ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「外交官」について

同窓会の話ついでに、まさかとは思いますが、一言誤解なきよう申し添えておくと、私が、同郷かつ同窓であることを誇らしく思い、心から喜んでいる理由は、何も「先輩」が「外交官」だからという、表面的な世俗的な事項からではありません。
苦手分野(学生時代は数学と古典だったそうです)も挫折(とまでは言えません)も、飾らず平易に語る姿勢。そして、こうと決めたら一直線に人並み外れた努力を重ね、一つずつ積み上げていく堅実さ。部屋で本だけ読んで抽象的に思考する「アームチェア」型の学者を厭う態度。バランスのとれた現実思考と実務対応。ご自身の専門担当の枠内でのみ、ものを語る謙虚さ。自爆テロなど日常茶飯のイスラエル国内で、身の危険を案じつつも、平日は公務をこなし、週末にテルアビブからヘブライ大学に通って勉強されたという並々ならぬ覚悟と意気込み。
「当たり前といえば当たり前の基本事項だ。そんなの、外交ルートをうまく使ったんだろう」と言い放つ人が、あるいはいらっしゃるかもしれません。実際には、それほど容易ではなさそうです。私見では、(かくあるべし)と装うのではなく、実務経験の中から身につけ、鍛え上げられたものではないか、と。

「外交官」と言えば、佐藤優氏が外務省の暴露話などを、「暴力性」という一観点から書いていらっしゃいます。一つの世間勉強として、参考までに、私も話題となった何冊かを読ませていただきました(参照:2008年11月18日・12月11日・12月26日・12月28日・2009年2月27日・4月4日付「ユーリの部屋」)。
内情はよくわかりませんが、確かに、人間の組織である以上、そのような実話があるのだろうとは思います。ただ、氏のご著書を読んではいても、私自身、その場にいたのではないために、氏の考え方や物の見方に、必ずしも全面的な賛同を寄せているわけではないこと、また、寄せられるはずもないこと、そして恐らくは、氏自身も、私のような読者(著者に対して、関心を持ちつつも、単純に心酔あるいは同調するのではなく、やや距離を置いて異なる余地を残す読み方をする者)の存在を、前もって想定され、あるいは許容されての文筆活動ではないか、と思うのです。それも一つの「文章を売る」戦略方法。一方、研究者は概して、そのようなやり方を採用しませんから、おのずと立場が異なってくるのは当然です。
ただ、佐藤優氏に関して申し上げるならば、私にとっては、ある意味で、一人の「恩人」。かつて関わった仕事の面で、どうしても腑に落ちず、納得がいかなかったことについて、それまで面識がなかったのに、思いがけない方向から、ズバリと書いてくださったのです。私が、昨夏の講演会にわざわざ出かけて、掲載された氏の記事に自筆署名までお願いしたのも、それがあったからこそ(参照:2010年10月13日・10月14日付「ユーリの部屋」)。もちろん、週刊誌の見出しなどで騒がれていた頃には、全く興味さえありませんでした。
もっとも、「佐藤優は何もわかっとらん」と、冷たく非難される方ともお会いしています。すぐさま私は、「母校を愛しているんですよ」と切り返しましたが、それとて、そもそも私自身の出身校ではないから、言えたこと。
もう一つ考慮しなければならない重要な点は、お母様が沖縄の名家のご出身であられたこと。この血を半分引いていらっしゃるからこそ、私のような本州育ちの系統には決して窺い知ることの不可能な、複雑な伝統的情念や世界観、人間観、歴史観のようなものをお持ちなのだろう、と。だから、「むしろ外務省を利用してやる」と、激務をものともせず渾身で打ち込んでいたはずの業務が、突如、断ち切られることになってしまい、深いところで筆舌に尽くしがたく傷ついていらっしゃるのだろうという....。

3月に、初めて沖縄を訪れてみて(参照:2011年3月8日付「ユーリの部屋」)、何度も胸が締め付けられるような思いがしたのです。(そうだったの。知らなかった...。)
「本土の人々を沖縄の礼節でもてなそう。そうすれば郷土が栄える」という意味が書かれた看板も見ました。この時ほど、強く衝撃を受けたことはありません。
久米島の上江州家にも行きました。「おばぁ」と愛称で呼ばれる、家の守り手でいらっしゃる女性ともお会いしました。ここに来た経緯を手短にお話すると、「優さんは、いい人です」と、しみじみおっしゃっていました。「でも、お母さんが一番つらかったんじゃないの...」とも。
ブラジルに嫁がれた妹さんのお話では、優氏は小さい頃から本好きで、図書館の本を片っ端から読破されていたそうです。「だから、かえって本が読める環境になってよかったんじゃないのって、言っていたんですよ」。これも、にわかには肯んぜられない、複雑な思いがしました。

.....と、例によって長くなってしまいましたが、私なりに、世の中の諸相の両面を踏まえているつもりだと述べたかったのです。

昨晩、ふと思い立って、本棚からなつかしい本を取り出しました。大学院推薦で(参照:2007年8月1日・2010年3月9日付「ユーリの部屋」)、国際交流基金の専門家派遣に合格した直後の1990年1月に、名古屋大学生協で買い求めたものです。海外に出れば、大使館関係者とも接することになろうかと予想し、何も知らなかったために前もって準備したのです。

