ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

偏差値教育の弊害は今に至る

昨日は冬至。恒例に従い、かぼちゃを圧力鍋でふかし、ゆず2つをお風呂に浮かべて楽しみました。
ところで、結婚前に主人は、「僕たちの子、絶対かわいいよ。色白で目が大きいことは確実だ」と、何度も言っていました。そして、「頭のいい子が生まれるかなぁ」とも。私は、受験体制の抑圧体験が相当歪んで残っているためか、自分が頭がいいとなかなか思えなかったので、それには同意できませんでした。
ただ、印象的だったのは、その後、声を落として言った主人の言葉です。「もし、子どもが勉強に向いていなかったら、無理に大学に行かせないようにしよう」と。私は即座に、「押し付けはしたくないけど、今の時代、社会に出た時の選択の幅が広がるような環境を整えることも、親の役目だと思う。みすみすコンプレックスを植え付けるようなことはしたくない」と反論したことを覚えています。
今にして思えば、さすがは、理系の企業研究所に勤務する主人の方が、先を見ていたことがわかります。学会や研究会の発表や大学関係の会合から帰る度に、私がブチブチ文句を言うのを黙って聞いてくれ、「それ、よくわかるよ。もう、東大博士君、何とかならんかなぁ」と。(ただし、もちろん人によってそれぞれ違うことも、併せて伝えてあります、念のため。)
と同時に、この頃は、書店で並んでいる本や雑誌の記事などを見て、なぜか心臓があぶってくるような思いもしています。『アエラ』など、専門職同士の離婚寸前生活やドメスティック・バイオレンス、職を持つ女性の「頑張り過ぎて心が折れた」状態を時々報道していますが、読む側のことも考えていただきたいですね。私には想像もつかない状況のようです。
「がんばれば報われる」というような幻想を(母)親から押し付けられ、素直に受験勉強の体制そのままに大学院まで進学してしまい、果ては博士号取得後、就職してからが「さて、どうしよう」。その前に、博士課程で自分の進路が誤っていたことを指摘され、早々と自殺へと向かう人(名簿から忽然と名前が消える)、高学歴プア問題などが話題になっています。
何を隠そう、実は私もその範疇に入るのではないか、と長らく勝手に思い込んでいました。でも、落ち着いてよく考えてみれば、私は親の厳しい躾のおかげで、実子なのに「家から出て行け!」と言われても、たとえ、日本国籍を持つ日本国民なのに「日本から出て行け!」と言われても、身を落とさずに、どこでも何をしてでも食べていく覚悟だけは、小学校の頃からしていました。
これまでにも、大学の非常勤講師をいくつか務めさせていただきましたが、落ち着いて考えてみると、すべて教授からの依頼によるもので、お引き受けした以上は、責任をもってしっかりやらないと、と思っていただけでした。(なので、巷で言われるような、「非常勤講師は軽く低く扱われる」ということは、あまり気づきませんでした。そうあってはならない、と信じていたからでもあります。)
静かで自然に恵まれ、歴史文化遺産の残る小さな町で、家で勉強したり本を読んだり、家事をしたり、音楽を聴いているだけで、充分ありがたく楽しく暮らしているのです。それを、事実を確かめもせず、勝手に誤解して一方的に押し付けてくる人がいるので、すっかり「へこんで」いました。(←こういう人は、自分の方が上だとあくまで思い込み、何でも知っていると頑なに信じているので、本当にタチが悪いのです。しかも、自分が「首切り」されないよう、妄動までかけてきますし。証拠として、すべて日付入りでメモをとってあります。現に困っている方も、当面は困っていない方も、是非この方法を、予防的にお勧めします。天は自ら助くる者を助く、です。)
今だってそうです。大学図書館だけ自由に使わせていただければ、後はお構いなく。今まで、ごちゃごちゃ変なことをされ、人前でも言われてきただけあって、一人の方が余程すっきりします。
また、雇ってもらえるかどうかは別として、お掃除でもスーパーのレジ打ちでもお皿洗いでも、封筒貼りでもコピー取りでもお茶汲みでも、何でもするという覚悟は最初からできています(お皿洗いは、料理を作るよりも好きで、封筒貼りはもっと好き)。自分で食べる分ぐらいは、動ける間、自分で稼がなきゃ。結婚しても、または、結婚できなくても、子どもが生まれても、または、生まれなくても、長寿を全うしても、または、短命に終わったとしても、いつ何時でも幸せで楽しく満足した自分でいられるよう、自分を仕込んでおくことだけは、小学生の時から考えていました。

