ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

この夏の近況報告

ご無沙汰しております。今年の夏は、比較的涼しく、クーラーなしで過ごすことができます。私にとってはありがたいのですが、お米の出来具合が心配です。
また、地震や洪水が各地で発生し、これも環境汚染の影響なのか、と気になります。
終戦/敗戦記念日が過ぎて、この夏も思うところいろいろありました。今後さらに、明るみになるような事実が出てくることでしょう。過去から目を背けず、直視する勇気を保ちつつも、よりよい世の中に向けて前進できればと思います。

今月、というよりも今年は、と表現した方がより正確かもしれませんが、ブログが勤勉ではなくなってきました。3年目に入り、だいたい自分のパターンが見えてきたことと、自分の中で積もり積もっていたものを大体書いてしまったので、何も無理に律儀に毎日綴る必要もないか、と感じているところです。毎年、保存用に書籍化しているのですが、今となっては読み直すのも恥ずかしいことが多く、積ん読状態。気にし過ぎても何もできないので、正直に、そして思い切って取り組んだつもりですが、果たして結果はいかに?

実は、この休み期間、信州安曇野へ一泊旅行をしました。いわさきちひろ美術館を訪れて、考えたことがあったのですが、その話はまた別途、書くことにします。そして、何冊かの本を買ったり借りたりもしました。読んでみてよかったと思える本ばかりでした。いずれ、まとめてリストを披露(?)することになるかもしれません。

ところで、ここしばらく、客観的に自分の年齢を考えてみて、悲喜こもごも、反省点が多く見えてきました。まずは、両親が今の私の年齢だった頃に成し遂げていたことを、私はまったく超えていないなあ、何もできていないなあ、ということ。もっとも、時代背景も環境も異なるので、単純比較は禁物です。ただ、両親は両親なりに、よくやってくれたなあ、がんばっていたんだなあ、と改めて感じました。これまでは、批判的に親を見ることが多く、より水準の高い、恵まれた家系の人々ばかりを見上げてはため息をついていたようなところがあったので、自分の育った環境なんて、ごく普通で、全く大したことはないんだと思っていました。でも、批判ばかりしていた自分は、では何が達成できたのか、と言えば、何もできていないじゃないか、と。
もちろん、親の人生をなぞって、それに付加を添えるのがいい人生だとは言えません。考えようによっては、親がしなかったこと、できなかったことを自分達はやってきたという側面もありますから、結局のところ、それぞれの人生、自分は自分というところなのでしょう。けれども、それを言い訳にしてはなりません。

ここ数週間、主人と、ストレートに来し方行く末について話をしてみました。お互いにとても疲れたけれど、「言いたいことはよくわかった」と主人。そして、この先の人生は、自分なりに納得のいく悔いのない生き方にしていかなければ、というところで、双方、落ち着きました。私にとっては、一見、平和で安定した家庭生活を営んではいても、どこかで何か鬱屈する思いがたまっているのはなぜなのだろう、ということです。
一番大きな理由は、やはり主人の病気。若年性かつ進行性で治らない、となれば、毎日の暮らしにおいて、物理面のみならず、精神的に制約がかかります。将来への不安が常につきまといます。外出する度に健康そうな家族を見ては、隣の芝生は青いとはいうものの、やはりどこかうらやましくなってしまいます。その一方で、自分達は自分達、と割り切ろうとすると、どこか肝心な所で力が入っていたり、人との対応で無神経になってしまったり、なかなかうまくバランスがとれません。
私なりにいろいろ工夫はしてみたものの、一つ一つの細かな選択や実行の点で、順境にある時には気づかなくても、育った環境の違いがこういう時にこういう所で出てくる、という点については、主人も認めてくれました。また、もし逆の立場だったとしたら、(さて困ったなあ、嫌だなあ)と思うだろう、と。
おととい、事前に申し込んでおいた患者友の会の集いに、主人が一人で参加してきました。まとめ役をされている方達が、何度も何度も「奥さんに会いたかった。今度は連れて来てね」と言ってくださっていたとのこと。昨夕、欠席のお詫びも兼ねてお電話すると、「まだまだ若いし、これから人生変わるよ。ご主人も、とても11年も罹患しているとは見えないよ。この会にはいろんな人がいっぱいいるけど、ご主人は恵まれている方だよ。友達になろうよ。今度は出てきてよね」と、明るく声をかけてくださいました。そして「ご主人、本当に奥さんのこと心配していたよ。自分の病気のせいでこうなってしまった、と何度も言っていた。あまり大切にされている感じだったから、一体どんな奥さんなのか見てみたい、と思った」とも冗談を言われました。
お話をうかがうと、娘さんが私と同年齢だそうですが、海外にも滞在されていたなど、経歴に類似点もあって、とても励まされました。その方は、ご主人が若年性で発病されたのですが、自分が数年間、体調が悪かった時に支えてもらったから、今度は支える番だと懸命にお世話をされていたそうです。ずっと専業主婦だったのに、仕事を探して始めてみた、とも。が、早期退職の後しばらくして、事故でご主人を亡くされたとの由。私なら、ショックで何もできないだろうなあ、一刻も早く忘れたいだろうなあ、というところなのですが、その方は「遺族として、友の会のお世話をさせていただいています」ときっぱり。「言い方は悪いかもしれないけれど、むしろ患者さん達からパワーをもらっています。だから、今の私、人生で一番元気かもしれない」と。
確かに私も、少しでも他の人々のお役に立てるような仕事を、もっとしていかなければならないのだろうなあ、とは思います。とかくここ数年、何かと理由をつけては、遠慮がちになっているので。それが人生の回転を遅くしている原因だろうとも感じています。
また、「病気になったからできなくなったこともあるけれど、病気のおかげで見えてきたこと、経験できたこともいっぱいある」「子どもがいない人生もある。その分、自由に生きられるという選択ができる。子どもがいれば、問題を抱え込むこともある」「病気のために独身の男性もいるけれど、支え合って共に生きていける人が一人いるという今の状態を、もっと大切に考えてね」という言葉かけは、頭では知っていたつもりでも、さすがは実感がこもっていました。

このブログは、自己表現や勉強ノート以外に、なるべく気を紛らすというのか、他のことに目を向ける時間が持てれば、という意味も兼ねて始めたのですが、もう少し、どなたかのお役に立てるような他者志向の内容に変えていかなければ、と痛感しています。
こんな近況報告ですが、今後ともどうぞよろしくお付き合いください。