ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ネゲブのベドウィン問題

なかなか旅記録に入れず、毎日焦っているが、今日もお許しを。
あれから一ヶ月も経ったなんて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)、本当に信じられない。非常に濃厚で有意義な現場確認と、前向きで刺激的な人々との出会いと、旅の安全と無事が守られたことの恵み。その一方で、日本側の全般的な認識の遅れ、あるいは歪みなどを感じ続けている毎日。
そこで、毎度申し訳ないが、まずは池内恵先生を引用。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=nf&pnref=story


英語では実に多くの深い中東報道や論説があることを体感できるだろう。「欧米の歪んだ中東報道が云々」という人は、まず欧米の中東報道を読むべきだ。徹底的に読んだ上で、「なおも届かないところがある」と気づけば、そのあたりが先を見通すための鍵とわかるだろう。

(部分引用終)

そこで、報道ではないが、昨日届いた本を。

https://twitter.com/ituna4011
Lily2 ‏@ituna4011 9 seconds ago

"Culture and Conflict in the Middle East" by Philip Carl Salzman (http://www.amazon.com/dp/1591025877/ref=cm_sw_r_tw_dp_pcwAvb1F697C7 …) arrived here yesterday.

(転載終)
これは、5月1日付、つまり旅の道中で旅団全員にメールでパイプス先生から「強くお勧めする本」として紹介されたもの。実は、本書の裏表紙に、パイプス先生による推薦の言葉が書かれているし、2008年1月24日付『エルサレム・ポスト』紙に、本書紹介も兼ねたコラム(http://www.danielpipes.org/5412/the-middle-easts-tribal-affliction)を書いていらしたのだった。抜け目がないと言ってしまえばそれまでなのだが、ちょうど手術を受ける直前のことだったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121101)、どれほど命懸けというのか、神経をすり減らして一生懸命だったかがうかがえる。
10日間の旅のさまざまな連絡や案内は、「ホロコースト生存者の二世」としてイスラエルで育ち、国防軍では国家救出チームに属し、パイロットを務めた後、10年間ガイドを務めていると自己紹介した男性が口頭でなさった。このA氏については、国防総省(陸軍)勤務のシリンスキー氏もマサダで評価していらしたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150516)、通常の解説と同時に聖書の一節が自然と口に上り、しかも国家安全保障の観点から現実主義的な物の見方をされる、有能なガイド氏だった。この度の巡り会いに感謝した次第である。その上、スタディ・ツアーなので、パイプス先生が時折ピリリと辛口コメントを放ち、読むべき記事や本などをメール指示で導いてくださると、こちらとしても大満足。それは、旅の後も続いている。
本当は、パイプス先生はお父様に倣って大学に残り、若く優秀な学生達に対して、そのように中東理解を導きたかったのではないか、と想像している。この方面で、日本は少なくとも約二十年は遅れているのだから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150513)、歳を忘れてもっともっと頑張らなければならないのだ。
この本は、ベドウィンイスラームの関係について(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080421)、文化人類学的知見ではあるが、非常に厳しい見方をし、なぜ中東が混乱のままなのかを直視している。日本での私の限られた経験では、「そういうことを言ってはいけません」「主観と客観の違いは?」などと、最初から答えが決まっているか、長々と込み入った定義の確定から始まるので、それに沿った議論しか受け付けてもらえない傾向があるのだが、それに対して、見事にバサリと一般にも響くような簡潔かつ要領を得た記述が展開されている。
今回の旅で、表向きは「包摂主義」なる実践を取っているネゲブ砂漠のベングリオン大学で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)、その内実は遊牧民族ベドウィンとの共存問題を抱えるイスラエルの矛盾と苦痛を見た。これは、私がリサーチ対象地域とする、先住民族を有するマレーシアとも連続する問題だと思うし、今回の旅の参加者の出身国である、アメリカ合衆国のインディアンやオーストラリアのアボリジニやカナダのイヌイットの問題とも関係があるとも言えなくはない。だが、最も大きな相違は、イスラエルユダヤ人国家であるということだ。この「ユダヤ人国家イスラエル」という一語の意味が、聖書的にも歴史的知見からも理解できないと、「世界がイスラエルを破壊しようとしている」という強く切迫した危機意識(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150512)もわからないことになる。
日本だと、「死海文書を発見したのは、ベドウィンの羊飼いの少年達でした」と評するか、「イスラエルでは、高度なハイテクの一方で、今も聖書時代の生活を大切にしている共同体が暮らしているんですよ」などという美しい表現で、現代に生きる伝統との共存の肯定面のみが一方的に説明されることが多い。しかしながら、現代国家イスラエルで、国境を超えて広がるベドウィンの人々と一緒に生きる実生活の困難さは、イスラーム主義が燃え上がっている昨今、看過できない側面である。そこを鋭く突くのが、パイプス流である。

