ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラエルとの平和条約

メムリ」(http://memri.jp)から

緊急報告シリーズ Special Dispatch Series No 2364 Jun/3/2009

「(イスラエルとの)平和条約はエジプトの過去30年の歴史の中で最も重要な出来事だった
「中東自由フォーラム(Middle East Freedom Forum)」のマグディ・カリル(Magdi Khalil)常務理事 ※1は最近、エジプト・イスラエル間平和条約のアドバンテージについて論説を書いた。彼はエジプトのコプト教徒で、アメリカ国籍を持つジャーナリストである。平和条約批判者の主張に対して、エジプトの様々な国内問題は同条約が引き起こしたものではなく、同国の抑圧的で堕落した、無能な政権の責任であると書いた。また、エジプトが同条約によってアラブ・イスラエル抗争から除外されたとの主張に関しては、こう主張した。これは欠点ではなくアドバンテージである。なぜなら、エジプトはもはや終わりのない戦いに巻き込まれることはなく、もはや他国のアジェンダに縛り付けられないからだ。カリルはまた、同条約はエジプトに安定と繁栄、また国際社会との良好な関係をもたらしたとも主張。一方で、エジプトの政権はこのアドバンテージを国家の前進のために十分に活用しなかったと嘆いた。※2
以下は、この論説の抜粋である・
「(エジプト・イスラエル間平和)条約の批判者は、厳格なイデオロギー上の信念に支配されている・・・この批判は、事実に基づいた・・・利益とコストに基礎を置く評価を排除するものだ・・・
「1979年3月26日のエジプト・イスラエル平和条約調印から2009年3月26日で、ちょうど30年間が過ぎた。私は、この条約こそ、現代エジプト史の最近の30年間の最も重要な出来事と見なす。
「残念ながら、この条約に関するエジプト大衆の意見を探り、判定する科学的な研究や広範な調査は行われていない。判断できるのは、条約調印以来書かれてきた膨大な記事に反映されているエジプトのメディアの見解である。エジプトのメディアは全般的に、同条約に否定的なスタンスを採った。しかし、これは、実際のエジプトの大多数の態度を反映しているものではない。同じく同条約に否定的なアラブ・メディアと同様、エジプトのメディアを支配しているのはイスラム主義者、民族主義者、汎アラブ、社会主義党派、さらには、主として自らの個人的利益擁護に熟達した政権の記者と編集者たちである。同条約の批判者は、平均的なエジプト国民とは全く関係のない、厳格なイデオロギー上の信念に支配されている。この批判は、利益とコストに基礎を置く、事実に基づいた評価を排除するものだ。
「エジプト・イスラエル間平和条約の反対者の大半は、同条約がアラブ・イスラエル抗争におけるエジプトの役割を無効にしたと非難する。しかし、真の問題は、われわれが同条約をアドバンテージと見なすべきか、はたまたディスアドバンテージ(不利益)と見なすべきか、だ。私の見解では、エジプトを抗争から除外することは、計り知れないほどのアドバンテージと明確に捉えるべきである。というのも、エジプトは自国の発展と繁栄を推進する利益がないのに、どんな理由で、また、どんな手段でアラブのために戦い続けるべきなのか。他の国々がエジプトの域内における役割をこんな風に定義しているという理由だけで、エジプトに対し、過大な代価を支払い、認められもせず、報われもしない犠牲の継続を期待することは妥当なことか。費用・便益の簡単な分析で、エジプトが同条約の調印以前、多大な損失を出し続けてきたことは明らかだ。アラブ世界から『従順な、年老いた姉妹』との賞賛を得るためだけに、エジプトは国家弱体化の道を歩み続けると思われたのか・・・
「エジプトの役割━盛んに話し合われ、また慨嘆の対象にもなっている━には2つの面がある。第一は、エジプトが(第二代大統領)ガマール・アブドッナーシル(Gamal ‘Abd Al-Nasser)の指導下に果たした戦闘的役割だ。この役割はエジプトと地域全体にとって、破局的とも言いうるもので、1967年(第三次中東戦争)の敗北で終わった。もうひとつは、より柔軟な役割で、エジプトが文化的、創造的、教育的、美術的手段を通じて果たしてきた力と影響力である。(だが、この)役割の衰退は(イスラエルとの)平和条約とはなんら関係がない。この役割は(エジプトが)自由を欠き、発展とリバイバルの有効な計画を実施しなかったことによって阻まれ、窒息死させられたのだ」
