ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

夫婦研修

昨日、買い物のために立ち寄った生協の前で、ミニ古本市をやっていました。各家庭から自主的に集めた本を一冊10円で売り、全額ユニセフに寄附するのだそうです。
こういうところでは本を買うことがありませんが、ちょっと立ち読みしてみました。すると、結婚した男性に向けての指南書があったのです。何年の出版か見てくるのを忘れましたが、なかなか楽しい本でした。
結婚するというのは、一家を構えるということ。それは大きな家を購入するという意味ではなく、たとえ、六畳一間の小さな賃貸であったとしても、今後は一切、親や親戚をあてにせず、自分で稼いだ賃金でしっかりと妻子を養っていくこと。冠婚葬祭には家族を代表して出て行くということ。遠くに住む親や親戚よりも、実際面でいざという時頼りになる、近所付き合いの方を大事にせよ、等々。
一番おもしろかったのが、「妻には教養をつけさせよ」という助言。たとえ学校を出ていようとも、結婚して家事と育児に専念しているうちに、徐々に自分と実のある会話が成りたたなくなる女性が多い。それは、ラジオやテレビなどの情報をただ受け身で吸収するだけの生活になるからであるので、とりあえず、結婚当初から、まず新聞をしっかり読むような妻に教育せよ、というのです。そうすれば、自分の仕事にも理解がある、きちんとした会話のできる妻に仕立てあげることができる、らしいです。
今から思えば随分昔のことですが、結婚のため関西に行くことになった頃、大学での仕事の引き継ぎの関係上、あちらこちらでご挨拶をしていたところ、常勤、非常勤を問わず、いろいろな奥様先生方から、「ユーリさん、男の人は、最初の教育が肝心ですよ。遠慮しないで、初めから少しずつ教育するの。子どもと同じだと思ってね」と、懇々と諭されました。その時の私は、まだ若かったのか、言われている意味がよくわからず、「いえ、教育されなければいけないのは、むしろ私の方なんですけど」と真っ正直に答えてしまいました。すると、「あら、あなた、上手な返事の仕方するのね」と、嫌みとも何とも形容しがたい返答が。また、「結婚なんて、最初がいいだけで、すぐにそのうち、飽きるわよ」ともおっしゃる先生も。つい、「え!そうなんですか?」と応答してしまったところ、慌てて自分の口を押さえていました。
本当にそう思っていましたからねぇ、あの頃の私。まだまだ自分こそが発展途上なのに、人を教育しようなんて、と。飽きるぐらいなら、最初から結婚なんてしないほうがいい、と。
かたや夫側は、と言えば、結婚式の言葉でも、主人は「二人で共に成長していきたい」とか何とか、カードに大まじめに書いていました。
実は今週末、主人の勤務先で、夫婦参加が義務づけられている研修があります。随分前から通知があり、書類も届きました。日本企業は本当に面倒見が良いというのか、毎年の家族の健康診断をはじめとして、歳を経てからの人生のトータルな過ごし方まで、会社が親切に助言(あるいは介入?)してくれるのですね。
十年前には、これは社員だけでしたが、配偶者に宛てて手紙を書くという課題を含めた研修があり、主人から突然、郵便で感謝状が届きました。その頃つくっていたシンプルなお弁当のお礼とか、病気のせいで負担をかけて申し訳ないというお詫びなどが書かれてありました。(これって、人事課が内容をチェックしていたのでしょうか?)
結婚後一年で、主人が思いがけず進行性難病の診断を受けて、それから三年ほどはどうにもこうにも落ち着かない日々でしたので、上記のような、相手を教育するだの、という暇が事実上なく、とにかく、夫婦研修を受けられるまで勤務が続けられるとは思ってもいませんでした。これは本当にありがたいことですが、それが当然だとも思っていません。毎日必死という感じでここまで来ました。
で、夫の教育って何なんだろう、と考えてみたのですが、つまり、脱いだ服を自分でたたむとか、ゴミをちゃんとゴミ箱に捨てるとか、いざという時には自分の食事は自分でとか。「うちは賄い付き下宿じゃないのよ。私だって働いているんだから、当然、家事分担ね」などという‘些細な’ことらしいです。それって、結婚相手選びの時点で、何か根本的に間違っていたのではないでしょうか。