、おもしろくはなくとも、記述および視点の確かさを減ずるものではないことを申し添えたく思います。
では、まず訳者のことばから…

工藤昭雄氏:近代世界に遅れて参入した社会が、「普遍的な文明」、つまり近代西欧の文明をどのようにして摂取するのか。そのような社会に生まれた者が、どうやって、またはどこに、自己の本質を見定めることができるのか。(『紀行』(下)p.332)

斎藤兆史氏:アラブの伝統のない土地でイスラム教を受容することは文化的、社会的にどういう意味をもつのか。そこに生きる一人一人の生にどのような影響を及すのか。
イスラム」とは、「尊大な態度であらゆる要求を突きつけてくる」「改宗者の世界観も変わる」「歴史観も変わる」「自らの歴史を捨て去り、好むと好まざるとにかかわらず、アラブの物語の一部となる」「改宗者は、己の持てるすべてに背を向けねばならない」「社会にもたらされる混乱」「自己否定」←「改宗国のイスラム神経症虚無主義−沸き立ちやすい」(『再訪』(上)p.iii)

では、本文の抜き書きに移りましょう。例によって、私の読書メモ兼ノートからの引き写しですので、細かな点で誤りが含まれているかもしれませんが、その点、予めご了承ください。

・『紀行』(上)から

・1979年8月 ホメイニ−「世界の諸政府はイスラムを打破できないことを悟るべきである。イスラムは世界のすべての国において勝利を収め、イスラムコーランの教えは全世界に広がるであろう」(p.129)

