ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

今日は何の日か

「今日が何の日か知らない人も増えてきた」と、今朝のどこかの新聞に書いてありました。その意味においては、マレーシアと関わっている以上、私には忘れられない記念日です。
ところで、2005年8月にコネティカット州ハートフォード神学校を訪問した際、利用したタクシーの若い兄ちゃん風の運転手さんが、こう言っていました(参照:2007年11月12日付「ユーリの部屋」)。たまたま私が乗り込んだ時、ラジオで日本についてのニュースが報じられていたので、そういう話の展開になったのですが、以前、友達として付き合っていた日本人女性は、日本とアメリカが戦争をしたことを知らなかったのだそうです。「彼女はまだ若かったから」とか何とか、私の手前だからなのか、彼女の名誉のためなのか、弁明しつつも、兄ちゃん曰く「だけど、あの戦争のこと知らなかったなんて、びっくりしたぜよ。日本では一体、歴史の授業を学校でやっていないのかい?」と、私に尋ねてきました。(びっくりしたなあ、もう)と言いたいのは私の方で、そういう人がアメリカまでどうして行けたのか、その度胸の方に驚かされた次第です。

昨晩は、NHKテレビで夜10時から11時15分まで、「“日米開戦”を語る−海軍はなぜ過ったのか」という番組を見ました。どうも昨日は疲れていたようで、この時も途中でうつらうつらしてしまったので、記憶に怪しげなところがありますが、覚えている限りでは、お二人の79歳の作家、半藤一利氏と澤地久枝氏を交えて、400時間の極秘証言テープを元に語り合うという内容でした。このテープは、海軍の将校級の元軍人らが定期的に集って、反省会をしていた記録だそうです。なぜあの戦争へと日本が進路を間違えたのかという点について、内輪の会合でメディアも入れなかったためか、かなり率直に語り合っていたようです。
興味深かったのは、組織への忠誠が世界情勢の読み間違いへと結びついたこと、日露戦争など過去の成功体験に基づいて戦略を立てていたこと、という2点でした。
先日読んだ橋本明(著)『美智子さまの恋文新潮文庫2007年)には(参照:2009年11月30日付「ユーリの部屋」)、次のような文が引用されていました(p.298)。

「(前略)敗因について一言いはしてくれ
我が国人が あまりに皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである
我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである
明治天皇の時には 山県 大山 山本等の如き陸海軍の名将があつたが 今度の時は あたかも第一次世界大戦独国の如く 軍人がバツコして大局を考へず 進むを知つて 退くことを知らなかつたからです
(後略)」

これは、(1945年)9月9日付で昭和天皇から今上天皇明仁親王)へ出された手紙の写しで、矢内原忠雄氏の弟子筋に当たる宮内官の村井長正氏によるものだそうです。