ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

パレスチナ問題について

メムリ」(http://memri.jp)より

Special Dispatch Series No 2483 Aug/18/2009

パレスチナ難民に再定着の機会を与えよ―Al-Arabiya TV副局長の呼びかけ―
 ロンドン発行アラブ紙Al-HayatのコラムニストでAl-Arabiya TVの副局長シリヤン(Daoud Al-Shriyan)が、同紙に難民問題を連載し、アラブ諸国によるパレスチナ難民の差別的扱いを批判、国際社会の圧力で行動を余儀なくされる前に、国民として受入れ、自国社会に統合せよ、と呼びかけた。以下その主張である。
・難民の再定着反対は平和反対と同じ―2009年7月15日付
アラブ諸国は、パレスチナ人をパレスチナ難民キャンプと称する気の滅入るような刑務所に、ぶちこんでいる。この(難民)再定着の問題が、アラブ諸国をとらえつつある。これまでのところアラブ世界では、難民の再定着を呼びかける国はないが、シリア、レバノン、ヨルダンで政治レベルと言論レベルで、難民問題が懸念事項になっている。レバノンでは、次期内閣の組閣にかかわる問題になった。これは、和平プロセスがアラブ(側)の障害に逢着することを意味する。
(難民の)再定着に反対することは、平和反対と変りはない。現実を無視したスローガンと同じである。アラブ側は和平プロセスを既に受入れている。もっとも(難民の)再定着なしには平和はあり得ないと、うすうす気付いてはいる。しかし彼等は、この事実を無視する。難民問題を争点とみなすだけである。実際には、これは和平プロセス上の中心課題なのである。闘争とか抵抗とか、イスラエルを海へ叩きこめといった勇ましい民族主義的スローガンを放棄すれば非難される。この非難を恐れることが、本件に対する現実的且つ誠実なアプローチを阻止するガンになっている。この種スローガンは、和平プロセスの発端の頃出現し、アラブ諸国の人種問題、政治問題と(難民再定着)がリンクされたのである。
(難民の)再定着計画に反対するアラブは、帰還権を堅持するが故に反対すると言う。しかし、彼等は指一本すらあげない。屈辱のキャンプに住むパレスチナ人?抑留者?の意識にこの権利を生かしておくといっても、何もしないのである。その結果、このまやかしの堅持が逆の結果を生みだしてしまった。パレスチナ人(難民)は、今やアメリカ、ヨーロッパ、カナダ或いはオーストラリアへの移住を望むようになっている。生きる望みや意志を殺してきたパレスチナ難民キャンプの地獄から、一刻も早く脱出したいのである。
 アラブ諸国の政治家達は、演説の中で帰還権を決まり文句のように持ちだす。そしてこの権利擁護のスローガンが盛んに唱えられる。しかし、それにも拘わらず、(難民の)再定着は既に進行中なのである。
 従って、今後我々のとるべき道は明らかである。(難民の)再定着擁護キャンペーンをはり、再定着促進を要求しなければならない…難民キャンプは人間の居住に適さない。キャンプを持つ(アラブ)諸国は、難民を解放しなければならない。諸国は、治安維持やテロ問題の名目で難民の命をもてあそぶようなことをやめなければならない。そして、パレスチナ人の就職を認め、子弟の公立学校通学を許さなければならない。パレスチナ人が、さまざまな制約や条件なしで、生活できるようにしなければならない。パレスチナ人(難民)を?拘留?している諸国の態度が本当にあらたまらない限り、再定着を要求する人々の数は増えるばかりである。(難民の)再定着反対はもっともらしい。しかし現実にはパレスチナ人をなぶり殺しにしているのである…※1。
パレスチナ人の疫病扱いをやめよ―2009年7月20日
(難民の)再定着は必ず起きる。そうであれば、一刻も早く起きて欲しい。我々は難民キャンプを持つ諸国に、善意からパレスチナ人に市民権を与えよと要求しているのではない。まずこの諸国は難民キャンプの壁とフェンスを撤去し、ゲートを開けて、外部との空気の流れをよくしなければならない。難民に移動の自由を認め、貧困という屈辱からパレスチナ人を守らなければならない。国連難民救済機関(UNRWA)に依存した生活から、自由に働けるように、環境をあらためなければならない。  
 この国々は、スローガンを唱える一方で、難民を疫病扱いしている。このようなことはやめなければならない。我々がよく知っているように、この一連のスローガンは、嫌悪感を催す闘争の中で、空虚な言葉と化している。レバノン、シリア、ヨルダンにいるパレスチナ人は閉塞状態にある。我々は彼等を孤立から解放しなければならない。外部からの介入があって、人間としての尊厳ある生存の権利をパレスチナ人に認める前に、パレスチナ人に惨めな思いをさせる施策をやめるべきである。
 我々は、欧米がユダヤ人を支援したように、パレスチナ人を助ける必要がある。難民キャンプが我々の上に崩れかかってくる前に、我々はキャンプの存在理由を見直さなければならない。難民キャンプ住民の問題を扱うにあたっては、神を恐れる厳粛な気持を持て。パレスチナ人の尊厳を踏みにじる争いはやめよ※2。
・アラブはパレスチナ人を物心共に敗北者におとしめた―2009年7月21日付
