ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

よしなしごと

ある程度まとめて本を読むには、一人になる時間がどうしても必要ですが、読み終わってみると、果たしてこの時間は必要だったのかどうか、などと考えてしまいます。
先日借りた本は、『ナルニア国物語』を除き、すべてあっという間に読んでしまいました。
プラハアウシュビッツの話を別とすれば、確かに気分転換にはなり、新たに情報も得られ、世間の勉強にはなったけれども、取り立ててこれという印象もなかったという...。つまり、感性や志向するものが合わないというのか、一体、何を企図しての執筆出版なのかがわからないというのか...。政治と絡む話は、どうも得意ではありません。ヒラリーさんやライスさんの話も、アメリカ事情の一端を知ったとはいえ、あまりにも自分とは環境が違い過ぎて、あまり参考になりませんでした。曽野綾子氏は、相変わらずの文体と内容で、雑誌でコラムとして読むならともかく...。
そういえば、曽野綾子氏のご子息が勤務されていた聖トマス大学(旧・英知大学)が募集停止になったようです。今後、そういうケースが増えてくるのかどうか...。むしろ、当初の使命がとうに終わっているにも関わらず、「神の導きに従って、やることをやっていればそれでいい」という世間ズレした経営感覚だったのかもしれません。

最近、マレーシアのキリスト教組織に送ったメールが、いつの間にか公式ホームページにアップされていました。それほど関心を持つ人が限られていたのか、それとも、単純にうれしかったのか...。9年ぐらい前にも、月報に私のメッセージが掲載されていたことがあります。少なくとも、日本人の名前が私的に載ることはめったにないので、珍しいということもあるのでしょう。
マレーシアのイスラームに関する議論をドイツ語で読みました。ドイツ国内にムスリム問題があるため、マレーシアに駐在経験を持つドイツ人の意見が参考になるということだったのでしょう。昨年3月になってもまだ議論が続いていたので、よほど真剣なんだろうと思います。そのドイツ人が、数年前にマレーシアで試みようとしたプロジェクトがあったのですが、一般のマレーシア人にとっては、(一体何をしに来たんだろう?干渉されるのでは?)と思われたようで、うまくいきませんでした。しかし、その経験そのものが、ドイツでは「イスラームと我々は共存できるのか」という話になっているのです。ドイツ語で読むと、ドイツ人だけが議論していることもあり、「我々」と「ムスリム達」とはっきり明確化されています。そして、ドイツでのキリスト教の文化伝統との兼ね合いも話題になっていて、その点、英語での「相対化」された議論とは異なっています。ただし、マレーシアの状況そのものの描写には、大きな嘘や間違いはありません。
ところで、その議論に出てきた「マレーシアのイスラームは過激化している」という観察は、果たして正しいかどうか。「過激化」ではなく、「自己アイデンティティ」を模索中のムスリムにとっては、安易に混じり合いたくもない、というところなのかもしれません。
視点を変える時期かなとも思いましたが、やはり、自分のテーマは自分のテーマで大事にしなければという結論に至りました。