「(エジプト・イスラエル間平和)条約に、エジプト社会全体に広がった堕落の責任があるとわれわれは言えるのだろうか」
「他の国々は(エジプト・イスラエル間平和)条約こそ過去数十年間のエジプトの後退の原因と非難する。(しかし)この主張は根拠がなく、間違っている。われわれは同条約に、エジプト社会の上から下まで、その全体に広がった堕落の責任があると言えるだろうか。同条約が、民主主義、自由、適切な統治の欠如の原因なのだろうか。
「同条約が階級間の不平等、所得と富の不公平な分配の原因と言えるのだろうか。はたまた、恐るべき人口爆発の原因と言えるのだろうか。同条約に、エジプトが恐怖の警察国家になったことの責任があるのだろうか。政権と宗教機関内に根付いた抑圧に責任があるのだろうか。進歩と発展の真正なビジョンの欠如、政党政治の欠如、はたまた、学校や大学の劣化の原因として本当に非難することができるのだろうか。
「同条約は権力・富・腐敗という神聖ならざる同盟、選挙違反、公正の基準と司法独立の保障の欠如に責任があるのだろうか。メディア機関と司法当局の、次第に劣化するパフォーマンスに責任があるのだろうか。原理主義ワッハーブ派とベドゥイン・イデオロギーの成長と拡大、はたまた、市民社会の管理、腐敗、窒息に責任があるのだろうか。
「いいや、明らかに欠陥は、失敗した政権にあるのであって、和平条約にはない。同条約は、エジプトが1952年(エジプト革命)以来採った最善、かつ最も有効な行為のひとつだったし、そうあり続けている。
「アラブの連帯に関して問うべきは、同条約がイラン・イラク戦争に責任があるのか、(元イラク大統領)サッダム(Saddam)のクウェート侵攻に責任があるのか、シリアの思いのままのレバノン支配に責任があるのかどうかだ。30年間に及んだシリアのレバノン支配は、暗殺と国民的人物の排除を特徴とした。また、同条約はアルジェリアの内戦に責任があるのだろうか、はたまた、モロッコポリサリオ戦線問題に責任があるのだろうか。スーダン南部の200万人を超す死者、ダルフールの30万人の死者に責任があると非難すべきだろうか。同条約はソマリアを分裂に突き落としたのか。はたまた、現在のファタハとハマース間の戦いの端緒となったのだろうか。同条約がアラブ支配者間の個人的な抗争を引き起こしたのだろうか」
(エジプト・イスラエル間)平和条約に対する攻撃は「平和そのものに対する攻撃であり、エジプトの大義をアラブのアジェンダに従属させる古いやり方に戻ること」だ
「平和条約の反対者はまた、同条約がシナイ半島の大半を重火器のない状態にしたと批判し、そのことでエジプトの東部国境は危うくなったと主張する。だが、われわれは、こう問うべきだ。シナイ半島が占領され続けることが良いのか、それとも、同半島が解放される━しかも、同半島の発展にはいかなる制限も設けず、戦争にのみ制限を設けるという条件で解放される━のが良いのか、と。
「これはまた、エジプトが以前の占領地すべてを回復し、イスラエルとの衝突が終わったという事実にもかかわらず、なおイスラエルを敵と見なす継続的認識に関する別の問いを提起する。この態度は平和そのものに対する攻撃であり、エジプトの大義をアラブのアジェンダに従属させる古いやり方に戻ることと見なすべきではないか。
ムバラク大統領は一層重大な問いを、1981年2月16日付クウェート紙シヤーサ(Al-Siyasa)との会見で提起した。大統領はこう尋ねた。『アラブに、同条約に代わるものがあるのか・・・イスラエルとの戦争で達成できるものは何もなく、それは不可能である・・・(1878年の)キャンプ・デービッド(合意)以前、イスラエルから(占領地)撤退の誓約を引き出すことに成功した勢力はあったろうか・・・パレスチナ人は多くの国々に自らを売り渡した。リビアイラク、シリアに売り渡した』
ムバラク大統領が約30年前に提起した問いは依然有効であり、アラブ、そして空虚なスローガンのファンたちからの回答を待っている。この条約に代わるものはあるのか。アラブ諸国は過去30年間、自らの領土解放のために、どのような行為を採ってきたのか。シリアは惰性から脱出し、無益なスローガンから手を引くことができたのか。パレスチナ人の状況は改善されたのか。実際は、分裂を深め、状況は一層悪化したのではなかったか。ヨルダンはエジプトに倣い、チャンスを失う前に領土を回復したのではなかったか。結局アラブ諸国は(1991年)マドリード(中東和平会議)に赴き、パレスチナ人はキャンプ・デービッドで得ることができた立場よりも一段と弱い立場で、(1992年)オスロ(の対イスラエル和平交渉に)赴いたのではなかったか。
