ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

病める友へ

矢内原忠雄先生の「療養五則」から、感銘を受けたことばをご紹介させていただきます(『矢内原忠雄全集 第二十二巻岩波書店 1964年 pp.371-373)。

一 神の守を信じて心を平かに保つべし
一 聖霊の宮なるを思ひて体を静にすべし
一 病床にも祈と愛の生活はあるなり
一 過ぎ去りたるを思はず朝毎に新に生くべし
一 常に喜び事毎に感謝し凡ての事信頼すべし

一 病気療養の道は心身の安静にあると言はれるが、いかにすれば心を平静に保つことが出来るか。それは、「神様が守つて居て下さる」との信仰に由るのである。神様が自分の生涯を支へ、自分の病床をめぐり、憐憫と恩恵とを以て自分を見守つて居て下さるのだ。この信頼が私共の心にまつはりつく思ひ煩ひと取越苦労を取り除いて、依り頼む者の平安を与へてくれるのである。


一 病床にて身体の安静を保つことも亦容易でない。とかく我儘が出て、身体の安静を破る。果ては苦痛の激しい時、若しくは病気のあまりに長引く時など、自分は何の為めに身体の養生をせねばならぬか、療養の意味そのものを疑ふ気さへ起るのである。身体はなぜ療養せねばならぬか。それは、身体は聖霊の宿り給ふ宮だからである。身体は自分のものであつて、自分のものではない。それは聖霊の宮として大切に扱はねばならない。この信仰が身体の安静を保つ根本的秘訣であるのである。


一 病気の療養は、ただ消極的な安静だけにては果たされない。仕事の無きこと、人生に生き甲斐の見出されないこと、之こそ病者の最大苦痛である。故に病者にも自己の生涯に積極的意味のある事を知ることが、病気療養の第三の秘訣である。而してそれは祈と愛である。人生に於いて祈と愛とに勝る積極的・永遠的意味を有つ仕事はない。病者は専心この仕事に従事する特権を有つて居る。祈と愛とに励むとき、病者の生涯は健康者に勝るとも劣らぬ存在の光を放つのである。


一 人の健康上最も有害なるは過去を思うて後悔することである。自己の為した過失、自己の蒙つた損失、あの事この事を思ひ出して悔むことは、病床つれづれなる時我らを悩ますこと甚しい。併し我が為めに十字架に死に、又我が為めに復活し給うたキリストは、我が生命を朝毎に新たにし給ふ。過去については唯恩寵のみを思ひ起せよ。それは恩寵のみが永遠であるからである。その他の事については、一朝明ければ又一日の生命を感謝して、一日一日を新鮮に生くること、之が療養の第四の秘訣である。


一 常に喜び、事毎に感謝し、凡ての事信頼するは、健康者にも病者にも決して実行容易なことではない。併しそれが人生の正しき生き方であり、病気療養の道でもあることは疑ない。どうすればこのやうな心の態度を以て生きることが出来るか。ただ信仰に由るのである。かかる心の態度は、有たうとして有てるものではない。ただ神を信ずる信仰はおのづからかかる心の有ち方を信者の中に養うてくれるのである。このやうな心を有ちて生きる事が出来れば、その人は人生の意義を全うしたのであつて、癒ゆるも可なり、癒えざるも可なり、全く病に打ち勝つことが出来る。之が療養第五の秘訣である。

(『嘉信第七巻第十二号昭和十九年一九四四年十二月