・『紀行』(下)から

・マレーシア:イスラムはひとつの思想−ひとりの預言者、神の啓示、天国と地獄、神によって裁認された律法−として伝わり、古い思想と融合した。(p.7)
パキスタンからの布教者たち:イスラムイスラムの敵に関する情報だけをもたらす。熱情をもたらす。真のイスラム世界の辺境に位置していると感じているイスラム教徒たちの熱情(pp.7-8)
・海外で過ごしたひと時は彼らを気むずかしくさせ、彼らをいっそう深く彼ら自身のなかへと投げ返している。(p.9)
・非イスラム教徒には途方もない法律上の差別が加えられている。(中略)今や彼らは武器を手にしている。すなわちイスラムである。それは彼らが世界に遅れをとらないための手段でさえある。イスラムは彼らの悲憤慷慨、彼らの社会的な憤懣と人種的憎悪に寄与している。布教者がもたらすイスラムは間近に迫った変革と勝利の宗教であり、世界的な運動の一環として到来する。(p.10)
・新イスラムはこのようにして到来し、村落の新人たちにとって学術的な道具立てを整えた択一的な学問ならびに真理として訪れる。それは建設的な計画を伴わない情熱である。(p.11)
・新イスラム運動「マレーシア病」(p.11)
・真のイスラム:民衆、マライ人を覚醒。マレーシアの人種差別政策の腐敗や浅薄な拝金文化や安易な西欧模倣から救うもの(p.18)
・こんなふうに政府は差別的な優遇政策を採り、マライ人を経済的に中国人の水準まで引き上げようとしていた。この方法は効果的ではなかった。優遇されたマライ人の「看板」階級を創り出したにすぎなかったのである。(p.21)
イスラム教徒は人口の半分にすぎなかったけれども、だれもがイスラムに頭を垂れねばならなかった。圧力は下からきていた。浄化と粛正の運動ではあったが、しかし人種的な運動でもあった。それは国全体に不安を引き起こしていた。裏切りの懸念から、人びとに外来者を避けさせていた。それは−この雨と蒸気と森林の国で奇妙にも−イデオロギー国家の雰囲気を醸し出していた。(p.22)
コーラン素読。聖句の意味がわからなくても読む。
「それは好ましくない知的出発だと思いませんか?
「でもコーランを読むというのは知的出発以上のものです。(中略)生きてゆくうえでの御利益が得られるのです。
コーランは人間が書いたものではありません。コーランは人知を超越しています。
(p.25)
・儀式的な清浄は清潔それ自体、他人に対する配慮とはなんの関係もなかったのだ。(p.36)
・クアラルムプールはイスラム教徒のために建てられた都会ではない。(p.36)
・かつてはアラビア語の教育を受けてひとかどの指導者であった一家は、近代マレーシアにおいて「下層中産階級の家庭」となっていたのである。(p.40)
・しかしマライ的であるということは、なんでもある豊かなイギリス人と中国人の大都会を拒否されるということでもあった。(p.52)
・西欧は数かずの変遷を重ねながらも清新さを保ち、現在もなおそうしているように変革を促進し変動を推進している。イスラムは老化し、自己充足的な−「平凡な」マライの村落生活の一部と化したような様相を呈していた。(中略)この平凡という問題、村落の風習に対する憧れとマライ人に独自の識見を抱いてもらいたいという願望とのあいだの矛盾(p.54)
・たとえ全生涯を費やして宇宙を研究しても、最終的に星を崇拝し、自分がどこから来てどこへ行くかを知らない人間の場合には、教養人であるとか文明人であると認めることはできません(ABIMのシャフィ)(p.59)
・布教師たちは(インドやパキスタンから)偶像破壊の訴えをマレーシアに持ち込んでいた。彼らは、さまざまな書物にあたって、イスラム教徒が偶像ひとつについて何千年長く天国にいられるかを算出しており、総計で三十体の偶像を粉砕すれば大当たりをとることができ、未来永劫にわたって天国に留まれると算定していたのである。(p.67)
・狭くて、教育が行き届かず、万事において立ち後れたマレーシアのような土地柄のもつ限界を、富が増幅していた。(中略)けれども富は人びとを輸入品の買い手に変え、この国を先進諸国に対する依存関係に固定させ、すべての人びとを植民地人の立場に定着させたにすぎなかったのである。(p.73)
・マレーシアでは、中国人がイスラムに集団帰依したら、マライ人は仏教徒になるだろうといわれていた。(p.79)
・「ユダヤ人は神の敵です。(p.80)
・「コーランを知っていれば一切がわかるんです。経済でも、政治でも、家庭生活のおきてでも−原理はすべてコーランの中に包含されているのです」(p.81)
・「旧約聖書の中にはムハンマドの出現にはっきりと触れている箇所があるからです」(p.85)
・外遊して楽しかったという農村出身のマライ人はほとんどいないように思われた。(p.95)
・「そしてもちろん、朝には例の歌をうたわなければならなかったのです」
「賛美歌ですね。今でもどれか覚えていますか?」
「覚えていません」。(p.102)
イスラムの新たな布教師たちが持ち込み、彼らのおびただしい出版物の中で単純化している、西欧に発した思想と、西欧の死、その精神的な挫折、世界中の天然資源の浪費に関する思想である。(p.106)
・マレーシアは−マライ人の無頓着、中国人の活力、人種差別政策、新たな富がもたらした腐敗、教育程度の低い小国の技術依存など痛ましい課題を抱え込んだマレーシアは−姿を消して抽象観念そのものとなり、純粋な信仰の国、アッラーフに対する全面的な恭順の国となったのだ。そうした恭順によって一切が解決されるというのである。(p.109)
イスラム世界からの知らせは芳しいものではなかった。一連の災難で始まっていた。(p.111)
・言葉によって制御されない情念は、情念の状態にとどまっており、宗教のなかへ流れ込んでいた。シャフィを抽象的な布教師的信仰箇条の習得に専念させ、彼の動機を包み隠し、彼の名分を曖昧にさせ、部分的に彼自身を彼自身の眼から覆い隠していた。宗教は今や彼の本音を埋没させていた。(p.118)
・この二十世紀末期のイスラムは政治問題を提起しているようにみえた。けれどもそれは当初の欠陥をそなえていた−イスラム全史に一貫する欠陥を。つまりそれは自ら提起した問題に政治的、現実的解決策を提供しなかった。ただ信仰だけを提供した。預言者しか提供しなかった。預言者は万事を処理してくれるであろうが−しかし彼は存在しなくなっていた。こういう政治的イスラムは怒りであり、無秩序だった。(p.213)
・信仰は人びとを極端へ押しやっていた。コーランと伝承しか指針がないために、だれも自分がイスラム教徒として十分に立派であるかどうか確信できずにいた。(p.281)
イスラム革命化し、平等と統合の古いイスラム的観念に新たな意味を付与し、沈滞し遅れた社会を揺り起こしたのは二十世紀末期だった。(中略)そして逆説的にも、回顧的であるようにみえるイスラム的再生、イスラム原理主義により、多くのイスラム諸国において、心情的電荷預言者の信仰から酌み上げつつ、近代的な革命の観念が存続するであろう。(p.327)

・『再訪』(上)から

・二十一世紀にはマレー語を話すムスリムイスラムを復興に導く。①イスラム世界の大多数占める ②唯一団結したムスリム ③スローガン・コーラン・スンナあり ④女性の地位が預言者ムハンマドの時代とまったく同じ−イスラムの真の教えに適っている(p.26)
・「ようこそイスラムにお帰りくださいました」(p.63)
・改宗民:自分達の過去から脱却することを余儀なくされる(p.94)
・自分たちだけ禁止されていて、我々が禁止されないのが気に入らない(p.156)
・人の信仰を判断する資格が自分にはある−これこそが危険な発想(p.214)

・『再訪』(下)から

・歴史が変質→国の知的生活も必然的に停滞(p.95)
・マレー人としての怒り−祖国を失ったも同然。村で寝過ごしてしまった(p.176)

(引用終)
しかし二度に及ぶこの四カ国歴訪、さぞかし疲れたでしょうねぇ。