ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

不思議な光景

気になるので、国会中継をテレビで部分的に見ると、毎日のように激しくヤジを飛ばされ、叱られている現総理です。もごもごと口を動かして、一生懸命に答弁されているようなのですが、どんどん猫背になっていくような...。
一方で、『鳩山一郎・薫日記 上巻』を開けば、お祖父様の隣で制服を着ておとなしく座っている、昭和30年頃、つまり小学生の由起夫氏と邦夫氏が目に入ります。確かに、目がくりくりして利発そうで、かわいらしいのですが、その子達自身も今は還暦を過ぎ、孫もいる。そして、メディアを利用しつつもメディアにたたかれ通しの上、自らは毎日のようにツィッターで短信を送り、「国民の皆様」と語りかけている。このギャップをどのように埋めたらいいのか、一読者として、また、一国民として、少し戸惑います。何とも不思議な光景です。これが同時代を生きるということなのでしょうか。

でも、この日記、なかなかおもしろいですよ。ご興味のある方は、是非、一読をお勧めします。正直なところ、‘ゆっきー’総理のツィッターやブログやメルマガよりも、遙かにおもしろいです。丁寧に対応しようとする意図はわかるけれど、クリックしてみると、何だか小学校の授業を見ているような説明しかなくて、肩すかしを食らった感が否めないのです。
『日記』の方は、まずもって格調が違う。そして、事務的な淡々とした記録のうちに、時々、論文や本からの抜き書きがあったり、知己のご葬儀に出たりする箇所が出現し、実に人間味に溢れているのです。世界情勢や人物評価を時折、読み間違えているところも、今から振り返れば、興味深いところです。

あのように何かと目立つ家に生まれ、小さい頃から、プレッシャーはあってもプライバシーのない人生を過ごし、しかも、取り立てて反発したりもせず、努力に努力を積み重ねて指導者となり、国を動かそうとする。私には想像もつかないような暮らしですが、本音のところは、いったいどうなのでしょうねぇ。
ただ、自由な家風であったことは、うちの主人の言からも裏付けられるようです。雑誌や本で、あれこれ、鳩山家のあることないこと悪口を書き立て、または太鼓持ちのような文章を書き連ね、それを売って食べているような三文ジャーナリズムがありますが、さすがは子どもの時(と言っても、小学校一年生から大学院まで)、興味関心も関係もなくとも、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんから薫子さんの話を時々聞かされていただけあって、「鳩山の家は、そうじゃないと思うよ」などと言っています。こういう、メディアに現れない情報こそが、力を持つのでしょうね。
本当に、今回の件では、思いがけず、いろいろな勉強になり、視野も広がりました。