ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

碩学のことばから (4)

三谷隆正全集 第四巻 世界観・人生観・神の国と地の国岩波書店1965年

・本を余り沢山読むな、少数の良書を丹念に読め、さうして何よりも実験による自分自身の研究に精を出せ、といふ趣旨のものである。本をいくつか読んで、その読んだ結果をつぎ合せて拵へあげたやうな論文は、最も価値の少い論文であるといふのである。(「文化科学に於ける実験」日本評論社版『社会経済体系』第一五巻所収、昭和三年二月発行)p.537
・殊に我らにとりての学的関心の重点は、研究の対象たる人生的事実それ自身であつて、それについて他人が何を言つてゐるかではない。(中略)真摯なる学徒はいはゆる学界の風潮などに頭をいためるべく、余りに真摯なる攻究を学的問題それ自身の内面にのみ向けつつある筈である。かうした用意を以て各自の学的研鑽に精進する時、我らのこの全人間への注目を援けて最も力ある手引たるを得る種類の読書は、良き文学である。よき詩、よき小説、詩的洞察に豊かなる歴史である。殊に素樸雄勁なる古典である。よき芸術は分析しない。生けるいのちそのままの姿を、渾然たる活表現のうちにさながらに収めて活かす。(「文化科学に於ける実験」日本評論社版『社会経済体系』第十五巻所収、昭和三年二月発行)p.540
・専門的良書は少数の傑出したものを丹念に味読し、その余は渾然たる人間彼ら自身に即して、真摯に自家の直接なる印象を積むことが大切である。(「文化科学に於ける実験」日本評論社版『社会経済体系』第十五巻所収、昭和三年二月発行)p.541

三谷隆正全集 第五巻 信仰と生活・書簡・英文・年譜岩波書店1966年

・どんな種類の演説をする場合でも一番大切なことは内面的な確信である。話す人とその人の話すことばとの間に内面的に完全な一致があるといふことである。(中略)この内心の不安といふ奴は隠せるものぢやない。これに反して全き確信といふものには屡々又その確信を発表したいといふ要求が伴ふものである。(中略)然し公に物言ふべく内面的な指命を持つてゐる人の所へは屡々自からに外側からもさういふ職分がやつて来るものである。(中略)先づ第一の点は自然であるといふ事である。(「ヒルティ雄弁論」『聖書講義』昭和十六年六―八月号)pp.32-33
・独自なものの言ひ方をすればいゝので決して誰か他の人の真似をしてはならない。何時も自分自身の人となりをそのまゝにさらけ出せばいい。(中略)ちやんと準備してゐるといふ事は決して恥づべき事ではない。(「ヒルティ雄弁論」『聖書講義』昭和十六年六―八月号)p.34
・一体演説といふものは演説者が聴衆を高く評価する程いゝ演説になるのである。だからこの点に関しては一般に演説する者はいついかなる場合に於ても現前の聴衆を通して全教養人に話かけて居るのであると覚悟し、自分が持つてゐる限りの一番よいものを与へようといふ心掛けで話をすることが大切である。(「ヒルティ雄弁論」『聖書講義』昭和十六年六―八月号)p.35
・幸にして友情といふものはあらゆる人の間に於て可能である。外側の境遇とか生活条件とかいふ事は少しも或は大して邪魔にならない。内側の理解さへあるなら。殊に身分の相違は決して絶対の邪魔にはならない。唯恐らく唯一の例外は非常に高い身分の人である。(中略)然しこの外には国籍の相違であるとか、職業、財産状態、更に教養の差でさへ友情にとつては益になるだけである。(「ヒルティ友情論」『聖書講義』昭和十六年九―十二月、同十七年一―二月、四―六月号)p.54
・既に古いイスラエルの格言にも、妬み心ある者と共にパンを食ふなといふ事がある。虚栄心の強いものはいつも嫉妬深い。彼等は凡ての人を競争者といふ見地から見る。さうして他人の名誉を自分の名誉の侵害のやうに見る。(「ヒルティ友情論」『聖書講義』昭和十六年九―十二月、同十七年一―二月、四―六月号)p.64
・其道徳的脊椎骨の強靱なるものあり、国民に剛健なる独立自尊の気概あるとき、国の破るゝは必ずしも悲しむを須ひません。(「中年の福音」『永遠の生命』昭和五年十一月号)p.204

書き写しながらいつも思うのですが、何ら特殊でも極端でもなく、実に健全で常識的なことばかり綴られています。ただ問題は、それをどこまで実践できるかだろうと思います。そして、その道理がわかっている人々の多い環境に身を置くかどうかも重要だろうと考えています。
たとえ学歴が高くても、こういうことを教育されたことがなくて、かえって嘲笑したり馬鹿にしたりする人々も残念ながら存在します。わからない人の中でいくら実践しようとしても、逆に翻弄され、つぶされることもあり得ます。そこをしっかりと見抜くことも、処世法なのかもしれません。