ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

お正月休みも明けました

長いようで短かったお正月休暇。今日から実質、仕事始めです。まずは、たまった片付け物から始めなければなりません。
2日には、義母と主人と三人でお墓参りと食事。義母は、長年、嫌々続けてきた仕事をきっぱりやめて、少しは元気になったようでした。今後は、これまでの蓄えで、のんびり好きなように過ごしてほしいと思っています。
昨年3月の鳩山会館や鳩山家のお墓参りの写真を持って行くのを忘れてしまったのですが(参照:2010年3月23日・3月24日・3月25日・3月26日・3月29日付「ユーリの部屋」)、義母の母方の祖母、つまり主人の母方の曾祖母が薫子さんと縁続きだったことを再確認。でも、孫の由起夫氏などのことは、全く評価に値しないようなそぶりでした。
今年もまた、たくさんお年賀状をいただきました。中でも、学会発表や研究テーマに関する激励の言葉が何人かから寄せられたため、うれしくてぴょんぴょん飛び跳ねました。この歳になって、立場も何もない私が、「学会でのお働きに感謝します」「また研究会などでお話ししたいです」「これまであまり蓄積のないテーマなので、今後に期待しています」などと書かれるようになるとは思ってもみませんでした。昔は、「この教授には挨拶をしておくべきだ」などと処世術めいた形式を教わり、心も実質もないままに、半ば義務感だけで緊張して頭を下げていたところがありました。ただ、時代も変わったのでしょうが、実際には、うわべだけの挨拶では全くダメで、何か本質的な部分がなければ、誰も相手にはしてくれないのだ、ということです。それがわかっただけでも、歳をとったかいがあるというものです。
カレンダーを改めて、予定を書き込むと、今月は忙しいことが判明。2月のフランス旅行2週間、勤務先からいただいた旅行券を利用しての3月の夫婦沖縄旅行(参照:2010年11月13日付「ユーリの部屋」)、その合間に学会発表(予定)、昨年の学会発表の要旨書きなど、行事は目白押しです。でも、お年賀状によって励まされ、勇気凛々、元気が出てきました。本当に、ありがとうございます!
マレーシア専用のフェイスブックは(参照:2010年12月21日・12月23日付「ユーリの部屋」)、相変わらず私からは発信せず地味ながらも、徐々に友達リストが増加中。うれしいのは、20年前には少年少女だった子達が、今や当時の私の年齢に達して、元気に成長していることです。「もちろん、アンティのことは覚えてます。うちの両親に、メッセージ伝えておくね」って、こんな感じです。やっぱり、人と人のつながりは大事ですね、記憶に残るのですから。
懸念していたように、昨年のクリスマスの会合でも、またマレーシアでは、ムスリムの首相が出席する以上は、十字架を降ろせ、讃美歌は歌うな、などの一悶着があったようです(参照:英語ブログ“Lily's Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20110105)。また、エジプトのコプト教会襲撃事件も、珍しく日本で大きく報じられました。やっと、事の重大さが広く認知されたようで、やれやれ、といったところです(参照:2007年10月25日付「ユーリの部屋」)。
お正月休みの間は、学生時代の思い出をサカナに、マルクス主義の弊害について主人と話し合っていました。今では笑えてくることばかりですが、知識階級然として偉そうに振る舞っていた二流人が、その世界観によって、いかに学生達を内心惑わせ、その成長を阻んでいたことか。しかも、今でもまだ気づかずに、本まで送ってくる人もいるんだからねぇ、と。これは文系の話です。主人は実学重視の工学系で、実力がはっきり出るため、はったりをきかせた無益で誤れる思想はきっぱり拒否。教授であれ、院生であれ、文系の男性陣を見ていて、(結婚相手には、やっぱり理系企業の常識的な人がいい)と決心したのも、元はと言えば、それが理由です。