ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ハマーショルドの愛読書

1953年から1961年9月18日まで国連事務総長を務めたスウェーデン出身のダグ・ハマーショルドは、就任に際して、一冊の書物にこう記したそうです。

事務総長として、私に託された任務の全般に、忠誠、分別、良心を以てあたりたい…ただ国連精神にのっとってのみ務めを果たし、行動したい…自らの責務の遂行にあたり、国連以外のいかなる権威、いかなる政府からの指図も求めないし、また受け入れる心算もないことを、私、ダグ・ハマーショルドは厳かに誓う」。

その書物とは、オランダ系ドイツ人で中世の神秘思想家のトマス・ア・ケンピスによるフランス語版『キリストに倣いて』でした。コンゴ派遣の道中、飛行機事故で亡くなった時、携行していたのは、唯一この書だったとのことです(Dag Hammarskjöld, “VAGMARKENダグ・ハマーショルド(著)鵜飼信成(訳)『道しるべみすず書房 1967年 p.7)。
ハマーショルドといえば、緒方貞子先生が若かりし頃、大変にあこがれていらしたカリスマ的な存在だったことでも有名です。

カリフォルニア大学にいた五七年、夏休みのアルバイトに参議院議員藤原道子先生の通訳兼案内役でアメリカ各地を旅行したさい、ニューヨークで藤原先生が当時のアメリカの国連婦人代表メリー・ロード女史と会食をしたときである。場所は国連の代表団食堂。各国代表が賑やかに会食するなかで、ハマーショルド事務総長の姿を垣間見たときの感激は、長く忘れられなかった。」(緒方貞子国連からの視点―「国際社会と日本」を考える朝日新聞社 1980年 p.230

(蛇足ですが、この本は、昨日も書いた学会が開かれるICUの附属図書館で、調べ物をしていた2000年2月に、緒方先生の直筆サイン入りの本(「坂野正高先生 恵存 緒方貞子」という黒のサインペン書き)として偶然にも見つけました。)
このエッセイ集を出版したちょうど20年後、国連難民高等弁務官に就任された緒方先生は、1993年に行われたインタビューでも、同様のことを語られています。

そのとき食堂でハマーショルド事務総長をお見かけしたんですよ。ハマーショルドさんは一種のカリスマ性のある方で、彼の好きなレストランまでが秘話伝説みたいに囁かれたりしていたせいか、私はとても感激しました。」(上坂冬子時代に挑戦した女たち文春文庫 1997年 p.151

そこで、2年前に京都市北部の古本屋さんで購入した岩波文庫版の『キリストにならいて』(De Imitatione Christi大沢章/呉茂一(訳)(1960年/1962年第三刷)から、印象に残った文を幾つか書き抜いてみようと思います。余談で恐縮ながら、この版の翻訳には、故前田護郎先生も助言されたそうです(p.280)。

極めて高度で倫理的なのに、我々の日常生活にも関わりのありそうな含蓄の深い文を特に選んでみました。

善良で信心ふかい人は、外においてなすべき自分の仕事を、まず内において整理する。(中略)しかもこれをこそ私たちの仕事とせねばならない、すなわち自分に打ちかち、日ごとに自分より強くなってゆき、さらに、よりよき何事かに向かって進むことを。(p.19)
著者の権威や、彼が学問のひろい、あるいは狭い人であったか、などいうことを気にかけないよう。それで雑り気のない真理への愛のために本を読むようにしなさい。誰がそういったか、をたずねないで、いわれていることは何か、に心を用いなさい。(p.22)
力に応じたことをしなさい、そうすれば神はあなたのよい意図を援けられるであろう。自分の学問を恃んではならない。(p.23)
身の内がよく治まり整然と片づいている者は、世人の奇異な邪まな振舞を気にかけない。(p.72)
自身をまず平安に保て、そうすればはじめて他人に平和をもたらすことができよう。温厚な人は、学問を積んだ人よりむしろ益するところが多い。(p.73)
世の称賛も、非難をも、気にかけない人は、大いなる平安をもつものである。(中略)あるがままのあなたがあなたであって、人がどういおうと、神の見たもうところ以上に出ることはできない。自分の心底がどんなかをよく省みれば、世の人があなたのことをどういおうとも、気に病むことはなかろう。人は表面のことを見るが、神は心中を見られる(p.78)
それゆえあなたは、ごく小さなことについても感謝しなさい、そうすれば、さらに大きな(賜物)をうけるにふさわしいものになろう。(p.88)
そして力のつづくかぎり、また知恵の及ぶかぎり、喜んで自分のできることをつくすように。(中略)しかるに、慎みのない人々は、信心の恵みを恃みすぎて、かえって身を亡ぼすことが往々あった、それというのも、彼らは能力以上の大事を企て、自分の非力さの度合いを測らず、理性の判断よりも心の執着に従ったからである。(p.115)
大きな名声(のある人)の影について(庇護を得ようと)心を煩わさぬがよい、また多くの人との親交や、人々の個人的な好悪のためにも。なぜというと、そういったものはいろいろと心を乱し、心にひどい暗さをもたらす種であるから。(p.150)
もしもお前が自分の都合を考え、自分だけの気に入るものをもっと手に入れようとして、これやあれらを求めたり、ここやかしこやにいたいと望むとしたらば、お前は決して平静な心をたもつことも、また心配から自由であることもできないだろう。なぜというと、あらゆる物事には何かの欠陥が見出されようし、どんな場所にも、お前の意に逆らう人がいるものだから。(p.154)
もしもお前の歩みが内面的であるなら、お前は根もない軽々しいことばを大して気にかけないだろう。悪い時期には沈黙を守り、内面的に私(ユーリ注:キリスト)に心を向け、人の裁きによって煩わされないのは、少なからず賢いことである。(中略)それで世の人の気に入ることを求めず、気に入らないことを恐れないものは、大きな心の安らぎを享受できよう。節度を欠いた愛と、根もない恐れからして、あらゆる心の不安や感性のまどいは生ずるのだ。(pp.156-157)
話す人も多勢、言われることもさまざまである、それゆえあまり信を置くには当らない。一方、また誰もかもを満足させることは、不可能である。(p.170)
時がたつと過ぎ去るものは、みなつまらない、一時的なものだ。お前のしていることをよくしなさい、私のぶどう園で忠実に働きなさい。(p.189)

こうして並べてみると、重複する内容が多いことに気づかされます。また、1379/1380年生まれの著者が書いたとは信じられないほど、現代人にも応用可能あるいは必要な姿勢なのではないかと思われます。トマス・ア・ケンピスは、アウグスティヌス会に属する聖アグネス修道院で71年の修道生活を送り、92歳で亡くなったのだそうです(p.274)。
聖書についでもっとも多く読まれたのみならず、歴代の国連事務総長の中でも評価の高いハマーショルド氏の愛読書だった所以を知った思いです。

(追伸)今日の日付は重陽節句の中でも、特に珍しく数字が並んでいますね。白いペンキをつけた刷毛で澄み切った青空を一筆書きしたような高い雲と秋風が爽やかな一日でした。