 第3回記事で、シリヤンは2人のレバノンの住民の事例を紹介した。ひとりはパレスチナ人女性、あとひとりがユダヤ人女性である。曰く、
 或る日ユダヤ人女性ハンナ(エフライム)が、週末にパレスチナ人女性ウンム・ビラルを自宅に招いた。「引越しの手伝いをして貰いたいの。御存知のように、1958年(レバノン内戦)後、社会の状態は悪くなるばかり。宗教上の派閥主義は強くなるし、住むにたえないわレバノンから離れた環境で息子を育てたいのよ」とハンナは言った。間もなくしてハンナはレバノンを去り、ウンム・ビラルとの連絡は絶えた。
 ハンナはニューヨークに着くと、ユダヤ人団体から生活支援をうけた。その後アメリカの市民権を得て、息子を私立学校へ入れ、自分も就職し、給料のよい銀行で働くようになった。息子のアブラハムは成長し、大学を卒業、やがて立派な銀行の理事になった。家庭生活も順調で、学位論文を仕上げて10年後に結婚し、3人の子供を持つ父親となった。ニュージャージーの或る郊外に立派な家をたて、母親のためにあと一軒家をつくった。
 1995年、ハンナはレバノン訪問を決心し、夏休みをここレバノンで過すことにした。ベイルートに着くと、豪華ホテルにチェックインし、翌日、ハンナはタクシーの運転手に、ウンム・ビラルの住む難民キャンプへ行くよう命じた。キャンプに到着して探しまわったが仲々判らない。判ったのは夕闇せまる頃であった。ウンム・ビラルは、布で窓を覆っただけのぼろ家に住んでいた。彼女自身結核に冒され、ぼろぼろの状態にあった。
 ハンナがウンム・ビラルの夫アブビラルはどうしたのとたずねると、内戦で死んだという答えが返ってきた。「息子さんのビラルは?」、「通りの自転車修理店で働いているのだけど、給料が安くて、母親の私と妹3人を養うこともままならないのよ」、「息子さんは結婚したの?」。ウンム・ビラルはかぶりを振って「このどん底生活では、ひとり分のくい扶持をふやす余裕はないの」と答えた。
 アイシャ(ウンム・ビラル)は、このような境遇下にある沢山のパレスチナ人女性のひとりにすぎない。ハンナも、このような境遇にある沢山のユダヤ人女性のひとりにすぎない。アラブはパレスチナ人を難民キャンプに閉じこめ、身も心もぼろぼろの敗北者にしてしまった。これと対照的に欧米はユダヤ人を受入れ、平等の機会を認めた。そのおかげで彼等は、科学、芸術、文学、経済そして政治の分野で主導的地位に立つことができたのである
 我々は自省する力があるのだろうか。難民キャンプの存在理由を見直せるのであろうか。パレスチナの次の世代をビラルの世代が味わった境遇から救い出すためには、その再点検が必要なのである。まだ機会はある。パレスチナ人達が望むのは、再定着ではない。彼等は、欧米がユダヤ人を扱ったと同じ扱いを受けたいだけなのである。そうなれば彼等は勝つ。そして彼等は自分の権利を回復するだろう※3。
・帰還権にしがみつく裏に駆除願望あり―2009年7月22日付
 レバノンの政治家ワッハブ(Wiam Wahhab)がレバノンのテレビで「難民再定着に関するシリヤンの記事は、シオニストの提案とアメリカの計画に沿ったもの、筋書き通りだ」と述べた。これについて、シリヤンは次のように反論した。
 難民の再定着に対する私の気持ちは、帰還権の否定ではなく、パレスチナ人に対する?難民キャンプ所在諸国?における非人道的扱いへの反撥に起因する。なかでもひどいのがレバノンで、パレスチナ人が72種の職業につくことを禁じている。尊厳ある生活を送ることを拒否しているのだ。火星といえども、こんなに長い職業リストはないだろう…。
 帰還権を旗印に掲げる者は、この目的を達成するための外交及び軍事努力をあきらめているのであろう。彼等の執拗な(難民の)再定着拒否は、パレスチナ人の完全駆除を目的とする(空虚な)スローガンとなった。つまりなぶり殺しである。結果など無視したスローガンである。最定着を拒否しそのうえ彼等は、パレスチナ人住民が人権と社会的権利を行使することを阻止する。帰還権の固執を助長することで、引続き絶望と自暴自棄のキャンプに拘留隔離できると考えているらしい。
 私が呼びかける再定着は、パレスチナ人のなぶり殺し役を果たしている(処刑用)ロープ諸国が、パレスチナ人住民に普通の生活を認めることである。彼等がイギリスやアメリカ、サウジアラビア或いは湾岸諸国で生活しているような生活を、パレスチナ人に認めることである。その国々では、夢を持ち仕事もあり、新しい分脈のなかで紛争と向きあえる環境で、子供を育てられるのだ…。
 レバノン、ヨルダン或いはシリアで(帰還権のために)戦っている者は、クウェート最大の銀行の頭取がパレスチナであることを知っているのか。駐米クウェート大使館の広報担当アタッシェ、或いはアメリカの或る大学の総長がパレスチナであることを御存知か。サウジアラビアアラブ首長国連邦カタール、バハレーンそしてオマンに居住するパレスチナ人達が大企業を経営し、名誉ある客人のように生きていることを知っているのだろうか。彼等が受けている人間らしい扱いが、帰還権の持続力に影響しているのであろうか。
 スローガン(の繰り返し)をやめよ。我々とパレスチナ人に対するまやかしをやめよ※4。

※1 2009年7月15日付 Al-Hayat(ロンドン)
※2 2009年7月20日付 同上
※3 2009年7月21日付 同上
※4 2009年7月22日付 同上
(引用終)