寺西千代子(著)『国際ビジネスのためのプロトコール−心得たい国際儀礼有斐閣ビジネス291985年/1988年初版第10刷

自分は、外国もほとんど見て回っているし、外国人の友達も多いし、大体の国や国民性は分かっている、などと思い上がることは危険です。どの道にも、専門に詳しく、研究し、物事を知っている人がいるもの。(中略)若い人はとくに、経験豊かな人の話を求め、真摯に聞く態度を日頃から忘れないようにしたいものです。(pp.5-6)

そして、十年以上も前に図書館から借りて、例によってノートをとりつつ読んだ、ハロルド・ニコルソンの『外交UP選書・東京大学出版会1965年)の抜粋を知ったのも、上記の書から。(余談:その後、ニコルソンの私的内面の問題に触れた文章を英語で読み、ナイーブにもいささかショックを受けた私。でも、人間って所詮そんなものですよねと、無理矢理に納得しようとして挫折...。)

・これら(理想的な外交官)の徳性の第一は誠実である。


・「他人はそうであるかもしれないが、お前はそうであってはならない」(Aliis licet: tibi non licet.)


・もし誠実さが理想的外交官にとっての第一の要件であるとすれば、第二の要件は正確さである。


・ここで正確さというのは、単に知的な正しさばかりではなく道徳的な正しさをも意味する。交渉者は精神においても心情においても正確でなければならない。


・理想的な外交官にとって必要な第三の資質は、平静という資質である。交渉という任務には不愉快な相手の愚鈍、不誠実、野蛮、または自惚れに直面せざるをえないときもあるが、そのさい交渉者は怒りを示すことを避けなければならないばかりでない。彼はまたすべての個人的遺恨、すべての個人的偏愛、すべての熱狂、偏見、虚栄、誇張、脚色および道徳的憤怒を慎まなければならない。


・「そしてとりわけ、あなたの仕事について興奮に身を任せてはならない」(Et surtouto pas trop de zele.)(pp.7-8)

マレーシアでは私も、パーティーその他の会合で、大使を含めて何人かの外交官にお会いしました。私見では、結局のところ、地位や肩書きと、その人間性や能力は無関係。若い三等書記官であっても、デキル人はデキルし、ひとたび得た特権的地位に甘んじて、仕事をしない人はしないまま。一時は格好良く振る舞っていても、その後、外交上の何らかのスキャンダルに巻き込まれて、または自らを巻き込んで、華々しく退任する羽目になった方も知っています。
一方、私達の声を大切にして、みずから近づいて積極的に耳を傾けてくださった方もいます。同僚が恐る恐る申し出たアイデアを、すぐメモ帳に書き留めて、さっさと計算まで始め、数ヶ月後には確実に実行へと結び付けてくださったT氏は、私が関西に住むようになってから、ある新聞記事の大きなインタビューで、別の部署に大昇進されたことを知りました。クアラルンプールのご自宅に招かれた際にも、奥様が本当に感じよく、気配り万全の方で、(さすがは)と思ったことが、その時に(なるほど)と。
いずれにしても、最初から期待もされていない、現場で働くシモジモの女性の立場で、さまざまな人生模様を見上げつつ、いろいろと勉強にもなりました。ちょうど婚期にさしかかっていたこともあり、暇でもあったからなのか、男性を見る目の肥やしとして、よく同僚達と話題にもしたものです。

ここで話は変わりますが、実はこのところ、一応の覚悟の上だとはいえ、前から疑わしく思っていたことが多少、気になってはいます。
公的には重職にも就き、立場のある方です。でも、ずっと前には、その方のことを、(どこか、いかがわしさが漂う感じの風貌。一体、何を考えているんだろうか)と思い、警戒していました。実は、ある専門的なことで、別の機関に属する専門家から名指しで批判を受け、それが既に公表されてもいます。残念ながら、直接、仔細に検討したわけではなくとも、実は私も、その批判には同調せざるを得ないような心当たりがあるのです。
ただ、別の場面で話を聞くと、その疑わしき人には、その人なりの言い分というものがあり、何とも判別しがたい。ご本人が本当に正直ならば、その分野ではやや致命的なことを、安易に公にしてしまった責任を、今では渋々ながらもお認めになっているのかどうか、と...。
根っからの悪い人なのではないだろうとは思います。若い頃には相当努力もされたのでしょうし、高邁な理想も抱いていらしたことでしょう。でも、あまりにも甘言に乗せられやすいというのか、状況判断が一方的かつ情緒的で詰めが甘いというのか、全体的にどこか中途半端なところが見え隠れしているというのか、時代背景も預かっているのでしょうが、何とも頼りない、おずおずした側面が見えてしまったというのか。
だからこそ、ニコルソンを思い出したのです。「他人はそうであるかもしれないが、お前はそうであってはならない」。
さて、これからは、私自身が試される番です。