では、この著者はどのような経歴を持つ方なのだろうか。アマゾンの「著者紹介」から転載引用する。

http://www.amazon.com/Culture-Conflict-Middle-Philip-Salzman/dp/1591025877/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1432969354&sr=1-3&keywords=culture+and+conflict


Biography


Philip Carl Salzman, B.A. (Antioch), M.A., Ph.D. (Chicago)
Professor of Anthropology, McGill University (1968-present)
Houtan Senior Visiting Fellow, University of St. Andrews, Scotland (2010)
Erasmus Mundus International Fellow, University of Catania, Sicily (2012)
Open Society Academic Fellowship Program International Scholar, American University of Central Asia, Kyrgyzstan (2011-2012)
Visiting Professor, China Studies Centre, University of Sydney (2013):


As a sociocultural anthropologist, I had the good fortune to carry out ethnographic field research for 27 months among nomadic tribes and settled cultivators in Iranian Baluchistan during the period 1967-76. My findings have been reported in Black Tents of Baluchistan (Smithsonian, 2000; winner of the Premio internazionale Pitré-Salomone Marino), and have contributed to a more general treatment of pastoral nomads and tribes, discussed in Pastoralists: Equality, Hierarchy, and the State (Westview, 2004). My interests in nomadic peoples led me to organize the Commission on Nomadic Peoples of the International Union of Anthropological and Ethnological Sciences, and to found the international journal, Nomadic Peoples (currently published by Berghahn), for which the IUAES granted me their "Gold Award."


Drawing on my appreciation of tribal organization, I have tried in Culture and Conflict in the Middle East (Humanity, 2008) to explain what appear to be structural problems underlying the seemingly endless conflicts and counterproductive movements in the contemporary Middle East. At the same time, in Postcolonial Theory and the Arab-Israel Conflict, P. C. Salzman and D. R. Divine, eds. (Routledge, 2008), my collaborators and I have tried to demonstrate that alternative, postcolonial explanations of current problems in the Middle East are ill-conceived and unfounded. For this and other related work, in 2009 Scholars for Peace in the Middle East honored me with their Presidential Award.


Complementing my study of tribes with field research among peasants, I carried out ethnographic field research among pastoralists in Gujarat and Rajasthan (1985) and, leading a team of researchers, among shepherds and others in highland Sardinian communities (1990-95), the latter reported in The Anthropology of Real Life: Events in Human Experience (1999).


My current research on the compatibility of ultimate value objectives focuses on freedom and equality, and the ways in which these are reconciled or balanced in societies around the world, among tribes, peasants, farmers, and urbanites.

(転載終)
上記の中で、「中東における現行の諸問題を巡る代替のポスト・コロニアル的説明は、まずい発想で事実無根である」と断言されている点、パイプス先生の長年の主張と合致するばかりか、お父様のご著書にあった記述とも合致する(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141114)。申し添えれば、「ポスト・コロニアル」を冠したマレーシア研究に対する強い違和感を、私も長年覚えてきたところである。
蛇足ながら、パイプス先生がなぜ、今回の旅でネゲブのベドウィンに焦点を当てたかの遠因を憶測するに、学生の頃、サマーキャンプで訪れた砂漠に魅せられ、その後、ベルベル人の研究に惹かれた経緯があってのことではないだろうか(http://www.danielpipes.org/11525/)(http://www.danielpipes.org/15326/)。ただし、あくまでこれは勝手な想像に過ぎない。いずれにせよ、50年ほどの現地訪問と観察経過に基づいていることは確かだ。
心して、池内先生のご叱責に耳を傾けたいところである。
もう一点、取り上げたいものがある。イラン放送の部分抜粋だ。

http://japanese.irib.ir/news/leader/item/51540


2015/01/22(木曜)
「最高指導者の欧米の若者たちに向けた書簡ー全内容」


イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師が、欧米諸国の若者たちに対し、イスラムの真実について調べ、世界のメディアや政治家のイスラム恐怖症を広めるための騒動に屈しないよう求めました。


慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
欧米の全ての若者諸君へ


・私の諸君への言葉は、イスラムについてである。特に、イスラムについてあなた方に提示されているイメージについて。20年前から、つまり、ほぼソ連が崩壊した後から、この偉大な宗教を恐ろしい敵であるかのように見せようとする多大な努力が行われてきた。恐怖や嫌悪感を煽情し、それを悪用する動きは、残念ながら、西側の政治史において長い経歴を有している。私はここで、これまで西側の国民たちに吹き込まれてきた様々な「恐怖症」を取り上げるつもりはない。あなた方自身が、歴史に関する最近の批判的な研究を簡単に振り返れば、新たな歴史的記述において、世界の他の国民や文化に対し、西側政府が取ってきた不誠実で偽善的な行動が非難されていることが分かるだろう。欧米の歴史は、奴隷制を恥じ、植民地主義時代を不名誉とし、非キリスト教徒や有色人種への弾圧にやましさを感じている。諸君の研究者や歴史家は、カトリックプロテスタント間の宗教の名のもと、あるいは、第一次、第二次世界大戦で国や民族の名のもとに行われた流血に、深い恥辱を表している。


・なぜ、西側の一版の良心は、常に、何十年も、時には数百年も遅れて目覚めなければならないのかと。なぜ、集団の良心の見直しが、現在の問題ではなく、遠い過去に集中しなければならないのかと。なぜ、イスラムの文化や思想への対応方法など、重要な問題において、一般の人々の見識の形成が妨げられているのだろうか?


・なぜ、恐怖を植え付け、嫌悪を広めるという古い政策が、今回は、前例のない激しさで、イスラムイスラム教徒を標的にしているのだろうか?なぜ、世界の権力構造は、今日、イスラムの思想が消極的になり、脇に追いやられることを望んでいるのか?イスラムのどのような意味や価値観が、大国の計画の妨げとなり、イスラムに関する誤ったイメージの植え付けによって、どのような利益が確保されるというのだろうか?


・先入観の植え付けとマイナスのプロパガンダの洪水に対し、この宗教に関する仲介のない直接の知識を手に入れるよう努力してほしいということだ。論理的にも、あなた方を逃げさせ、怖がらせているものがどのようなものであり、どのような本質を持っているかを少なくとも知るべきである。私はあなた方に、私の解釈やイスラムに関する別の解釈を受け入れることを主張してはいない。そうではなく、現代の世界において、この生き生きとした影響力のある事実が、穢れた目的や私利私欲によってあなた方に示されるのを許してはならないと言っているのだ。彼らが偽善によって、自分たちの雇うテロリストをイスラムの代表者としてあなた方に紹介するのを許さないでほしい。


イスラムを、元来の純粋な資料を通して知ってほしい。イスラムを、コーランイスラムの偉大なる預言者の人生を通して学んでほしい。私はここで、あなた方に尋ねたい。これまでに自分で直接、イスラム教徒のコーランを参照したことがあるだろうか?イスラム預言者の教え、彼の道徳的で人道的な教えを研究したことがあるだろうか?果たしてこれまでに、メディア以外の別の情報源から、イスラムのメッセージを受け取ったことがあるだろうか?このようなイスラムが、どのようにして、どのような価値観に基づき、幾世期にも渡って、世界最大の学術的、思想的な文明を育成し、最も優れた学者や思想家を育てたのかと、自らに問うたことはあるだろうか?


・これらの疑問の答えを見つけるための努力は、あなた方の前に、新たな真理を見出すための貴重な機会をもたらすだろう。そのため、イスラムを先入観なく正しく理解するための、この貴重な機会を失わないでほしい。そうすれば恐らく、真理に対するあなた方の責任感により、未来の人々が、西側とイスラムの交流の歴史のこの時代を、より安らかな良心とより少ない苦しみによって記すことができることだろう。


セイエド・アリー・ハーメネイー
2015年1月21日

(部分引用終)

上記の講話は、ヴァチカンの教皇講話(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090102)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101219)に形式がそっくりである。その理論的考察については、パイプス先生が過去に優れた論考(http://www.danielpipes.org/15810/)を提出されているので、そちらを参照のこと。それを読めば、上記のハメネイ師に簡単に靡く軽率さや安易さは免れることだろう。
簡単に答えを求めないこと、感情的に心酔しないことである。何事も、世界史と日本史の二本立てで、広く深く考察する姿勢が求められる。もし考えが及ばないならば、口を閉ざし、自分の仕事に黙々と精を出すことである。