ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

よい社会をつくるために

このところ、主人と盛り上がった話について、その一部をブログに書いています。念のため、最近はやりの「個人情報」が大丈夫なのかどうか、尋ねてみました。すると、「いいよ。僕の話なんて全然おもしろくもないし、振っても何も出てこないからさぁ。お金にもならない話だから、誰も寄ってこないよ」。
「でも、あなたとこの旦那さん、結局はあなたをコントロールしていますよ」と、先日おっしゃった男性がいました。それも帰宅後、本人に確認してみると、「う〜ん、コントロールしているつもりはないけどなぁ」。「ご主人、本当はあんまり仕事できないんじゃないですか?」に対しては、「はい、できません」と素直に答え、当人にも伝えておきました。「うん、それでいいよ。その人と専門が違うからさぁ」。だから、理系が好きなのです。
それにしても、旧制の教育を受けた層は、やはり違うとつくづく感じます。主人の母方の実家も、祖父母共に旧制師範学校や女学校を出ていますが、ある面で、大らかで伸びやかな考え方を有していたように思います。「誰が何と言おうと、ユーリさんを応援する」と言ってくれた伯父さんも、田舎のあの世代の男性にしては、伯父さんなりに筋の通った大胆な実践をする人でした。
田舎のおじいちゃんは何でも記録をつける人で、物には日付を必ず入れ、亡くなる直前まで、ずっと日記を書いていたそうです。(←私とそっくり!)伯父さんも、手書きのグラフを丁寧な細かい字で書いていて、「環境問題についての論文を大学に出すんじゃ」と、意気込んでいました。(残念ながら、志半ばで亡くなってしまいましたが。それと、全く余計な話ですが、そういう伯父さんのことを話すと、「うっとうしい人だねぇ」と嫌そうに言ったシングル女性の大学教員が、私の周囲にはいました。)
ところで、今朝の夫婦の話題は、「おじいちゃんの日記、読んでみたいなぁ」。「おばあちゃんが続きを書いていたりして」と私が言い、自分でも何となくおかしくなって笑ってしまいました。(おばあちゃんは、最後に私に会った時、「僕の嫁さん」と紹介されると、じいっと顔を見つめて「人形みたいな子やなぁ」と一言。私達が帰ろうとすると、ベッドに寝たまま、いつまでもこちらを...。あの、私達二人をいとおしむように見つめていた眼は今でも忘れられません。)
ただし、「学校教師は常識がない」とは、おばあちゃんの常套句。伯父さんも、「女教師は常識がない。何やら勘違いして、肩で風を切って歩いとる」と。
我が身を振り返って、それは身にしみて感じていて、やはりご年配のおっしゃることは、わかってもわからなくても、素直に聞いておくものだなぁ、と今にして思います。そして、その当否を、折に触れて自分の人生に照らし合わせ、判断することです。
なにやら最近、急に楽しくなってきました。これも年をとったせいで、若い頃はどんぐりの背比べであっても、人生半ばに差し掛かると、ようやくマラソンコースの様相ないしは実態がはっきりしてくることがわかったからです。
主人など、昨夜はこうも断言しました。「もう、話聞いていると、大学の数なんて今の半分に減らせばいいのになぁ、と思うよ。昔は、東大と言えば、はるかかなたの縁のないところと思っていたけど、なにやら、そうでもなさそうだなぁ」「僕、鳩山くんのやろうとしている意図、何となくわかるんだ。だけど、ああいう家に生まれると、外向きには遊ばせているように見えても、実は子どもの時からすごく大変だよ」。(そういえば、主人と知り合う前に、政治に関心の強いある友人が「ユーリさんは、‘さきがけ’に近いかな」と言っていたことを思い出しました。政治なんかに無関心だった私は、何を意図されているのかわからず、ただ呆然としていたことだけは覚えています。)
というわけで、また大叔父の引用をさせていただきます。実はこれ、実家の本棚にあったものを、私は高校時代から読んでいて、つまらない見栄張り詰め込み受験準備を強いられた合間に、密かなる励ましとしていました。

私自身は過去30年以上医学部教授(眼科学)を勤め、6年前からは臨床や教育の方は引退して、学長職専任となったものであるが、今や教育に関する論議は正に花盛りの様相で、名論卓説応接にいとまなしの観あり。そのくせ、そのような立派な議論が常に空廻りしていて、サッパリ実現の気配も見えない情況に、憤懣とともに限りない空しさを感じ続けているのが偽らざる実感と申せよう。」


大学あるいは高等教育一般について言えば、もう現在以上に門戸を拡げる必要はなく、むしろ、量的拡大は制限して質的向上の道を指向すべきである。進学希望者の数が多いからそれは社会的要請であり、このソシアル・ニーズに応えるべきであるという議論は、たとえば、議員さんになりたい人が多いから議員の定員をふやせというのと同断である、などと言うと、とんでもない暴論だと叱られるかも知れぬが、特に戦後の高等教育普遍化によって、プラスするものが果してあったかどうかを三思すべきである。具体的には、私の母校ではあるが東京大学は、学生募集をやめて総合大学院として、真に国際的一流の学者を養成する機関としたならば、アカデミック・レベル・アップにつながっていくかと私は考えている
(中略)「初心忘るべからず」などと訓示しているのも、彼等が厳しい現実との対応の中で、当初の純真な志を漸次喪失して、大勢順応の安易な潮流にのみ込まれてゆく姿を想うからである。」


(『現代教育経営』昭和55年4月「自己革新の困難さ」)pp.179-180

‘さきがけ’に関して一言申し添えますと、昨今の経済不況と世相の暗さを反映してか、鳩山政権の「友愛」に、勝手な自己解釈を含ませて奇妙なもたれかかりをする人がいるようです。(先日の研究会でも、「鳩山首相は、『友愛精神』だからぁ」などと、休憩時間に、わざと大きな声でしゃべっていた人がいました。)残念ながら、大叔父は、次のようにも書き記しています。

私の方は主として形態学的研究をやっていたので比較的ひまで、毎日のように鳩の生態を観察していた。鳩は平和のシンボルだとか一夫一婦だとかいわれているが、これは誤りで、前記の華族さんの鳩を従来の鳩舎に入れたときなどは大変な騒ぎで、なかでも体格雄大な雄はたちまちにして数羽の雌を占有した如き例もあった。
 松本へ来てからも私は鳩を材料として比較調節(vergeichende Akkommodation)に関する構想を続け、2,3の論文も発表したのであるが、いたずらに概念のみ先走って実験これに伴わず、多岐亡羊の観、ついに今日に到ったのであるが、…


(『庄司義治先生米寿記念随筆集』昭和50年1月「鳩グループのこと」)pp.41-42

そういえば、大学院の頃、ある教官に「背伸びしたって、すぐばれるんだぞ。無理してそんな言葉遣いしなくてもいいんだぞ」「郡部に住んでいるくせに。グン、グン」「農民階級なんだろう?」などと言われたことも思い出します。本当に、上の学校へ行けば行くほど、全くつまらんことが増えるものです。ついでながら、数年前、ある牧師も軽蔑的に言ってきました。「家でも、そんな話し方してるんですかぁ?」
全くくだらんことばかり、いつまでも覚えている私も、相当毒されているのだろうと思います。

権力を持っている者が弱者をしいたげるということが行われているのは、科学的な研究からみても知識と正義に適うものではなく、決してよい社会を、ほんとうの意味の人類の発達をもたらさないものだ


(『人間の記録⑨ 矢内原忠雄―私の歩んできた道日本図書センター)p.52