ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

聖徳太子と「和」の思想

メーリングリストhttp://melma.com/backnumber_256/)より部分抜粋転載を。

国際派日本人の情報ファイル
聖徳太子の苦闘と「和」の思想について(上)」


今村信吾
No.2768 H30.03.26 7,946部


・はじめに


戦後教育では、アメリカ型の教育が移植され、「民主主義教育」、「人権教育」、「平和教育」等々をキーワードとして、個人の生き方の確立、つまり「個性尊重」「生命尊重」、「生活安全」を実現することが目標とされた。


これだけを見れば、何が問題なのだと思はれる方もゐるだらう。しかし戦後教育のねらひは、わが国の伝統的な教育観の否定であり、国家観を喪失させ、家族の人間関係を軽視するものだった。


これでは子供が健全に育つはずもなく年々その弊害が顕在化してゐる。


どう考へても「本来の日本人の姿」からはほど遠い


「心の教育」だ、「命の教育」だと言ってゐるのは、私には言葉を弄ぶ欺瞞にしか見えない。「生きる力」が叫ばれ出したのは20年ほど前からだらうか。なぜ、現状を見据ゑて、戦後教育の根本を正し、日本人の本来の生き方に戻らうとしないのかと、残念でならないのである。


1見失はれた「日本人としての価値」


・三土会では、黒上正一郎先生の御著『聖徳太子の信仰思想と日本文化創業』を輪読してゐるが、その巻末に載ってゐる高木尚一先生の文章に次の一節がある。


「日本文化の先駆的開拓者が、古来外来文化との接触交流の時機に際して、いかにこれを批判し、これを摂り入れるかに、どんなに苦闘精進をつづけて来たかといふことについて、文献的にまた史実に基づいて克明に究めよういふ欲求は、まだまだ高まってはゐない。」
「そのために、我が国民は外国文化に対して自主的に立ち向はうとする意志力に欠け、内治、外交共に活力を失ひつつある。このことは、国家の為、まことに憂ふべきものがある」


・昭和32年に書かれたものであるが、当時も今もまったく状況に変りがない。


戦後は「日本人としての価値」を無視した教育が国民に浸透したため、国民は全体的に意志力をなくし判断力も欠いてゐるやうに見える。あるとすればアメリカから輸入された「民主主義」「自由主義」といふ言葉であって、つまりはファッションとしての言葉だけである。もともと私たちの国はアメリカとは全く違ふ歴史を歩んできたわけだし、アメリカにはアメリカなりの「公共への奉仕」を国民に要求するものがあるはずなのに、それを見ようとしなかった。敗戦による思想の混乱もあったし、それ以上に占領軍(GHQ)によって「日本文化」を貶め、日本の過去を否定する意図的な政策が実施されたことで、「日本人としての価値」を見失って、耳障り良い「主体性の尊重」や「価値の多様化」に飛びつき、気づいてみれば「価値観の喪失」といふ精神の荒廃に見舞はれてゐたのだ。


2「苦闘精進」といふこと


・黒上先生の『聖徳太子の信仰思想と日本文化創業』(「太子の御本」)の輪読会に参加してゐる。その中で考へさせられることが多い。この「太子の御本」から、「十七条憲法」「三経義疏」、太子の思想に繋がる『古事記』、上古日本人の心を伝へる『万葉集』など、日本の歴史を貫く思想の源流を学んでゐる。


日本の歴史のどこの時代を切り取っても、或いはどの人物の思想を勉強しても、私にはすべて太子の御思想に結びつくやうに感じられる。太子の御思想を学ぶことは、日本の歴史や日本人の考へ方の基本に立ち返ることのやうに思はれるのである。


・御自分の解釈を排して、ひたすら太子の真実に迫らうとされた先生の研究態度、太子への信で貫かれた先生の人生姿勢には強く惹かれるのを覚える。


・黒上先生は国史を大きく三期に分けられて、第一期は推古朝以前、第二期を東洋の文化を受け入れた推古朝から西洋文化を受容した明治期まで、第三期を明治以降とされる。先生が指摘されてゐるやうに、日本は外来文化と接触するたびに「日本」の在り方を意識し、それによって、国の独立を守ってきた。そのときの中心的人物、つまり精神的指導者が聖徳太子であり、明治天皇であると仰がれてゐる。


・「太子の御本」に出てくる「苦闘精進」といふ言葉には注意しなければならないと、繙く度に感じてゐる。


・外国の文化が日本に入ってきたとき、当時は儒教や仏教だが、外国文化に染まらずに学ぶべきは学ぶとして、いかにして我々の独立を守ったらよいのか、我々自身の存在を失はずに、どうしたらよいのか、その苦しみはただならぬものがあったと思はれる。「苦闘精進」とは、太子の苦悩に共鳴共感し感服されたであらう先生ならではお言葉だと心底から思ってゐる。そして、この苦悩は紆余曲折を経ながらも、その後の日本の歴史の中で貫かれたもので、例へば、明治天皇五箇条の御誓文にも引き継がれてゐると思ってゐる。

聖徳太子の苦闘と「和」の思想について(下)」


今村信吾
No.2769 H30.03.28 7,946部


3「和」といふこと


・太子の取り組まれた「苦闘精進」の意味を理解する上での大事なポイントは、自分一人だけが高みに立って分ったやうな気持ちになってはならないことだと思ふ。十七条憲法の第一条の「和」がそれを考へるキーワードとなる。