「一方、(エジプト・イスラエル間和平)条約の多くのアドバンテージは、疑問の余地のないところだ。同条約のおかげで、前占領地のシナイ半島はその石油と富を含め、全土がエジプトに返還された。エジプトの観光は前例のないほど復活した。シャルムエルシェイクは主要な国際会議センターになり、また、最も重要な観光リゾートになった。継続的戦争はどの国にとっても最悪の試練である。(イスラエルとの)戦争が最終的に終わった時、(エジプトの)人間資源と財政資源の枯渇も停止した。
「エジプトは同条約調印後、米国から年間21億ドルの財政支援を受けた。1979年以来、この財政支援は総額630億ドルに上る。エジプトはまた別な筋からも、負債権利放棄と支払い期限の延長という形で財政支援を受けた。こうして、同条約のおかげで、エジプトは米国、他の西側諸国、さまざまな国際金融機関から大よそ2,000億ドルを得た。
「(エジプト・イスラエル間平和)条約のおかげで、エジプトは現行の(中東)和平交渉の重要なパートナーとして・・・国際社会における同国のステータスを取り戻した」
「同条約のおかげで、エジプトはまた、現行の(中東)和平交渉の平和調停者また重要なパートナーとして、国際社会におけるステータスを取り戻した・・・これに照らして、エジプトが米国、欧州、国際社会と強力な関係を築き、維持する重要性より、シリア、イラク、さらには(元パレスチナ解放機構PLO=議長)ヤセル・アラファト(Yasser Arafat)との緊張に包まれた関係を優先させるべきだったと主張することは妥当だろうか。(元イラク大統領)サッダムとアラファトの政権はおおむね、スローガン、仮説、そして人民に多大な負担をかける政策を基盤にしてきた。(シリアの)アサド(Assad)政権も同じだ。
「故エジプト大統領アンワル・サダト(Anwar Sadat)は1981年10月5日、その死のちょうど24時間前にエジプトの雑誌オクトーバーにこう言った。『私はアラブの兄弟たちに、こう確認したい。私はかつて彼らと同じように、あるいは多分それ以上に感じていた・・・、私は、アメリカの態度は(われわれにとって)希望がなく、イスラエル(の行為)を、それが正当であれ、不当であれ(常に)支援すると信じていた。しかし、これが完全な思い違いであることが(最終的に)判明した。もし、あなた方がアメリカの人民を理解し、同時に、あなた方のことを彼らに理解させるなら、あなた方はあなた方の問題のすべてを解決できる。なぜなら、彼らはフェアであるからだ。もっとも、そのためには、あなた方は(アメリカ人に対して)フェアで、正直であり続け、二枚舌発言━つまり、言うことと行うことが別━をやめねばならない』・・・
「エジプトの真の後退をもたらしたのは、(イスラエルとの平和条約で得た)安定と資金の流入を活用せず、有効な開発計画を考案しなかったことだ、と私は信じる・・・
「要するに、エジプト・イスラエル間平和条約はエジプトとイスラエル双方にとって優れたステップだった。同条約は、エジプトの失敗した開発計画や進歩の欠如にはなんら責任がない。その失敗の責任はまさに政権が負わねばならないものだ。戦争に終止符を打ち、平和を構築することが、後退と失敗を生むなどと主張することはばかげている。われわれのケースの元凶は、悪い統治である。これを証明するには、イスラエルが同条約調印以来創出した持続可能な進歩に目を向けるだけでよい。エジプトの失敗はエジプト自らが創り出したものであり、あなた方以外の誰も非難しないことだ」
注:
(1) マグディ・カリルは中東自由フォーラム(Middle East Freedom Forum)の常務理事であり、またエジプトのコプト教週刊誌ワタニ・インターナショナル(Watani International)の取締役編集長である。さらに、幾つかのアラビア語新聞に同時配信するコラムニストであり、中東の諸問題、アラブ・西側関係、イスラム過激主義、イスラム諸国における少数派非ムスリムの状況などをテーマに多くの記事を書いており、これら問題に関する著作は自著、共著合わせて20冊に上る。カリルはまた、幾つかのアラブ衛星テレビ局に出演する著名な政治コメンテーターでもある。
(2) Elaph.com、2009年4月5日

(引用終)