ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

信仰と植樹の話

昨日のマレーシアの独立記念日は、主流メディアによれば、例年よりも小さなスケールで祝祭行事が執り行われたそうです。確かに、東マレーシアとかつて称されたサバ州サラワク州の人々にとっては、年月がずれていると感じられますし、今では半島に流入している人々も増えているので、調整が難しいからということもあるのでしょう。
こうしてみると、遙か遠くにいる私でも、何となく感覚は共有できているのかな、という気にもなってきます。祝賀メールを直感的にとりやめてよかった、というところです。

今日から9月。気候の上では、今年は梅雨が長引き、8月も比較的涼しかったので、どこか暦が合っていないような気もしますが。何とか今年も残り3ヶ月をがんばりましょう。

さて、昨日の内村鑑三氏の著作に関してですが、『著作集』の幾つかは学部生時代に読んだものの、『後世への最大遺物』は、これが初めてでした。長年にわたって刷を重ねる書物というものは、確かに読み継がれる価値とおもしろさを含んでいるのだと再認識させられた思いです。もう少し若い頃に読んでいれば、また人生違ったのかもしれません。ただ、こちらが感銘をまっすぐに受けられたかどうかも疑問ですが。

というわけで、同書に付されたもう一つの話から、再び印象的だった文を書き抜いてみたいと思います。「デンマルク国の話−信仰と樹木とをもって国を救いし話」で、前書より遙かに短いものです。1911年に行われた講演で、戦争に負けた小国デンマークが、植樹によって国を潤し、国内にある資源や畜産を最大限賢く活用することで、立派に生き延びた、という話です。いわば、どのように国を興し、発展を遂げたかの秘訣を紹介する内容です。
まずは冒頭に「イザヤ書35章1−2節」が掲げられています。98年前の話ですが、今の日本にも日本人にも、そしてこの私にも必要な姿勢かもしれません。

戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大なる民であります。(p.87)
疾病に罹って弱い人は斃れて強い人は存るのであります。そのごとく真に強い国は国難に遭遇して滅びないのであります。(p.88)
他人の失望するときに彼は失望しませんでした。(中略)軍人といえば人を殺すの術にのみ長じているものであるとの思想は外国においては一般に行われておらないのであります。(p.90)
第一に戦敗かならずしも不幸にあらざることを教えます。(中略)国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります。善き宗教、善き道徳、善き精神ありて国は戦争に負けても衰えません。(中略)ゆえに国の小なるはけっして歎くに足りません。(p.98)
外に拡がらんとするよりは内を開発すべきであります。第三に信仰の実力を示します。(中略)このことにかんして真理を語ったものはやはり旧い『聖書』であります。(p.99)
世に勝つの力、地を征服する力はやはり信仰であります。(中略)宗教は詩人と愚人とに佳くして実際家と智者に要なしなどと唱うる人は、歴史も哲学も経済も何にも知らない人であります。(p.100)

この話から連想するのは、5年前にK家の息子さん一家からプレゼントされた本『木を植えた男』(ジャン・ジオノ(原作)/フレデリック・バック(絵)/寺岡襄(訳)あすなろ書房1989年初版・2003年60刷))です。