ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

隠れたところで

前田護郎選集4 希望の福音教文館2008年)からの部分抜粋です。

(前略)内村とその弟子たちによって明確に示された無条件の救いの福音は、既存の教会へ行く時間も力もない苦しむ人々にとって、歓迎すべきものである。日本では全国に初等教育が普及し、事実上、文字を知らない人はほとんどいないことを思い出してほしい。もちろんこれは、聖書の普及にたいへん役立つ。幸い、聖書全巻の日本語訳は80年以上前から入手できている。日本では聖書がベストセラーであることも意味深い。何百万という部数が印刷され、売られてきた。日本人が聖書のある部分を読むことに興味を覚え、そして信仰のみによって救われることを知ったとき、キリストへの道はその人に開かれている。聖書がこのように多数行き渡っていることから見ると、無教会信徒は多数であるかもしれない。その数をわれわれは数えることはできない。その数を知る必要はないと思っている。(中略)(pp.322, 320)

無宗派であることから、無教会の人々は、既存教派の教会に所属している人々も集会に迎え入れることができる。そのうえ、集会やグループの大きさに対する無関心と、無組織という原則のため、無教会は一般に統計をとらない。したがって、無教会信徒がどれほど存在するのかを知ることは不可能である。ついでながら、日本の教会員の数はしばしば誤解を招く。なぜなら、その人々のうち、教会を離れた人が多いからである。水の洗礼を受ければ教会員となり、統計数は膨らむが、その人々の多くは去って痕跡もないのに、会員リストは変更ないままとなっていることが多い。(中略)(p.320)

しかし、彼等は平和団体のメンバーのように組織化せず、今後も組織化することはないであろう。ひとりひとりが正しいと信じるとおり行動する自由を持っている。平和はもちろん望ましいことであるから、すべての人は平和を維持し、促進するよう努めるべきである。これは倫理的であり、このような倫理は多くの日本人に理解され支持される。したがって、無教会独自の平和運動は必要ない。むしろ各人は、自らの自由意思と選択にふさわしい運動ないし組織に入ればよい。常に主の御名を繰り返す必要もない隠れたところで、隠れた神に仕えて、無組織の無教会信徒はそれぞれに許された活動をしている。ここでも統計はない。ある無教会信徒は、朝鮮半島や台湾や他のアジアの隣人たちを助ける努力をしている。しかしわれわれは、誰がこれを行い、どのくらいの数の物がこれらの国に送られているかを知らない。そのための人事や予算もない。しかし、ひとりでにその成果は表れてくる。ある無教会指導者の最近の朝鮮半島訪問がいい例である、。彼は半島で温かく迎えられ、責任感を新たにして帰国した。(後略)(p.318)

[訳:上田明子]

(参照:“Lily's Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20100111))