「一に曰(いは)く、和を以て貴しとなし、忤ふこと無きを宗とせよ。人皆党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここを以て、あるいは君父に順はず、また隣里に違ふ。しかれども、上和ぎ下睦びて、事を論ふに諧ふときは、すなはち事理おのずから通ず。何事か成らざらん


「人はみな徒党を組みたがる、自分の事柄しか考へない。自分の主張に拘って、自分の主張が正しいのかどうなのかを冷静に考へやうともしない」、「自分の主張がどうなのかを何度も見直してみるといふ冷静さを持ちなさい」と言はれてゐるやうに思はれる。そのことを「和を以て貴しとし、忤ふること無きを宗とせよ」と言ってをられるのだと思ふ。


論語に於いて和の貴しとするのは、禮、換言すれば道徳秩序を維持するが爲に内心の和を必要となすのであって、而も和そのものは禮を以て節せざれば其の意義を全うせずと教ふるのは、ここに和の思想は道義生活實現の手段と見らるるのである。(中略)而るに太子の憲法に於いては、和の貴むべきを示させ給ひて、直ちに人皆黨(たむら)あつて達者少なき人生事實を洞察せさせ給ひ、それ故に自ら凡夫たるを省みて個我執着の弊を打破し、全體協力生活の精神にめざむることに依つて上下和睦して、君父隣里に忠順なるべき生を實現すべしと示し給ふのである。この上下和睦の内的根柢に立つとき、一切の事業は自然に真實の道理と合一し、國家生活は総ての波瀾と障碍(しょうがい)とを打破して開發進展せしめらるべきことを宣(のたま)ふのである」


・つまりは「正しい議論」のすすめなのだ。よく学校で「民主主義(デモクラシー)」といふ言葉を使って、個々人の意見を聞くことを教へてゐながら、実際には話し合ひも少なく多数決方式で決めてしまふ。人々の意見を単純に数の力で輪切りにしてしまふ。まったく情の通はない、寒々しい人間関係となってゐる。


・「凡夫」の語は憲法第十条の「共にこれ凡夫のみ」にも出てくるが、個々人の意見はあるだらうが(これを否定しない)、自らを顧みつつ互ひに情を通はせ心を通はせながら、周囲と共に行へとの教へに符合すると思ふ。独断の戒めだと思ふ。


・桑原暁一先生は『日本精神史抄』(国文研叢書2)の中で、次のやうに記されてゐる。


法隆寺五重塔の美しさについては、自分などが今さら何も言ふことはない。ただ一言だけ言ふことが許されるならば、それは上求菩提、下化衆生の精神そのものである、といふことである。両の手に広く衆生を抱きつつ、急がず、あせらず、だんだんと衆生を上へ上へと引き上げて行くといったらよいであらうか。またそれは『和』の形といってもよい。太子にとって『和』とは相共により高きものを志向するといふことであった」


法隆寺の伽藍は理屈抜きに美しいと感じるが、あの五重塔には太子の「和」の思想を表現したものだと言はれれば、なるほどその通りであると納得させられる。古代の人々は太子の和の精神を形あるものにして、後世に残さうとしたに違ひないと、その情熱に頭が下がる思ひがする。


・太子以後の日本の歴史とは、先人たちが「相共により高きものを志向」しつつ、御皇室を中心とした「和」の実現に力を尽してきた歴史でないかと思はれるのである。


4世界の中の日本の思想


・このやうな「和」の思想を日本人だけのものにしてはならないといふことである。「日本の伝統思想こそは最も真理にかなった最も知的に考へることを可能としてくれるものだ」と胸を張って答へることができるやうになったとしたら、本当の意味で「詩と哲学の恢復」になるのだと思ふのである。


・冒頭で述べたやうに、日本人は戦後、戦争に負けて自信を失ってゐる。欧米の文化が自分達の文化より優れてゐると本気で思ってゐる。これは明治の開国期まで遡るもので反省すべき点だが、敗戦によって一層深く染みこんでゐる。


・最近は、学校教育でも日本の美術や音楽に関心を向け始めた。しかし、まだまだ西洋文化・思想の二番煎じに過ぎない。外国文化との比較の対象としか扱はれてゐない。


・我々が欧米人やアジア諸国の人に向って、「日本の伝統文化はこれこれです」と胸を張って言へるやうにならなければならない。ただ説明するだけではだめである。


聖徳太子が「三経義疏」の所々で、「私の釈は少しく異れり」と記して大陸の高僧達の仏典解釈を批判したやうに、現代の私たちも「あなたたちが信じてゐる民主主義(デモクラシー)や人権思想といふものはかういふものだが、この点の考へが間違ってゐる」といふことを堂々と言はなければならない


・日本は、世界で一番の道義国家と信じてゐる。「相共により高きものを志向」して来た歴史があり、この歩み自体がわが国の国体、国柄である。陛下と一般国民が同じテーマで短歌を詠み合ふのが日本の国である(歌会始)。元首と国民が同じ題で詩を作ってゐる国は日本以外にどこにあるだらうか。


・学校の「政経」の授業では国連職員が先進国で一番少ないといふ話をした。日本の若者が自分の国に自信を喪失して、自国に誇りを持てずにゐる。今、最も憂へるのはこのことである。

(部分抜粋引用終)