ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

パレスチナの武力闘争

メムリ」(http://memri.jp

Special Dispatch Series No 2664 Nov/26/2009(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP266409
第3次インティファダの始動か
―武力闘争への回帰を語るパレスチナ指導部―


第6回ファタハ総会でPAパレスチナ自治政府)のアッバス議長は、運動の信任を得て自分の地位を固めるなど、かなりの成果をあげた。しかるにその後三つの重大な打撃をうけた。ゴールドストン報告に関する国連投票で遅れをとって、ハマスの組織的中傷キャンペーンにさらされた。これが第1である。第2はハマスが、カイロでまとまったパレスチナ諸派和解合意の調印を拒否したこと。第3がアメリカの拒否である。アッバスは、交渉再開の前提条件として入植地凍結を要求し、アメリカにそのバックアップを求めたが、断られた。アッバスは、2010年1月に予定されるパレスチナ議長選に立候補しないと発表したが、恐らくこの打撃が背景にあると思われ、アメリカとイスラエルの態度を変えさせるため、圧力として使っているとも考えられる。
この一連の出来事に続いて、ファタハPAの幹部達が、過激な発言をエスカレートし、イスラエルとの交渉に代る選択肢を強調するようになった。武力闘争の再開を示唆し、交渉の選択肢が失敗すれば、第3次インティファダを展開すると語る。

次に紹介するのは、この武力闘争回帰傾向を示すパレスチナ側幹部の発言と新聞報道である。


・あらゆる闘争方式が投入可能
ファタハ中央委員会メンバーのシャース(Nabil Sha'ath)は、インタビューで次のように言った。
我々には武力闘争に戻る権利がある。我々の諸権利を回復するためだ。この18年間我々は交渉を試みてきた。しかしイスラエルは、攻撃、破壊、虐殺、入植地(建設)をやめない。こうなった以上、我々には別の(道に)戻る権利がある…交渉が失敗すれば、我々は武力闘争に戻る。これは、前に言ったように、我々の権利だ…国際法は、占領者が土地をとり、名誉を傷つけるなら、武力闘争に訴える権利を認めている」※1。
同じくファタハ中央委員会メンバーのダーラン(Muhammad Dahlan)は、PAが国連安保理からパレスチナ国家建設(宣言)の承認をとりつけることができなければ、「中央委員会とPLO執行委員会は、入植地、(分離)フェンスそして占領に対する人民の広汎な抵抗に加えて、別の構想を打ち出す」とし、「我々は占領にうんざりしている。それに抵抗するのは当然だ。法的権利もある。国際法と国連決議で認められている」と述べた※2。
アッバス議長自身、アラファトの5周忌集会で武力抵抗を支持し、次のように明言した。
「(アラファトは)血と汗と涙があふれる長い苦しい闘争の道を歩んだ。衣鉢を継ぐ我々はその道を歩き続ける。そしてその道は、気高い闘争の伝統を持つ。我々の勇敢な手で、透徹した精神と連綿として続く民族の心で築かれたのだ。我々は、政治活動と武力闘争を組み合わせる。我々の銃は街道荒しや追いはぎの銃とは違う。崇高な目的を持つ政治の銃である」※3。


・武力闘争の選択肢は排除されていない
 ファタハ革命評議会書記長マクボゥル(Amin Maqboul)は、イスラエルとの対決には、「はっきり言うが、武力闘争(の選択肢)が含まれる。この選択肢が排除されているのではない。第6回(ファタハ)総会で認められた。我々の選択肢のひとつだ」と主張する※4。
 ファタハ中央委員会メンバーのバルグーティ(Marwan Al-Barghouthi)は、現在イスラエルの刑務所に収監されているが、「私はいつも言ってきた。交渉には武力抵抗、政治外交戦及び人民の実力行使を組み合わせよ、と呼びかけてきた。交渉だけに依存するなと警告した筈だ。今頃になってそれに気付いた者もいるが、遅すぎる」と言った※5。
 PA日刊紙Al-Hayat Al-Jadida編集者バルグーティ(Hafez Al-Barghouthi)は、次のように主張する。
「我々は、引き返し不能点へ持ちこまなければならない。1967年6月4日時点の境界内に完全な主権を持つパレスチナ国家を持つか、大氾濫かである…。
 パレスチナ人民は悲劇の再発を許さない。必ず対応する。気息奄々として息絶える道か速やかな死か。どちらかを選ばなければならないのなら、速やかな道を選び、全土を火の海にする…。
 我々は誰にも借りはない。いや、ほかの者達が我々に大きな借りがあるのだ。平和への道が入植地と国際陰謀でふさがれていれば、我々は捨て身の見本になってやる…我々に失うものが何もない時、失う番になるのは(イスラエル人)だ…」※6。
 2009年11月15日、アラファトの独立宣言(1988年)記念日に際し、ファタハ軍事部門がコミュニケをだした。これはPLO系のウェブサイトwww.suqoo.com に掲載されたが、次のように武力抵抗の継続を約束する内容であった。
「我々は、全面的且つ合法的武力抵抗権を持つ。声を大にして言おう。我々はパレスチナ人民を守る防衛権を持つ。(我々は又)ハマスの行為を非難する。抵抗讃歌のラッパを吹きながら、現実には(抵抗を)妨害しているのである」※7。
 ファタハ中央委員会の或るメンバーはカタール紙Al-Arabに、次のように語った。
「運動(ファタハ)は、イスラエルの強硬姿勢と政治プロセスの失敗に対応して、ウェストバンクで第3次インティファダ開始を決めた。この決定は、ファタハの第6回総会で支持されている…第3次インティファダは、前よりも熾烈なものになるが、火器を使用しない人民(抵抗)に限定される」。
 このメンバーは、ユダヤ人入植地を数千人のパレスチナ人で包囲するのが戦術で、PAアッバス議長もこのインティファダが、非軍事的性格を持つとするファタの決定を支持している、とつけ加えた※8。

※1 2009年11月15日付El-Shourouq(チュニジア
※2 2009年11月16日付Al-Hayat Al-Jadida(PA
※3 2009年11月12日付Al-Ayyam(同)
※4 2009年11月17日付Al-Sharq Al-Awsat(ロンドン)
※5 2009年11月20日付Al-Hayat Al-Jadida(PA
※6 2009年11月15日付 同上
※7 2009年11月www.suqoor,com, www.paleyad.com
※8 2009年11月20日付Al-Arab(カタール)。2009年11月16日付サウジ日刊紙Al-Watan論説は、パレスチナ人が多年に及ぶ交渉の失敗を認め、彼等の指導者は新しい任務と向きあっているとし、「パレスチナ人の政策は新しい複数の選択肢へ移りつつある。新しいベースに立脚した交渉を含む。人民抵抗や投石そして武力抵抗を含むあらゆる手段に訴えた抵抗の選択肢を、割り引いて考えてはならない」と論じた。


(引用終)