ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

前田護郎主筆『聖書愛読』(13)

12月15日の午後、京都三条カトリック河原町教会の隣にあるカトリック書店で、楽譜『バッハ・コラール前奏曲』を一冊買いました。手持ちの教会曲集はあまりにも古くなり過ぎ、またレパートリーを増やす必要性を感じましたので。少しずつ、練習していこうと思います。しかし、カトリックのお店なのに、日本基督教団の教会曲集を販売しているのも、おもしろい現象だと思いました。もっとも、もし記憶違いでなければ、以前、バプテスト系のヨルダン社でもカトリック系書籍を少し見かけたことがあります。マイノリティだと、自ずとエキュメニズム志向になるのかもしれませんね、販売戦略の点でも。
それはともかく、少なくとも十数年前ぐらいから、一般信徒の方は、個人レベルでお互いに学び合ったり、一緒に賛美歌を歌ったりしてきたのです。例えば、名古屋にいた頃、カトリック恵方町教会司祭でいらした後藤文雄神父さまも、私を神父館に快く受け入れてくださり、おいしい手料理とお酒でもてなしてくださいました。ある晩のことです。聖書の学びの会に来たカトリック信徒の男性が、初対面の私に向かっていきなり「プロテスタントですか!」とつっかかるように論争を挑みそうになったことがあります。即座に後藤神父さまが、「まあまあ、この人は違うんだ。カトリックのことも理解している」となだめてくださり、すぐにその場はおさまりました。こういう時、上に立つ方の機転と采配と洞察力がどれほど大事かと思いますね。下手な人だと、自分がおろおろして黙って他人のふりを決め込んでしまうか(←実際、そういう牧師に出会ったことがあります。この時ほど落胆したことはありませんでした)、「じゃ、議論させてみよう」などと馬鹿な時の過ごし方へと誘導してしまうかもしれません。
あ、そう言えば、昨日は後藤文雄神父さまの二冊目のご著書『よし!学校をつくろう:神父ゴッちゃんの履歴書』(講談社)が届きました。波多野精一氏の『基督教の起源 他一篇』(岩波文庫)と同封で、です。後者は、今頃読んでいたら遅いのですが、1979年初版で2007年11月15日第4版なのですから、復習がてらよしとしましょう。

そうそう、このはてなブロッグ日記「ユーリの部屋」と英語版“Lily's Room”の開店日(2007年6月22日)直後にご紹介したK家から、先程、家庭冊子が届きました。第20号発行記念として、これまでの目録とご家族それぞれの総括がまとめてあります。K家の息子さんのGさんも娘さんのS子さんも、私より若い方達なので、誠に失礼な表現ながら、ご家族内での‘成長ぶり’を拝見できるのが、楽しみの一つでもあります。小・中・高の頃は、人に言えぬご苦労がおありだったのではないかとも拝察するのですが、今やお二人とも健やかにご立派に社会人として活躍されていますから...。
無教会の方達は、概して、鷹揚でのびのびとした個性的な方が多く見受けられます。そして、自分自身の見解や意見をしっかりと明確に持っていらっしゃるように思えます。今年3月にイスラエル旅行でご一緒したHご夫妻もそうでした。大阪クリスチャンセンターの連続講座でお世話になった佐藤全弘先生も、ピシリと背筋の通った明るさと見識の広さをお持ちです。月本昭男先生も、謹厳な聖書学者でいらっしゃるのに、お人柄には、大変広やかな明るさと温かさがおありです。
その秘訣は何なのだろうという問題意識に対する私なりの一回答として、「ユーリの部屋」で故前田護郎先生のことをご紹介させていただいているわけです。
前置きがすっかり長くなってしまいました。お待たせいたしました。今回は短い引用ですが、では、続きをどうぞ。

・第181号1979年(昭和54年)1月
ヒルティ著作集の再刊にあたって」(第3巻幸福論Ⅲ(白水社1978年11月刊)のあとがき)(pp.4-6)
ヒルティの死後70年近い今日もその著作はヨーロッパで底力のある読者を有し、彼についての研究や紹介も続いている。とくにわが日本でも彼が広く読まれていることは注目に値する。(中略)
まず、ヒルティをはじめて日本に紹介したのは、明治から大正にかけて東大で哲学を講じたケーベル博士であり、博士に親しかった岩元○(ユーリ注:示偏に貞)先生が第一高等学校でヒルティをドイツ語の教科書に用いられたので若い魂に温いものが与えられた、という事実を挙げねばならない。(中略)
さらに外国系ミッションによらず、形式的な既成教会を批判しつつ、近代の神学にとらわれずに聖書にもとづく正統信仰による生活をすすめた内村先生の行き方もヒルティと共通する面が多い。(中略)ともに今日広く論議されているキリスト教の土着化・地域化や福音的倫理の問題の根本に関することである。倫理の必要性を強く意識しつつも、その個人的社会的実践の困難ないし不可能に悩むものにとって、聖書は今日も雄弁に語りかけているのであるが、ヒルティはそのよき紹介者である。(中略)
スイス人ヒルティの国際人としての発言は今日も生きている。(中略)
さらに、ヒルティの人と時代を見よう。彼は生来丈夫ではなかったが、聖書を読んで力を得、弁護士として体験した社会の裏面の苦しみを自らの苦しみとしてその克服の道を求めた。深い教養と国際的活動によってスイスのあり方を同胞に訴え、次の世代への導きとした。(中略)またヒルティには愛息の病弱を父親として共に受けとめ、それゆえにキリストに頼らざるをえなかったという、子を持つ親の温い面もある。(中略)
昭和元禄が行きづまって暗黒に悩む社会の人々に、ヒルティの著作は明るい希望の光を与えるであろう。それはヒルティの偉大さというよりも、彼が紹介するような人間味のある聖書の面が、ローマの平和の陰で苦難を通して天国の喜びにあふれた初期キリスト教徒の姿を反映するからである。(1978年9月)

・第184号1979年(昭和54年)4月「書斎だより」(p.7)
午後新宿の本屋へ行く途中駅前の広場で若い外人宣教師が“罪を悔い改めなさい”と叫ぶテープレコーダーを背負って立っているのに驚いた。これで本当の福音が伝わるかどうかは明治以来の歴史が示しているはずである(1月4日).

・第185号1979年(昭和54年)5月「花の香によせて」(p.1)
(前略)古い建物に埃まみれの研究室が発足したのですが、1年ほどして女性の事務員を迎えましてから、掃除は行きとどき、野花が飾られ、書物は整頓されて研究室らしいものになりはじめました。(中略)
このごろの男子学生の中には困った格好のがいます。しかし女子学生はきちんとしていて、教室の雰囲気を整えてくれます。(中略)
欧米の諸大学に十何年いまして、職員や学生に女性の数が多く、清潔と整頓が彼女らによってきわめて高い水準に保たれていることを体験しました。社会も家庭もそうです。女性の長所が生かされるところはさいわいです。中世以来のキリスト教的伝統は今日も保たれています。(中略)
(引用終)

最後の引用文は、私自身への戒めとして、また、1980年代後半の母校の院生室の有様を思い出し、反省の意を込めて、掲載しました。国立大学は、概して講義室など、殺風景で汚かったことを覚えています。一方私立大学は、これまで非常勤で訪れた所はどこも、大変きれいでした。ただしこれは、女子学生のおかげというより、多分、お掃除のおじさんおばさん方の労のおかげでしょうね。

明日は、上記のカトリック書店で同時に買い求めた三冊の本について、言及する予定です。お楽しみに!