ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

バナナかマンゴか?

昨日の続きです。久しぶりに‘Brown Sahib’を思い出すと、懐かしさと同時に、あの頃の私の混乱ぶりと必死さが、我ながら愛おしくも思えます。
かつての旧宗主国のマーティ夫人から、被支配側に出現した一種の‘知的模倣成金’みたいな人達を皮肉っぽく描いた(しかし、著者自身にも矛盾が内包されていることが歴然としている)一冊の本をいきなり渡されて、別の意味で乱暴だった旧支配国日本から来ているのに、「この本、どう思ったかしら?」と問われても、返答に窮するばかりだった私。あの頃は、私の力不足だとばかり思っていましたが、今から考えれば、マーティ夫人もマーティ夫人。その辺りの相互の位置関係や込み入った背景などが、あまり配慮できていなかったんでしょうね。いかにも突飛過ぎました。
もし、本当にあのようなテーマで議論を期待されていたなら、もう一人の日本人女性を加えるなどして、グループ・ディスカッションをした方が、多少はやりやすかっただろうと思います。または、英語習得だけに限定して、内容はともかく、文法や語彙の言い換えなどに集中する方法もあっただろうに、と。
その後のリサーチなどでわかってきたのですが、‘Brown Sahib’みたいな人達は、マレーシアの都市部に所在する、英語使用のキリスト教会でも観察されました。さすがに南アジア風の表現は不適切なためか、「バナナ人」と呼称しているようです。そこから派生して、「バナナかマンゴか?」などのような表現もあります。
「バナナ」と言えば、うちには、‘Banana Republic’と大きく描いた古いTシャツが一枚あります。私がマレーシアで孤軍奮闘していた同時期に、アメリカで暮らしていた主人が買ったものです。夏場、意味を何も知らず、主人は着ていました。それを見て私は、何ともおかしな気分にさせられ、つい笑ってしまったのに、その意味を問うことさえ、主人はしなかったのです。知らぬが仏って、このことなのでしょうか。