ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

彼女達は今いずこ

早いもので、今年ももう一ヶ月経ってしまいました。ついこの間、お正月を迎えたばかりだというのに...。

昨日は久しぶりに、ご連絡をいただいていた同志社大学の公開講演会に行ってきました。ご年配者中心の集まりでしたが、確かにトルコ共和国特命全権大使のご講演だけあって、警備の人も神学館の前に立っていらっしゃいました。お話の内容は、正直なところ、予想通りの公式見解で、特に新しく知ったこともなく、大使のお話とはかくあるもの、と再確認させられました。
トルコについての報道が日本では少ない、と内藤先生がおっしゃったのですが、私は全くそう思いません。来年度から同志社に移られる内藤先生ですが(既に新聞でも公表済み)、どうも以前から、先生の思考回路に同意しがたい点が私には多くあります。だから、申し訳ないことに、ご著書も、本屋さんでの立ち読みで済ませてしまっています。念のため、主人にも聞いてみたところ、「え?テレビでよくトルコのことやっているじゃないか。見てないの?その先生」と。
恐らくは、あまりにもご多忙であることと、ご自分のテーマに集中し過ぎて、全体が見えにくくなっていらっしゃるのかもしれないなぁ、と思っています。
まあ、マレーシア研究者の中にも、「私の村」が学会の注視を集めなければ我慢できない、みたいなタイプも、一昔前にはいたようですが。世間の人は誰もそう思っていないのに、「研究」というお題目に引き摺られて、一人力こぶが入ってしまうってことは、よくありがちです。くわばら、くわばら...。
一つ感じたのは、この大学で事務を担当されている新しく入られた女性スタッフが、とても有能であることです。以前のスタッフよりも、多分、少し年上の方なのだろうとも思いますが、それだけに気配りも上手で、大変気持ちよく過ごさせていただきました。センター開設当初は、先生方も緊張されていたからなのか、とかくギスギスした雰囲気や、顔に気分の上がり下がりが出ていたような対応を受けました。中には、博士課程まで在籍したのに自分は「事務方」をやらされている、という不満が態度に出ていた人もいました。ちょうどその頃の、年功序列が崩れ、これからは実力の世界だ、という巷の風潮を文字通りに解釈したからでしょうか。気持ちとしては理解できなくもありませんでしたが、(こちらは、呼ばれている側なのに、どうして若い人にこんな扱いを受けなければならないのだろう?)と、感じたことも何度かあります。
でも、ここから学んだのは、だからこそ、どんな仕事でも、どのような立場であっても、たとえ小さな名簿処理のような事柄であっても、世の中には不要な役割など何一つないのだ、ということです。こちらは、表面的に見れば、講演会のお知らせを郵便で受け取り、スケジュールが空いていれば申し込み、その日に出かけて行きます。黙ってプログラムを受け取り、席につき、黙ってメモを取りながら話を聞き、終われば黙って帰って行くだけです。そして、主役は講演者であり、司会者です。しかしながら、その2時間が滞りなく行事として進むには、蔭なり日向なりのこまごました作業が不可欠です。こちらは外部者だけに、そういうところも敏感に感じ取ります。
センターが一応の世間的認知を得、軌道にのったからでもありましょうか、少しは落ち着いてきたように思いました。同時に、設立当初に、理不尽にもかなり苦労させられたのであろう女性スタッフ達は、今どこでどうしていることだろうと、少し気にもなります。