もちろん、症状のどんどん重くなる主人とは、最後まで添い遂げるつもりです。なんせ、破れ鍋に綴じ蓋の関係ですから(参照:2009年11月16日付「ユーリの部屋」)、これぞ女房冥利に尽きます!
この歳になると、つくづく感謝、感謝です。

さて、ここで元に戻って、大叔父の文章を再び引用させていただきます。何と言うのか、この文章は今と全く同じ現象をさしているのではないか、と思われるからです。高校生の時に読んで記憶が残っているので、引用が楽だということもあります。いつも、実家の壁掛けにあった大叔父の書「積善」を眺めては、自戒の念ともしておりました。

卒業証書授与式における学長告辞


(略)学園における生活は言うなれば温室の如きものであり、厳しい実社会においては甘えの姿勢は許されぬものであることは充分覚悟して居られることと存じます。今や国際関係は緊迫の度を加え、国内の経済事情なども複雑怪奇の様相を呈し、権謀術数の横行する現実は誠に悲しむべきものがあります。純真なる諸子が、このような現実に接して幻滅の悲哀あるいは挫折感に襲われることもあろうかと推察するものでありますが、冀わくは大学生活を通じて培ってきた英知と誠の心をもって一貫し、世界の平和、人類の幸福という大きな理想を目指して、撓みない精進を続けられるよう心から祈って諸子の新しい出発への贐の言葉といたします。


(『信州大学学報 第313号昭和55年4月1日)(p.178) 

自己革新の困難さ


…前述したごとく、小・中学の教育こそ最も重要な原点であり、担任の児童生徒のそれぞれの個性特徴を見抜いて、これをうまく伸ばしていくことは、先生に与えられた大きな責務であり、これに対する見返りとして、小・中学の先生の待遇が大学の先生より上であってもよろしいと私は考える。しかるに、なんぞや日教組の掲げるスローガンは常に悪平等を指向するものであり、主任手当返上などという戦術はてんでいただけないところ。(中略)


この裁判長の人柄については全然知らないが、14,5歳の未成年に対して、成人同様の政治活動の自由を認めているようで、いささか偏向した思想の持主かと推察される。非行暴行常習の少年にも学習権ありとし、管理的教育は不可なりとする日本の社会秩序は、あまりにも放縦許容に走っているようで憂慮にたえないものがある。


大学生ともなれば、自主的積極的に大いに学ぶべきものであるが、近ごろは特に「乳離れ」しないような連中が増えてきたようであり、教官もまた手とり足とり懇切丁寧にスプーン・フィーディングすべきものとされているようだが、これも気に入らない話である。大学の先生なんてものは呑気なもので、学生の教育は二の次にして、自分の好きな研究に身を入れていれば済むものだとも言えるし、さらには何もしないでいても、勤務評定などされる心配もない。「ぬるま湯」に浸っているような境涯とも評せられるが、教育者としては、セミナーなどによって、少数の向学心豊かな学生を充分しごくことが生き甲斐であろう。ただ相手の学生が、最低の単位を取るにも弱音を吐いている有様ではしごき甲斐もないところかもしれない。


大学入試改善案として、共通一次という近代的方式が導入されて2年を経た。この方式のメリット、デメリットはまだ判定を下すには尚早で、せっかく始めたことだから、少なくとも数年間は様子を見ようじゃないかという意見が多いようであり、発足当時反対意見を表明した私などもあきらめムードであるが、…(中略)


以上、多分に独断的毒舌を綴ってきたが、これは私の教師歴に対する苦い半生の意味も込めてで、宥恕願いたい。」


(『現代教育経営昭和55年4月)(pp.179-182)